七姉妹の女神
二、三人が見張りで立っている以外、十数人の兵士は鎧を着たまま野営用の毛布を使って地面に寝そべっていた。私も同じように仰向けになっているのだけれど、普段あまり目にしない光景に興奮して眠れそうにもない。
満天の星空。夜空を覆い尽くしそうなほどたくさんの光の粒と、三つの色の違う月。空気が澄んでいる上に、地上の余計な光に邪魔されないので瞬きまではっきり見える。とても幻想的で絵に描きたいと思うのを忘れてしまうくらい、圧倒されて見入ってしまっていた。
「すごい星空……。カーマイン、あれは月ですよね」
「うん、もしかして初めて見た?外に出たことが無いと言っていたね」
傍らにいるカーマインの問いにこくりと頷けば、話は壮大な神話へと繋がっていった。
「実際には七つあって、昼でも夜でもどれか必ず空に浮かんでいるんだよ」
「七つも」
「神話の七女神に例えられているんだ。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。それぞれがいろいろな意味を持っていて、まとめて光の女神とされているよ」
今浮かんでいるのは、赤と、藍色と紫。全て満月で、大きさも軌道もそれぞれ違っている。もしかして月の満ち欠けは無いのかもしれない。前世での月に関する知識は捨てた方が良さそうだ。
「紫が一番上のお姉さん。末の妹が赤の女神で、七人とも他の世界からやってきて、この世界にもともといた闇の神に嫁いだんだ」
「七人もお嫁さんにしたのですか」
闇の神のハーレムっぷりがすごい……と思ったけど複数と結婚するのがもしかして当たり前な世界なのかな。もしそんなだったら私はあまり幸せになれないかもしれない。言葉に注意しながら恐る恐る聞いてみた。
「普通の人はそんなに結婚しませんよね?」
「貴族や王ではやむを得ず娶ることもあるけど、普通の人はしないよ。一人の夫に一人の妻」
ちょっと安心した。未来のカーマインやフリント隊長が複数の奥さんを持っていたら、まともな目で見られないかもしれない。
「世界を一緒に作り上げているうちは仲が良かったんだけど、最後に人間を作り終えてから炎や戦いを司る赤の女神が他の女神たちに嫉妬して闇の神を隠してしまう。それが北の方で見られる白夜だとされている説と、真っ白な雪が闇さえも覆い尽くす冬だともされている。解釈によっていろいろ言われているよ。名前はそれぞれちゃんとあるけれど、それぞれの神殿に秘匿されていて……」
カーマインの声は優しくて子守唄みたいに響く。天空を眺めながらの解説はまるでプラネタリウムにいるみたいだ。非常に興味深い話だったが子供であるせいか睡魔には勝てず、神話を最後まで聞くことは出来そうもない。
世界に馴染むためにもちゃんと聞いて…おかな……く…ちゃ……
翌朝、食事の準備がされている最中に私はとあることを企んでいた。舗装されていない地面、手には石、私は幼児。よし、何も問題は無い。
喜々として地面に絵を描き始めた私を、思った通り、周りの大人たちは微笑ましく見てくれている。
「ほお、うまいな。これはもしかして俺か?」
「はいっ、隊長さんです」
イラスト風にデフォルメして描いた人の顔。地面に書くなんて久しぶりだし、小さな子供の手では上手に石を持てない。描くために特化した道具ではないので似顔絵が精々だ。それでも手を抜くつもりは無いけれど。
「すごい、厳つい感じがよく出てる。一目で隊長だってわかるな」
「うむ、なかなか強そうに描けている。これだけ描けるなら絵描きでもやって行けるんじゃないか」
隊長さんの言葉にぴたっと手が止まった。
「なる。私、絵描きさんになりますっ!どうすればなれますか」
勢いよく隊長さんとカーマインに聞くと、二人は顔を見合わせて気まずそうな雰囲気を出している。
「迂闊に言わないでくださいよ、この子の将来にそんな選択肢は……」
「すまん」
