同じ言葉でも、作者のイメージと読者のイメージって異なるよね?
昔々……。
小学校か中学校の、あるいは中学受験用だった進学塾の、「国語」の時間だったと思います。
文章作法に関する話として、こんな言葉を聞きました。
「同じ表現の繰り返しは美しくない。下品だ」
当時は自分が書く側に回るなんて想定していなかったので(子供の頃の夢は一応「小説家になりたい」でしたが、それは「宇宙飛行士になりたい」「変身ヒーローになりたい」と同レベルの「非現実的な夢」でしたので)、
「へえ、そうなんだ」
と聞き流していましたが……。
自分がネット小説を書くようになって、ふと思うのです。
確かに「同じ表現の繰り返しは良くない」と。
しかし、それは「美しくない」とか「下品だ」とか、そんな抽象的な話ではないでしょう。「同じ表現の繰り返し」では、書き手のイメージが正しく読み手に伝わらないから、駄目なのではないでしょうか。
また少し具体例を考えてみましょう。
うまい例がどうかわかりませんが……。
作者が「赤い」という表現を使ったとします。
ワインレッドに近いような、少し紫がかった濃い「赤」でもなく。
赤褐色に近いような、やや黒ずんだ濃い「赤」でもなく。
いくらかオレンジに近い、鮮やかな「赤」をイメージして「赤い」と書いたとします。
それを読者にアピールしたくて、作品中に何度も「赤い」「赤い」と連呼したとします。
しかし「赤」といっても広いので、それこそ読者は、赤褐色やワインレッドのような赤をイメージしてしまうかもしれません。そのイメージが読者の脳内に定着してしまうかもしれません。
これでは、作者のアピールは空振りどころか、逆効果ですね。
もしも作者が「赤い」「赤い」ばかりでなく、時には「朱色のような」という表現でも混ぜておけば、少なくとも赤褐色やワインレッドを思わせることはなく、正しい方向性の「赤」をイメージしてもらえたでしょう。
これこそが「同じ表現の繰り返しは良くない」という意味なのだと、私は思います。
色のような「イメージ」要素の強い言葉だけではありません。
たとえ動詞であっても、似たようなことは起こり得るでしょう。
例えば「彼は私にそれを投げてきた」の「投げる」。
人によっては、トスのような軽く投げるイメージだったり、ぶん投げるような強く投げるイメージだったり、匙を投げる的な諦めをこめて押し付け気味に投げるイメージだったり……。
これも同じ「投げる」ばかり使うのではなく、微妙に異なる動詞を混ぜて使えば「ああ、そっちの意味なのだな」と、読者のイメージを作者のイメージに近づけることが出来ると思うのです。
もちろん「赤い」にしても「投げる」にしても、ただ「赤い」「投げる」と書くのではなく、「オレンジがかった鮮やかな赤色で」とか「力を込めてぶつけるような勢いで投げた」とか書いておけば、それはそれで正しく伝わるのでしょうが……。
毎回毎回そんなにゴテゴテと表現を加えていたら、修飾過多になってしまいますよね。
というわけで。
なるべく私は「同じ表現の繰り返し」は避けたいと考えています。
もちろん自分の語彙力だけでは限界がありますが、今の時代、ネットで調べれば類語・同義語は簡単に見つかります。
とはいえ、いちいちそれをやっていたら書くのが全然進まなくなるので、結局は「ある程度」しか実行できません。
そもそも、せっかく調べても、自分のイメージに合致しない類語・同義語ばかりで、困ってしまうことも……。
(2018年10月18日「小説家になろう」に掲載したエッセイの転載です)
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