襲撃と離反者①
外は、思った以上に様子を伺う住人で溢れていた。
「やっぱり南の巣窟だ……っ!」
「……最近、『聖遺物』を闇ルートに流してるって噂の……」
「この前の襲撃も、ゴロツキ共の寝ぐらだったよな……?」
「もひとつ前だって似たようなもんさ。バチが当たったんだわ……」
「そんなこと言ったって、こっちにも被害が出てるじゃないかっ!」
「おい、女子供は早めに逃せよ!」
皆、逃げるための準備はしているが、いつどこへ逃げるのか、タイミングを図りかねているのだろう。ノクスロスの動き次第という、浮動的な対応が必要だから仕方ない。
誰もが不安げに見つめる道の先では、白い砂煙が立ち上り、大きく崩れている建物が何箇所か見える。人の叫び声も遠くに聞こえ、その場所がノクスロスの発生地点なのだろうと容易に想像できた。
「すぐそこまで来てるぞ……」
顔を引き締めて、騒ぎの中心へと目を向ける魔法士の2人。さすがに戦いの場を前にして、フザけた言動はしないようだ。
一方、同じように現場を見つめる累の双眸は、異形の暴れる様を鮮やかに捉えていた。
目を凝らしたり、近付いたりするまでもない。
累の中の魔力が、大きな獲物を見逃すはずがないのだから。
美味しそうに育ったノクスロスに、魔力が鼓動を打つように、その力を昂らせ始める。
「おい、見習い。付いてくるなら勝手にすりゃいいが……戦闘時の原則は、覚えているな」
「自分の身は自分で守る、ですよね。大丈夫です」
平静なまま言葉を返すと、もう片方の魔法士が小さく鼻を鳴らした。
「ふん、生意気な……おら、行くぞっ!」
そう言って威丈高に手を振って走り出す2人に、累も続く。
先陣を切って走るこの2人が、本当にこのノクスロスを殲滅できるなら良いが、万一の場合には自分が出るつもりだった。
このタイミングで現れたということは、紺碧師団が手を焼いているノクスロスの可能性が高い。願っても無い好機だ。
人の流れに逆らって駆けていく3人。
気ままに暴れるノクスロスの気配が、近くなるほどに濃くなってゆく。
身体から溢れる魔力が、空気中に漂う微細なノクスロスを捕食し、その力を増幅させていくのがわかった。
これだけ走っているのに、足も軽く、息も全く乱れない。
穢れに満ちたこの空間が、累に過剰なまでの生気を運んで来てくれているのだ。
気味の悪い黒い霧が漂う場所で、炯炯と双眸を光らせる累。
滑らかな白磁の肌は、まるで血が通っていないかのように無機質にも見えるのに、唇だけは、紅をはいたような血色。
さっきまでの、酔った地元民に絡まれる大人しい学生、という印象なんて、完全に払拭されている。
魔性、という言葉に誰かを当てはめるならば、今の累は完全にそれだった。もしも2人の魔法士が今、真正面から累と対峙したならば、その異質な存在感に息を飲んだことだろう。
しかし幸いにも、2人の意識は、見え始めたノクスロスの断片に向けられていた。
「いたぞっ、アレだ!」
「くそ、1人喰ってるな……!」
黒い霧が濃く立ち込める現場に着くと、その中心に、一際真っ黒な塊が蠢いていた。
一見して、4足歩行の獣とは異なっている。
しかし、2足歩行の影というには、異様な形状であることは間違いなかった。
元は建物があったであろう瓦礫の中で、明確な輪郭を持たない黒い霧が、足元の何かに夢中になっている。
色の褪せた木材に滴る、赤い液体。
その流れを辿る先に、脱げた靴が見えた。
いや、靴じゃない。
誰かの足だ。
足、だったのだ。
靴の中に、足首が見えている。
ただし、そこから先は何もない。
切断された、誰かの足なのだ。
「お前はそっちからアレの動きを止めておいてくれ。俺が斬る」
「オーケー、最後の掃討は任せろ」
よく使う戦法があるのか、簡単な言葉だけで動き出した2人。
懐から、特殊な形状をしたナイフを取り出しながら、左右に広がるように展開していく。
ノクスロスの両側からアプローチを仕掛けるらしい。
ガタリガタリと、瓦礫を踏む足音と、何かを食むような咀嚼音だけが聞こえる、緊迫した空気。
住人全員の避難が済んでいるのか、累たち3人以外の、生きている人間の気配はない。
魔法士2人が、口の中だけで呪文を唱え始めた。
緩やかな旋律が風に乗り、微かな燐光がその手に現れる。
ナイフを構えた1人が、燐光を纏った指先でナイフをなぞり、その魔力を刃にのせた。
——そして。
「……っおい!? 消えたぞ!?」
3人の目の前で、突如ノクスロスが形を崩したのだ。
黒い砂の城が、ぐしゃりと潰れるように瓦解したかと思えば、溶けるように色を失くしていく。
「嘘だろ? まさか、これだけで消えるなんてことは……」
「探せ! 油断するなよっ!」
姿を消した対象。
どこから狙われるのかわからない焦燥に、360度視線を巡らせながら警戒を強める2人。
しかし面食らったのは累も同じだった。
——これが、消失するノクスロスか。
昂ぶる身の内の魔力が、獲物を失って行き場をなくしている。
冷静に周囲を確認するが、残滓が霧散していくだけで、本体の気配はもうどこにもない。
出現から消失まで、限りなく短かった。
まるで理性があるかのように、狙った獲物を捕食した後は、次の機会まで息を潜めるとでもいうのだろうか。
手強いわけだ……。
これから魔法士部隊が到着したところで、襲撃の残骸が確認できるだけ。なんの意味もないだろう。
つめていた息を吐き、額にかかった髪を直す。
黒い霧が消えた後には、無残に転がされた人の姿だけが残った。
四肢は不全で、どう考えても手遅れだ。ノクスロスに喰い散らかされた最期は、獣に襲われたそれと似ている。
周囲に飛び散る血と肉片が、凄まじい惨状を物語っていた。
「……本当に、消えたのか……?」
累の緩んだ空気に触発されたように、魔法士2人も警戒を解き、怪訝そうに顔を見合わせた。
そして同じように周囲を見渡す累を見る。
「おい見習い。念のために聞くが……お前も消えたと思うか?」
「……消えましたね」
「おいおい、見習いに聞いてどーすんだよ、お前」
「念のためっつったろ。魔法の適正は色々あるんだし」
すっかり雑談モードに戻った2人。
手に持っていたナイフを小さく振り、燐光の消えたそれを懐へとしまう。
「消えたんだから、それでいいだろ? 報酬もらってさっさとトンズラだな」
「ま、そうだな。楽に稼げてラッキーってとこか……」
脱力し、笑いながら踵を返す2人。
「おい見習い、お前も運がいいなぁ。マジの戦闘になってたら、どうするつもりだったんだ?」
「ははっ、ほんとたぜ。実地訓練と違って、フォローしてくれる師団員なんていねぇからなぁ」
「……本当ですね。面倒はおかけしないように…………って、何をしているんですか……?」
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