近くにいるのからぽそぽそと話しているが全部丸聞こえだ。思わず泣きそうになる。
「なれませんか?」
「あー、すごく難しいってだけだ。頑張ればなれない事もない」
そうだよね、孤児だから何かしら職に就くのが大前提だ。そしてその職業に絵描きは入っていないんだろう。
「絵を描くだけなら誰にもできる。画材は高いが、何か他の職業で生計を立てながら趣味として描く分には問題ないだろう。ただし孤児だとその職業というのも限られてくる」
離婚して片親の子は身近にいたけれど、両親ともに失った子は周りにはいなかった。でも、かなりの足枷になる事は想像できる。おそらく生きるので精一杯になるんだろう。どこか夢見心地だった今世が一気に現実的になった気分だ。
けれど絵の具や画材を作って、趣味で絵を描いて全く関係のない仕事をして。それで満足できるなら前世で進路に美大を選んでなかった。
仕事にすれば絵を描く時間が多くなる。それだけは今世でも譲れない目標だ。
「それでも絵描きさんになりたかったらどうすれば良いですか?」
「一番手っ取り早いのはコンテストで入賞する事、ただしこれは最初から受賞者が決まっている場合もあるし、その後も売れるようになるかどうかは本人次第だね。有名画家に弟子入りしたり貴族とのつながりを持つ方が楽かもしれないけれど、孤児だとどれもかなり難しいかもな」
カーマインが思いつくことを上げていく。フリント隊長も一緒になって聞く側に回っているところを見ると、この情報は一般的なものではないらしい。
「……って、ノアール。この説明で分かったかな」
「カーマインはもしかして、貴族?」
「よく分かったなーやっぱ高貴な感じがにじみ出てるんじゃないか」
フリント隊長が茶化した。確かに周りの兵士と比べて多少育ちが良さそうな感じはするけれども。
「皆、皮の鎧なのに一人だけ金属の鎧着ているし誰だってわかると思います。えっとそれで……あの、絵描きになるために繋がりを持っておきたいのですけど……」
いきなり画家としてお仕事を下さいなんて言えない。まだまだ子供だし、この世界の画材に触れていないからうまく描ける自信はない。絵画がどのようなレベルかも知らないし好まれる絵のジャンルも知らない。
でもせめて貴族との繋がりだけは持っておきたい。カーマインの義妹になるとか、養女になるとか、未来の……よ、嫁になるとか。ちょっとだけ期待を込めて見つめてみると意図が伝わったのか苦笑されてしまった。
「俺は芸術系には興味が無いから無理だな。三男だからどこまで余裕があるか分からないし…って子供に言うことじゃないか」
カーマインはそう言って肩を竦めた。貴族だから子供一人引き取るくらいわけないと思っていたのに、そうでもないらしい。
「ほら、さっさと食べて出発するぞ。あーあ、石なんか持って描くから手が砂まみれだ」
井戸のポンプを動かしてもらって手を洗う。カーマインは本当に子供の扱いが上手だ。十代後半にしか見えないのに良いお父さんになれそうな気までする。若い小学校の先生と言う感じ?それとも親戚のお兄さんと言う感じだろうか。鎧を着こんで腰に剣を佩いているけれど、戦う姿なんて想像もつかないほど温和だ。
きっと貴族の御嬢さん方からも、もてるんだろうな。
食事を終え、歩いて村を出る。鬱蒼とした森で囲まれた場所は確かに隠れ里のようだった。山裾に広がる森と同化してしまって外からでは全く見えない。
空気が澄んでいて美しい景色だ。朝の光に晒されて印影がはっきりしている。
カーマインに手を引かれながら、私がこの世に目覚めた場所を何度か振り返る。黒く塗りつぶされた記憶に怯えながら生きるよりは、前を向いて歩いた方が良い。絵を描きたいと言う前世から持ち越した希望は、今の私にとても都合がよかった。
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