バスキ村
開拓村を囲んでいた森を抜けて道に沿って歩くと、豊かな田園風景が見えてきた。所々に木造の可愛らしい民家を横目に、昼過ぎに建物の密集地にたどり着く。村と言うよりは小さな町で、他とは違った明らかに何らかの施設のような建物がいくつかまとまっている。
「ようこそ、ノアール。ここがバスキ村だ」
フリント隊長がくるりと振り返って、にいっと野性味あふれる顔で笑った。かなり私に慣れて来たみたいだ。歩くうちに少しだけ遅れていた最後の兵士が集団の中に加わると、隊長は大きな声で話し始める。
「皆、ご苦労だった。今回はマロウ神官から後日報酬を支払われることになっている。今日はゆっくり休んでくれ。それではこれにて解散!」
「うぃーっす」「お疲れー」と声を掛けあいながら兵士たちはそれぞれの家に帰っていった。お城の詰所みたいなところに帰るものだとばかり思っていたから、少し違和感を持つ。
「皆、村の中へ帰っていくんですね。隊長さんのおうちもこの村の中にありますか?」
「ああ、兵士と言うよりは自警団だからな。普段は農作業をしていて、モンスターや犯罪者が出た時なんかはみんなで協力して捉えたりするんだ。戦う訓練もちゃんとしているぞ」
なんと、皆さんただの一般人だった。普段の畑仕事である程度鍛えられている上に訓練もしているなら、下手な冒険者よりも強いのではなかろうか。……冒険者がいるのかどうか知らないけれど。
他の家より少しだけ大きな建物はあるけれど、貴族が住むような屋敷は見当たらない。カーマインはどこへ帰るんだろう?
「さてと、ノアール。残念ながらここでお別れだ。僕とマロウ神官はこことは別の所に帰るからね。」
「えっ」
突然告げられた言葉に驚いてカーマインを見上げれば、にこりと微笑んだ。言葉と笑顔が噛み合っていない。別れを告げる残念そうな顔にも見えず、私は戸惑った。
「フリント、馬車の支度を頼む」
「はっ」
戸惑いが更に広げられる。カーマインが隊長を呼び捨てにし、隊長は敬礼をして離れていった。立場がいきなり逆転したようだ。
「自警団の一員として差別しないようにしてもらっているからね。仕事が終わった今は見事にお貴族様と言うわけだ」
「どうしてそんなことを?」
「領民がどんな仕事をしているのか見る為と、あとは道楽と逃げ場所かな」
自嘲気味に言うカーマイン。何やらいろいろな事情を抱えているようでそれについては追求しないでおく。それにしてもお貴族様か。普通に話しても咎められるようなことは無かったけれど、何も失礼な事はしていないよね。
私も敬称に切り替えた方が良いだろうか。
「カーマイン……様?」
「あ、ノアールはそのままでいいよ。おませで小さな女の子と知り合いになれて楽しかったから。運が良ければまた会えるかもしれないね」
少しばかり突き放したような言い方に一気に不安になった。
―――君とは住む世界が違う。
本人にそんなつもりは無いのだろうけれど、そう言われたようで距離感を感じる。
貴族を理解できない齢であれば、面倒見の良い大好きなお兄ちゃんとの別れに駄々をこねられるかもしれない。けれど中身は十七歳。目覚めて一昼夜を過ごした今では、意識は既に『私』の領域だ。
泣き喚けば迷惑がかかる。それを考えられる私は、大人しく別れを受け入れる事しかできなかった。
村で待機していた御者の引く貴族用の馬車に、マロウ神官とカーマインが乗り込んだ。引いている馬も絵に描きたくなる程に美しく、手元に画材が無いのが惜しい。
私は「有難う」と大きな声で叫ぶ。カーマインはこの世界で初めて会った人で、棺桶の中から救い出してくれた人だ。
見送る視界が涙で滲む。
大切にしたいと思った縁は断ち切られてしまう。手紙を下さいなんて安易に言えない状況に、初めて身分の差を感じる。
馬車の窓から顔を出すことすら無く、あっけなくカーマインは去ってしまった。
その場に残っているのは私と隊長の二人だけ。暫く立ち尽くしている中、風がひゅーっと吹き抜けていく。
「ノアール、孤児院に行くか」
顔色を窺いながらフリント隊長がぽつりと不器用に言ったので、私はこくんと頷いた。
新しい生活の場所。大学の寮の代わりだと思えばなんてことは無い筈。ドキドキしながら隊長の後について行くと密集した建物の内の一つ、白い壁の教会のような建物の中に入って行った。
本当にここが孤児院なのか、騙されているんじゃないかと疑ってしまう程に全く人の気配がせず子供の声も聞こえない、静かすぎる建物。
「ネリ、ネリ!新しい孤児を連れてきた。いるなら返事をしてくれ」
フリント隊長が大きな声で呼びかけると女性が一人奥から出てきた。薄いピンクの髪を後ろでお団子にまとめていて、年はフリント隊長と同じくらいかな。上品だけど、細身で少しとっつきにくい感じの厳しそうな人。歩き方などの所作が優雅で、少し浮世離れした雰囲気もある。
「いきなり連れて来られても何も準備できてませんよ。引き取るなら事前に知らせてくれないと」
「開拓村が一つ滅んでいた。彼女は唯一の生き残りでそのまま連れてきたんだ。誰もいない村に置いていくわけにもいかないだろう」
女性は目を見開いて私を見た。こうして他人の口からきくと結構大げさに感じてしまう。何だか悲劇のヒロインみたいだけれど、記憶がないので悲しむことも出来ない。
「ノアールと言います。これからお世話になります。記憶がほとんどないのでいろいろと教えて下さい」
にっこり笑って、同情の言葉が出る前に先手を打った。女性は目を細めているが、口角は上がっていないので笑っているわけでは無いらしい。心の奥底を見透かしているようでちょっと怖い。
「私の名前はネリ。皆からはマザーと呼ばれているのであなたもそうして下さい」
「はい、マザー。あれ、でもフリント隊長は名前で呼んでましたよね」
「ああ。嫁、だからな」
ポリポリと頬を掻きながら照れる隊長と、無表情のマザー。きっと隊長が熱烈な求愛をしたに違いない。根負けして仕方なく受け入れるマザーまで想像出来てしまう。
「もう十五年も前からですよ、いい加減紹介するのに慣れて下さい。ノアール、ここはあくまであなたの仮の家です。十六歳までに働きに出るか、誰かと結婚して出て行くように」
「親がいないから自立できないとは本人にも世間様にも言わせないつもりだ。ここに居る間に生きていく技術をしっかり身に付けろ」
マザーの言葉になんて冷たいんだろうと思ったが、隊長にフォローされると尤もなことを言っているのが分かる。似合わないと思っていたけれどなかなかいい夫婦のようだ。
「よろしくお願いします」
頭を下げたら、背筋がピシッと真っ直ぐになっている自分に気付いた。マザーの前ではどうしてもそうなってしまうみたいだ。
―――思い出した。受験の時の面接官にどことなく似ているんだ。うわぁ、この人の前で子供っぽくするなんて出来ないよ。
ま、いいか。フリントさんも特に指摘しなかったし、そのままでいこう。
孤児院を出るまであと九年、立派な絵描きになる為の技術を身に付けろってことだよね。
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