第5話
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ドストエフスキーの『地下室の手記』に、何かしら書いていると仕事してる気になるしね、みたいな意味合いの文章があったように記憶しているが、人間の生活にはやはり仕事が必要なのだろうか。社会的義務や責務を放り出した家出娘にも、自然の要求で果たすべき仕事が、何かしら存在しているのだろうか。
羽山との同居生活は退屈だった。窃視症者の秘め事以外に羽山が私に求めるものは、本当に何もなく、逆に言えば何をやろうと自由だった。彼が出社した後に起き出して、遅い朝食を食べ、敷布団と掛布団をぐしゃぐしゃのままにして呆けていようと非難の眼差しは感じないわけでもなかったが取り立てて文句を言われることもなかった。家出してはや三日が経ち、生活が新鮮味を失っていく中で、はて何をしようと思い至った時浮かんだ言葉が、仕事、だった。
勤めという形の、狭義の仕事についても考えなくはなかったが、経歴詐称した履歴書を書く気にもなれず、何より、本気で労働しようという覇気も勇気も足りていなかった、ゆえ、惰弱な私でも務まる仕事を考えなければならなかった。手記でも書こうか。現代的な手記、所謂ブログを綴るのも一つの仕事かもしれない。
台所の流しにカップ焼きそばを湯切りし、出枯らしたところに添付のソースとふりかけを混ぜ、容器と箸を手に洋室に向かう。箸は来客用に一揃い予備があったが湯呑みと合わせて自分用を新しく買い足した。
仕切り扉に閉てられた洋室は冷房が効き真昼の炎熱がフィクションのように涼しく肌がさらさらする。抱き着く樹がないからかあるいは都会には元々存在しないからなのか蝉の声は聞こえず、入り込んだ路地に往来はほぼないので人のざわめきも車のエンジン音もない。空調だけの沈黙に、昔盲腸で入院した病室を思い出す。気密されて外の気配の押し殺された、世界が自室だけで展開しているような閉塞感。外界との接続を断たれたサナタリウム。けれど時折、思い出したように遠くに電車の走る音がして、この部屋が孤島でないと知る。
焼きそばを啜る。食物を摂取してエネルギーを得る。これは自然の欲求による仕事だ。食べれば安心する。何事か為したような充実感がある。では、起きて、食べて、寝て、では駄目なのか。駄目かもしれない。やはり何かしらの仕事が必要に感じる。だが、夏季休業中に自らが行っていた仕事はと回想しても特別何も思い浮かばない。まったく勉強していなかったわけでもないが、勉強を仕事にしていたようには思えない。家出する前、私は何をしていたのだろう。と考え、まるで思い出せない虚ろに少し恐怖を覚える。背筋が冷える。冷房の設定温度に目が行くが別に温度が下がったわけではなかった。当然だが。
カップ焼きそばを啜り終え、台所の流しでカップを洗いプラスチックごみ用の袋に捨てる。再び座卓に戻り、中心に置かれたノートパソコンを手元に引き寄せ、電源を点ける。静かに立ち上がる。
パソコン使わなかったの? 前日、羽山は大仰に驚愕した。パソコン使わないで、今まで何してたの? スマホも使ってないんでしょ? 夏場にコートを着た人を見たような目。
なんとなく、許可がない限り使っちゃいけないのかと思って。
羽山は鼻で笑い、馬鹿にするように笑い、優等生だね、と言った。
羽山に軟禁も監禁もされていない、その気になれば交番に駆け込んで助けを求めることもできる、羽山を逮捕させることだってできる、でもそれをしないのは自主的家出だからであって、相互にメリットのある間借りだからであって拉致等の強制でないから。理屈ではそうだ、だから結束バンドも何も必要ない。羽山の意向を忖度する必要などないのだとも確認した。けれど。
この奇妙な同居は、力関係は、ネットつまりは第三者の介入により簡単に崩壊する。孤独に路上をさすらうのと違い、私が誰かと結びついて情報を得て、この部屋を出ていく可能性だって生じる、恩と呼ぶには異様だが恩を仇で返すように第三者をちらつかせ羽山を脅迫することだってできる。要するに兵器なのだ、インターネットは。私が羽山であれば使わせない。使用したと知ればこの緩やかな共生関係を強権的締め付けへと移行する。なのに。生来神経質の性のある羽山は全く意に介さない様子なのだった。鼻で笑った彼の、危機意識の在り処がまるで分からない。もしかすると、どうせ何もできやしないと、舐め切っているのかもしれない。
そう思うと業腹だったが、何にせよ使っていいと言うのなら使わせてもらう。
羽山に訊いたパスワードを入力してアカウント認証を突破し、デスクトップ画面からウェブブラウザを立ち上げ、少し動悸を感じながら検索ワードを打ち込む。糸でつながる縁かな、ブログ。検索すると、一番上にお目当てのページが出てくる。
何年も前から母がつけているブログ。糸見家に起きたよしなしごとを徒然なるままに綴る、備忘録としての日記であり、我が家がいかに幸福な家庭であるかを喧伝する広告でもあった。
クリックしてページを開く。トップ記事の、更新の日付をいの一番に確認する。昨日作成されていた。題名は「八月も半ばを過ぎて」だった。閲覧する。改行の少ないやや読みづらい文章を追いかける。天気が良いだの、洗濯物がよく乾くだの、昼はそうめんを食べただの、ひたすら日常が綴られていた。下にページをスクロールすると、以前に記した記事のタイトルが数本分、日を追って羅列されている。直近の記事をクリックした。現れたページの、投稿日時を確認する。私が家出したまさにその日、いつも通りならばお風呂に入った後のクールダウンの時間、それは私の失踪に気づいたであろう時間帯の投稿だった。
隣近所がお盆の帰省から戻り、お土産をくれた。子供たちはどこか旅行に行きたいと私にせがむがお父さんも私も忙しいから無理、と諭すのに苦労した、云々。
急に目眩がして、片手で両目を覆う。平衡を失って横に倒れてしまわないようもう片方の手を床について身を支える。横置きの洗濯槽にぐるぐる回されているような感覚。しばらくその姿勢で耐えた。
娘が失踪したなどと、普通は馬鹿正直に書かないかもしれないが、いや、情報欲しさに書くのでは?
