第3話

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「僕はさ、しがない塾講師をやってるんだけどさ……」

 言いながら男は座卓を窓のほうへずらし、その上に乗ったティッシュ箱からティッシュを二枚引き出し、私と彼の間、遮る物の何もなくなった床に重ねて置く。意図が分からない。

 男はボクサーブリーフに手をかけ、するりと足から抜いて下半身裸となる。そしてティッシュの前に、股のやや開いた正座のように膝を折って座った。股間にはペニスがうなだれている。

「JKがさ、短いスカートで授業を受けてるんだよ。これ、しゃがんで横から見たら、みんなパンツ見えてるなって。もちろんしゃがまないよ、そんなことしたら、向こうも敏感だからおかしな動きしたら察知するさ、で、上にチクられたらクビが飛ぶよ。桜の花びらよりも軽々飛ぶよ」ペニスが先程より肥大している気がする。性的に興奮するとそうなるものだと保健体育の授業で習った、が、成人男性の性器など、実物は初めて見る。クラスの男子が勃起だの射精だの笑う度吐き気がした、それが今まさに起ころうとして、慄きに息を呑む。

「あのさ」男が言う。「君、脚を揃えて座ってないでさ、もう少し開いて、パンツ見せてよ」

 迷った。迷いながらも、ベッドに座り揃えていた脚を、小さく開いてみた。男が少し前のめりになり、股間に手を遣ったのを見て身震いがする。「暗くて見えない。ねえ、もっと開いてよ」男の要求に従い、もう少し股を開く。垂れがちな真ん中の布を手で少したくし上げてみる。男が欲情に呼吸を深くする気配がする。股間に目を向ければペニスが、これまた保健体育の授業で見たビデオの、生まれたての赤子の頭のように赤黒く充血している。

 怖気に身が震え脚を閉じると、「ちょっと!」と男の声に怒気が混じる。少し腰を浮かせ、ペニスに手を添えしごいている。私は慌てて閉じた脚をまた開く。

「塾講師やってるとさ、やっぱり接触の機会が多いからかな? 女子高生を性的対象にしてる奴、けっこう多いんだよ。別にロリコンとかそういうんじゃなくて、なんていうのかな、男の性欲って征服欲だからさ、まだ誰の足跡もない新雪に、ずかずか踏み込んで足跡をつけていく感覚、って言えば分かるかな、誰も触れてないものに触れたがるっていうか、開拓だって言えばいいのかな」興奮しているのだろう、男の整理されない思考が直截に語られる。声にまで力が入っている。「そんな中でさ、気づいちゃったんだよ。駅に張り紙がしてあるでしょ? 盗撮注意って。やったことないよ僕は、でも、する奴の気持ちはよく分かる。スカートから覗くパンツが好きで好きでたまらない。隠された物が見える、そこに欲情するんだよ。意味分からないでしょ?」

 男に同意を求められて、どう返事するか考える間に男は話を続ける、別に私がどう思うかなど知る必要もないと言うように。「窃視症ってのがあるらしくってね、簡単に言うと覗き趣味なんだけど、そういう性癖が世の中にあるって知った時は衝撃だった。自分だけじゃないんだってね。後から出歯亀だのピーピング・トムだのいろいろ知ったよ。僕はね、その窃視症の連中の中でも、とりわけ女子高生のパンチラに憑かれた男なのさ。まだ男に見られることを意識していない、野暮と清楚の合わせ技の白、とか、稚拙な柄物のパンツとか、欲情するよ。思えば、塾や学校なんて天国さ。好き好んで短いスカートを穿きたがるJKが集まる場所なんだから、そこが天国じゃないなんて、嘘さ。まあ」皮肉げに笑う。「講義中に好き勝手しゃがんで覗き込んでいいってルールが、あれば、だけど」

 それができないから、家出少女を捕まえて、好きなようにパンチラを見れるようにした、と。男子の汚い言葉を借りるなら、おかず、だ。

「僕が君に要求するのは、何気なさを持ったパンチラなんだよ。直接手出ししたりはしないから安心して」行為に夢中で男の声は荒々しく優しさとは無縁だったが言っていることは本当らしかった。大きく呼吸して、男はいよいよ絶頂に達しようとしていた。「右足だけベッドの上に乗せて。左はそのままで」

 私は言われた通り左足を床に置いたまま、右足裏をベッドに乗せて膝を立てた。花柄ワンピースの裾が競り上がってパンツが顕に露出しているのが分かる。羞恥はあったがより醜悪な痴態を演じている男を見るに不思議に心冷める部分があった。

 男はもう余計なお喋りはせず、あああだのなんだの呻き、やがて射精した。白濁した液体を例のティッシュの上に放出し、僅かの余韻の後にすぐさまティッシュをくるんで男は、フローリングの床に精液が飛び散っていないことを確認して、くるんだティッシュにもう一枚ティッシュを重ねてゴミ箱に放り込んだ。

 下着を穿き直し脱力している男に、こちらも脱力する思いだった。家出少女を『保護』する見返りに性的接待を。その手のニュースはよく聞いたし事件に巻き込まれ死ぬ少女の話も聞いた。だが、どうやら自分は大丈夫そうだ。男は変態性欲者ではあったが実害の少ないタイプだった、特殊性癖が故に逆に身の安全は確保されるに違いなかった。あとはシャワーを浴びて、押入に押し込んである客用布団にくるまって、あるいはそれがなければ硬そうなこのフローリングの床に身を横たえ、今日を終えるのだろう。今日を終えて、明日が始まる。

 ズボンを畳み収納場所に戻し、ハーフパンツに着替えた男に、「あの」と呼びかける。

「ん?」と顔を振り向ける。

「ハヤマスグルって、どう書くんですか」

 んはは、と男は笑い、「説明してなかったね。羽に山って書いて羽山。スグルは、卓球の卓。それで羽山卓」

 すらすら語る。偽名の可能性もあるが、初めから無警戒なだけで本名に違いない。思えば集合した駅から別の駅へ移動するなど小細工を働かせて身元を誤魔化そうという意思が全く感じられない、住居も本当にこの部屋なのだろう。職業に偽りもないと思われる。悪く言えば、完全に舐められている。

「その、羽山さんって呼べばいいですか」

 また鼻で笑う。「なんていうか、すごい真面目っていうか、律儀な子だよね。ツイッターの印象そのまま」なんでも好きなように呼べばいいよ、と言う。

「印象そのままって、やっぱり真面目だと思われてたんですか」

「言葉遣いからしてね」と男は笑い、よっこらしょと立ち上がる。

「家出少女が、真面目?」

 男は目を少し歪め、めんどくさそうに手を振り、洋室と廊下を仕切る扉を引き開けこちらを振り返る。「好きなように過ごしてていいよ。防音性高いから、テレビも音量大きめで大丈夫。って、音楽番組でもない限り大きくしてもしょうがないけど。じゃ、僕はお風呂入るから」

 扉を閉めて向こう側に消えたと思ったらすぐに薄く戸を開け顔を覗かせる。「そういえば」と言う。「名前、なんだったっけ?」

「……糸見紅花。紅に、flowerの、難しくないほうの花です」

 ああ、そうだったね、と頷き、扉を閉め男は廊下へと消えた。程なくして、シャワーの音が聞こえてきた。他人の家に聞くシャワーの音は、どこか余所余所しかった。

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