第8話

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 九月の第一週が終わろうとしていた。夏休みは終わり、新学期がどこの学校でも始まっているとテレビが告げる。母が私の失踪をどう説明したかは不明だが、級友たちの何人かは何かおかしいと勘付いただろう。勘付いたところで、そのもやもやを解消しようと行動するかは不明だが。

 里ちゃんもエレンも萌子も、家出したのでなければ順調に学校に通っているに違いない。と考え、順調、という言葉に引っかかる。約束事に従い登下校を繰り返す生活は、順調なのだろうか。全てが同じ速さで駆け抜けていく景色の中で、自分が内側から腐り落ちていく感覚。緩やかな死。それとも、違和感を覚えた私が欠陥品なのか。里ちゃんは、エレンは、萌子は、何を求めて今を生きているのだろうか。と考えたところで、今更訊けないのだが。

 羽山は相変わらず型に嵌まった生活を続けていた。午前八時少し前に出て、午後八時少し過ぎに帰ってくる。暑いだろうに、ワイシャツを第一ボタンまで絞め、ネクタイを緩めることなく、おまけにスーツの上掛けを着ている。一度夏服のようなものはないのかと尋ねたら塾講師は信用が大事だから常に正装なんだよと言ってパリッとしたシャツに腕を通していた。夜のマスターベーションも変わらずで、わりかし美男なのに残念な奴、とも思ったが、同じ『普通』から外れた身として、考えさせられる面もなくはない。人はある面で正常でありある面で異常であり普通という概念は幻想、と言えるかもしれず、でも確実に、平均値としての普通は存在する。羽山はやはり普通で、私はやはり普通じゃない。

 冷房の風が、初めてこの部屋に来た頃より弱く吹き出すようになったと感じる。熱が去ったのだ。それは九月という暦での区切りからの思い込みかもしれなかったが、実際、天気予報に見る最高気温は三十一度を超えなくなり、時に三十度に届かない日もあった。公園に出ても、鉄板に肉の焼き付くような蝉の声は聞こえなくなっていた。季節は確実に秋へと軸足を移行しつつあった。

 牛乳をかけたシリアルを食べ、器を流しに洗う。洋室に戻り、パソコンを立ち上げる。熱を排気するファンの小さな音を聞きながら、さくさく操作して町作りゲームを起動し、セーブデータを読み込む。

 私が市長を務める町は、攻略サイトと『宵山の花子』の個別指導により着々と発展を続け、廃屋も廃工場も廃ビルも少ない、現れたとしてもまたすぐに建て替わる安定した都市となり、電力の需要増により市民待望の二つ目の発電所を建設するまでに至った。新聞には警察署が足りないと罵訴されているが警察署が足りていないのは現実世界も同じだからそれくらいは許されるだろう、市民には我慢を要求する。自己満足の極致だが市長官邸の真横に市長の銅像をぶち建てた瞬間は腹の好く思いだった。私は一つの巨大都市の市長で、私が秩序そのものであることへの愉悦は名状不能の悦びだった。

 読み込まれたデータが建物の群れとして画面に再現される。今日も町は営みを休まず、道路には時に渋滞の車が溢れ、工場の煙突からは黒煙が噴出している。人口は微増し続け、比例して税収も右肩上がりだ。警察署が足りない以外は誰しもが幸福に違いない町だ。けども。

 所詮はバーチャル、と貶めるつもりはないが、でも、この幸福に、市長としての仕事の成功に、一抹の虚しさを覚える。あるいは倦怠だろうか。

 ゲームには大概、クリアがついて回る。ゲームが終わる瞬間、上がりの瞬間。目標の達成と消失。

『アルコロジーっていうのがあってね』と『宵山の花子』が言う。『電気さえ通しておけばそれ一つで成り立っちゃう建築物なんだけど、それを置けば小さな都市がその中に完成するから、あとは街を作らなくともアルコロジーを設置していけば人口も増えるし税収も増える。ただひたすら、稼いで、アルコロジーを設置するゲームになるの。でも、それってもう、町作りを外れてるから、だからそこまで来たらゲームクリアかな』

 ひたすらアルコロジーを置いていく作業。それがこの町の、そして私の行き着く未来。それは私に、何をもたらすのだろう。永続する箱。ひたすら続く同じ明日。変化の死んだ生活。

 何かが足りない。そこは私が求める場所じゃない。そんな予定調和が欲しくて、私は家出したわけではないはずだ。

 瑕疵のほとんどない安定した街並みを眺める。ゲーム内時間はどんどん過ぎて、西暦はとてつもない未来に進んでいる。レトロゲームだったはずなのに、中身は未来へ時間跳躍してしまい、SFチックな家も建ち始めている。その中で、発展の比較的初期からある市長官邸と銅像が、取り残されているように見えた。

 ゲーム画面を最小化してツイッターを開く。『宵山の花子』にダイレクトメッセージを送る。「町は順調に発展して、人口が六万超えそう。そろそろ人口が頭打ちになるって書いてあるけど、空港とか設置したほうがいいのかな?」

 しばらく待つと返事が来る。『予算に余裕があれば、建設すればいいと思うよ。スクショ送ってくれれば、どこら辺に作ればいいか、教えてあげられるかも』

 パソコンの時刻を見る。午前十時少し前。盆休みでない午前に連絡がついたのだから勤め人の線は薄く、この時間でのやり取りが可能な点から学校に通っているわけでもないと分かる。盗むように隠れて返事をよこしているのかもしれないが、本人が語ったように不登校の高校二年生が実像のように思える。

 スクリーンショットを撮り画像を送ってしばらく待つと、ペンで修正点を書き込んだ丁寧な画像が戻ってくる。それと攻略サイトの情報を照らし合わせるとようやくその意図が見え、その手があったかと腕組みして唸る。指示通りに町を修正し、時間経過を待つ、その時にふと、思い立って再びメッセージを送る。

「どうして、こんなに親切にしてくれるの?」

 少し間があって返信。『このゲームすごく面白いから、好きになって欲しくて。同世代でこのゲームやってる人ほとんどいないし。何より、時間は有り余ってるからw』

 不登校絡みの話になると相手が傷つくかもしれない、慎重に返す文句を添削していると、向こうから第二波をよこす。

『あのね、最近、産廃とかいうアカウントに絡まれてて、すごく嫌な奴で、困ってるんだ。こういう時ってどうしたらいいのかな?』

 返事に悩む。悪質な奴は、反応があればあるほど喜んで攻撃してくると聞くし、ならばと放置すると今度は勝ち誇ったように増長すると聞く。最近の潮流と同じで言った者勝ち、攻めているほうが優位の傾向があるように思え、「何か、揚げ足取れないの?」と訊くが『産廃』氏は自分のことは一切情報発信しないで、つまりリングには上がらないで観客席から野次を飛ばしてくる奴、らしい。となると、「無視するしかないんじゃないかな」と送る。

『だよね汗。もう少し様子見して、うまく足取りに行く!』

「頑張れ!」

 そう送って、再びゲームに戻る。修正入りの画像と見比べながら町にメスを入れ、空き地の端の方、道路でつないだ先に空港を設置する、その直前でふと指が止まる。ここに空港を置けばいいんだっけ? そう考えて、答えが出ない。『宵山の花子』の画像と見比べるまでもない、彼女はそこに置けと言っている、けれど。けれど、本当にそれで、いいのだろうか。

 冷房の風が、音を立てて止んだ。

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