思考を巡らせて様々考えたが結論は出ない、ただ、ブログ上の母はあくまで平常運転、変わらない日々を生きていきますよと宣言しているように思えた。
私の行動はなかったことになり、以後、旅行に行きたがる私等のフィクションの私が登場するのか。世間体を気にして揉み消したのか、あるいは警察に相談にさえ行っていないのか。
遠くに電車の音がして、遅れて吹き出す冷房の風音が、ここが八月も半ばを過ぎた糸見家でなくSNSで出会ったよく知らない男の部屋での夏なのだと教えてくれる。だが、自分は本当に脱出できたのだろうか。まったく別の場所に来たけれど、目を閉じれば母がいて父がいて妹がいて飼い犬がいて泥の中に眠る静けさがあるあの場から一歩も抜け出せていないのではないかという不安が、恐怖が、心臓を鷲掴みにする。
つっかえ棒になっていた腕を折って横倒しになると床の冷たさが直に伝わる。耳をつけると冷房を動かす低い駆動音が聞こえる気がして、意識をそちらに集中する。頭が音に満ちて、心が無になる。出し抜けに襲われてパニックになっていたのが、洞窟に逃げ込んで迎撃態勢を整えて徐々に安らいでいく心地に変わった。
そうだ、仕事だ、と思う。勉強では駄目だ。勉学に励んだら、目を閉じた瞬間糸見家に帰ってしまう。別の道、別の生業、別の仕事が必要だ。私を刷新する上で、何かしら人為的な営みを行わなければならない。きっと喰っちゃ寝では拓けない地平が、仕事で得られるに違いない。
そう考えるとだんだんと総身に活力が漲ってくる。何かをしよう。何かするんだ。
起き上がり、パソコンの前に座り直す。さて、何をするか。インターネットの世界は無限遠だ、「何か」はいくらでもある。自由なのだ。知識と時間と媒体さえあればどこへでも行ける。私は母のブログを去り、検索サイトに戻る。画面中央の入力欄にカーソルが明滅し、文字の入力を待っている。が、何を入力すべきか咄嗟に思いつかない。頭を悩ますが何も搾り出ない。指針がないと方向性は立てられないのかもしれない。
大きく息を吐くと、身体から緊張が排出されるのを感じる。弛緩しきった頭に残ったのは、羽山の、暇だったらゲームでもしてな、という言葉だった。
詳しい仕組みは分からないが、エミュレーターという機械を使用して昔のゲームをパソコン上でプレイできるよう取り込んだソフトを、羽山はファイル共有ソフトで入手したのだそうだ。当然、著作権の侵害で、違法である。が、部屋に少女を連れ込む羽山にそのような順法精神は毛頭ないだろう、欲求が満たされればそれでよいのだ。
ウェブブラウザを閉じ、パソコンを操作してゲームにたどり着く。スーパーマリオ等一部聞き覚えのあるタイトルを除き、ほとんどが知らないゲームだった。アルファベット順に並んだそれらを片っ端からプレイして、随分多様なゲームが考案されたのだなと思い知る。アクション、バトル、RPG、ジャンルは絞れるがその中でも細かに仕様が変わったり全く別のアイデアで組み上がっていたり、多様性に富んでいる。神話が様々存在するがごとく、人はそれぞれの世界観を立ち上げずにはいられない性があるのかもしれない。
暇の許すままゲームを渡り歩き、食事して羽山の相手をして寝てを繰り返すこと数日、私は町を自らの裁量で作り上げるゲームに足を止めた。発電所を設置し、そこを起点に道路や電線を伸ばし、その区画内に消防署や警察署、あるいはマス目で宅地・工業用地・商業用地を設置すると、時間経過するうちに町が発展していくゲームだ。試しに思いつくまま金銭の許すまま開発を進めると、宅地には様々の形式の住宅が並び、工業用地には煙突から粉塵を排出する工場が雨後の筍のごとく建ち現れ、商業用地にはスーパーが建ったかと思うと重機が現れより豪壮な商業施設が建つ。初めて一年くらいは春に花々が狂い咲くのと同じように建物が茂るが、数年経つと廃屋が建ち並び住民が流出し税収が減り、と、町が衰退し始め、警察署が足りないなどと町内新聞に文句を書かれ、それらを頼りに町を修正するのだが、出足よく発展した町も闇雲に開拓するとある時から必ず伸び悩みいずれ退潮に追いやられる、様々の指標を読み取り的確な策を講じない限りいずれ破綻する、ラッキーや偶然で持続的に発展する町はないのだ、という、そのゲームの奥深さと難易度の高さが面白く、また、単純に町がうごめく様が楽しく、建物が建っては廃れ建っては廃れを眺めるうち一時間二時間経ってしまう。別に、上手に町を発展させたからといって、ゲーム内の新聞でしか評価されないのだが、何とも言えない中毒性に私はのめり込んでいくのだった。
レトロゲームを仕事にするのも、良いかもしれない。価値があるかは不明だが、少なくとも時間は苦痛なく過ぎていった。
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