堂本久志



 堂本は、肥大化したノクスロスよりも何よりも、目の前の少年に目を奪われていた。


 ただの魔法学校の生徒のはずだった。魔法士としての適正が少し欠ける、悪い意味でごくごく普通の少年だ、と。

 不正売買を摘発するだけの容易な任務だと思わなければ、引率を承諾しなかっただろう。そんな印象だった。


 しかし、蓋を開けてみればどうだ。


 黒く禍々しい濃密な穢れに晒されながらも、妖しい程に神秘の色を放つ双眸。

 涼やかな表情には、ただの一欠片も動揺はなく、泰然と立つ姿は、この場の支配者に相応しかった。


 そして……、


 風もないのに、ふわり、と緩やかに黒髪が翻ったかと思えば、想像だにしない量の燐光が、累の周囲を取り巻いていたのだ。


「こんなの……冗談だろ……」


 全ての魔法士が、どれほど焦がれようとも手に入れることなんて出来ない、次元の異なる魔力の輝き。

 息苦しささえ覚える程の濃密な力を従えて、それをさも当然とばかりに静かに立つ存在感。


 誰とも比べることなんて出来ないだろう。

 それほどに鮮やかな、絶対の才能だった。


 呆然と膝をつく堂本に気付いたのか、チラリと視線をくべる、その無感動な冷めた眼差しに、ゾクリと背筋が凍る。

 とても歳下とは思えない成熟した眼差しは、その場の全てをひれ伏させることが出来る程の力があった。


 この少年は、誰なんだ……。


 どう考えてもただの魔法士見習いではない。そんな、どこにでもいる存在なんかじゃないのだ。


 唯一無二の光に気圧され、放心状態の堂本だった……が、意思を持って揺らぎはじめた黒い霧に、逼迫した状況を思い出す。


 ——グルルゥ…………ッ!!


 禍々しく喉を鳴らして、大口を開けた獣。

 脚を曲げ、低い位置から睨みつけるこの宿主型のノクスロスは、穢れの中でも最大級に警戒すべき部類の敵だった。


 にも関わらず、淡々と立つ累は、僅かばかりの動揺もない。

 気付いてないわけは無いだろうに、何のアクションも見せないその姿に、堂本は思わず警告が口をついた。


「……っ動くぞっ!!」


 そこかしこに漂う黒い霧が猛々しく蠢き、獣が本性を剥き出しにして、床を蹴った。

 異様に裂けた口の端から鋭い牙を露わにして、累へと飛びかかる獣。


 視界いっぱいに迫っているであろう、穢れの成れの果てを、累はひたりと見据えた。


 真紅の焔を帯びた瞳がノクスロスを睥睨し、そして、軽い仕草で指をつい……と動かした。……だけにしか、見えなかった。


 ゴウッ…………!


 詠唱も印も何もなしに、爆発的に溢れ出した累の魔力が、白い刃となって放たれたのだ。


 それは圧倒的な力で、人智の超えた漆黒の獣を、易々と切り裂いた。


「そんな馬鹿な……っ」


 魔法士部隊が数人がかりで、少しずつ弱らせて仕留めるノクスロスを、たった指先1つ……。

 あまりにも常識はずれの光景に、乾いた笑いしか出てこない。


 そんな堂本を気にかけることもなく、更に累は、突き出した手を小さく振った。


 すると、すぐにこの部屋を、いや、もしかしたらこの集会所全てを、燐光が包み込んだ。

 その規模の大きさに驚く間も無く、一切の感情を排したような累が、突き出した手を握り締めた。


 その指示に従うように、急速に収縮しだした燐光は、真っ二つに崩れ落ちる獣の体を取り巻いた。周囲を漂っていた穢れの霧をもまとめて、累の魔力が捕獲したのだ。


 魔力の檻は、累の手の動きと共に徐々に小さくなり、同時に、ノクスロスの気配も弱まっていく。


 どう考えても、累の魔力が穢れを殲滅していっているのだ。堂本の常識とは掛け離れた方法で。


 そして役目を終えたとばかりに、累の身体へと吸収されていく魔力は、なぜか、黒く濁っていた。


 真っ赤に燃える瞳で、左右から流れてくる黒い靄を、その身に取り込み続ける累。


 そう。


 まるで、黒い翼が生えているかのように。


「……ど、どういう、事なんだ……」


 堂本の呟きに、炯々と瞳を光らせた累が、赤みを帯びた唇で、小さく嗤った。


 その姿に、ひとつの話を思い出した。

 序列『0位』の近衛魔法士の噂を。


 曰く、序列0位に座する近衛魔法士は、バケモノ級の子供だ、と。各地を巡って、ノクスロスの危険から民を守ってくれているのだ、とも。


 治安維持を担当する堂本からすれば、そんな確証のない噂なんて、英雄譚の好きな民衆達の希望的な創作話としか考えていなかった。


 なぜなら元来、近衛師団の序列ナンバーズは、からだ。

 序列を定めるというのに、わざわざ『無』を意味する0なんていう数字を割り当てる意義がない。最上位とは、『1』番なのだ。


 なのに、無理やりねじ込んだかのような、0位という近衛魔法士の噂……。


 紺碧師団内では、秘密主義の近衛師団なのだから、さもありなん、と、いつの間にか位が増えことに納得する声も多かったが、懐疑的な堂本には、ようやく意味がわかった。


 ——人に非ざり、人を統べる存在。


 頭に浮かんだ言葉は、飲み込んだ。

 口に出してしまえば、直視することすら不敬になってしまう。


 禍羽根かばねを背負った支配者の、奇跡の力。


「……内緒にしておいてくださいね」


 諦念したかのように、柔くも苦い表情で零す言葉に、



 堂本は、深く叩頭した。


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