宿屋にて③
声の方向を見れば、30代ぐらいの2人連れだ。
どちらも黒っぽい上下に動きやすさを重視したようなヒップバックを付けた姿。一見して、累と同じく地元の人間では無さそうな雰囲気だ。
新しい話し相手を見つけたとばかりに、対面の席の男が身体の向きを変えた。
「お前さんらは?」
「俺たちは行きずりの魔法士だ。懐かしい話をしてたから、思わず声をかけちまったぜ」
「おぉ、こっちは魔法士様か。こんなに安全な飲み屋はねぇや」
「へっへっへ、何かあれば俺たちが何とかしてやるよ。格安でなぁ」
「おいおい、金を取る気か!?」
「当たり前だろぉ、労働には対価がいるんだよ、対価が。ガキも魔法士になったら覚えておけよぉ? 賢く生きねぇとな、賢くよぉ」
がはははは、と品無く笑う魔法士達に、形ばかりの愛想笑いを返す。
魔法士も人間だ。緊張を強いられる過酷な日々に、ストレスも溜まるだろう。仲間とお酒を飲むことだって、時には必要だ。
しかし、魔法士として人々から求められた時、その場で対価を要求することは、魔法庁が定めた倫理に大きく違反している。酒の場の冗談ならば、それで良いのだが、あまり吹聴するのはよろしくない。
「で、見習いの坊やは、こんなところで何をしてるんだ? 帰省か何かか?」
「まぁ、そんな感じです。紺碧校へ向かう途中で……」
「紺碧校かー、懐かしいなぁ。俺たちもそこの出身なんだぜ?」
「そうなんですか。じゃあそのまま紺碧師団へ?」
「一旦はな」
「一旦……?」
「あぁ。今はー……ま、フリーの魔法士、ってとこだ」
ニヒルな表情で笑う魔法士の男達。フリーの魔法士……という事はつまり、2人は魔法庁からの『離反者』だ。
地元の男達は、そういう魔法士もいるのか、と不思議そうな顔で納得していたが、累はこれを聞き流して良いものか悩む。
というのも、魔法学校を卒業した者は、基本的に全員が魔法庁所属の魔法士となる。唯一の例外は、陛下直属の近衛魔法士だけだ。殆どの魔法士は、師団員として魔法庁から給金を貰うのだが、その所属から外れるということは、それより高額な報酬を貰える個人に雇われるという事だろう。
誰にでも等しく救済を、という魔法庁の理念に反している。
しかし、だからと言ってこの場でどうにか出来るわけでもなく。後からこの地区の担当に、さり気なく伝えればいいか、とスルーすることに決めた。
「それで? 宿屋でゆっくりと寛いでから、学校へ戻るのか?」
「へぇー、最近の学生さんは優雅だなぁ」
魔法士2人の言葉に、若干のトゲが含まれていることは気付いたが、反論するまでも無くその通りなので、困ったような笑みしか返せない累。
すると、微妙な空気を察したのか、対面の席の男が、まぁまぁと窘めるように間に入った。
「いいじゃないの、魔法士様。時には生徒さんにだって休息が必要だって。なぁ坊主。道中、気をつけて行きな。最近は行方不明になる生徒がいるって聞くし、物騒だからなぁ……」
「行方不明……ですか?」
「おいおい、何だか突然物騒じゃねぇのー?」
地元の男の、何気ない雑談にしては気になる内容に、累はもとより、魔法士の男も食いついた。
「あー……っと、知らないか? 最近、前触れもなく失踪する生徒がいるらしい、って噂」
「失踪……」
「留年一歩手前とか、成績の芳しくない生徒が退学することはあるそうなんだが、それとは違うんだと。だから失踪……行方不明だ、ってこの町じゃ噂になってるんだが……」
「……ふーん。俺らの時代にも、退学する奴は一定数いたが……、さすがに失踪ってーのは聞いたこと無かったなぁ……」
「そうだな、だいたい再起不能で辞めざるを得ない、って感じだったよな」
魔法士2人が記憶を探るように顔を見合わせている。
その様子に、あまり楽しい話題じゃなかったか、と、地元の男が空気を払拭するように顔を崩した。
「いやいや、最近、頻繁にノクスロスが現れるから、みんなピリピリしてんのよ。なんでもないことを大げさに心配したり、な。この前なんて暖炉のススを払ってたら、隣の家のおカミさんが、ノクスロスの襲撃だーってパニックだぜ? 急いで逃げようと家を出たら、風に吹き飛ばされていく黒いススが……って脱力よ、もう」
「おいおいー、そんなことで俺たち魔法士を呼んだりするんじゃねぇぞー?」
「呼ぶなら掃除屋を呼べってなぁ」
思い出し笑いで腹を抱える男達。
累も、笑い話なら、と軽い笑みで同調する。……が、そんな精神状態が続く生活というのは宜しくないだろう。
ここの男達みたいに、誰かと笑い話に出来れば良いのだが……と眺めていると。
「————で、出たっ!!」
突如、荒々しく開かれた扉から、髪を振り乱した女が飛び込んできた。
尋常じゃないほどの焦った姿に、食堂中の注目が集まる。
「……どうしたんだ?」
「っ出た、出たのっ! っ、ノクスロスが!」
全力で走って来たのか、息も絶え絶えの女の言葉。
戦慄の走る知らせだったはずだが、食堂に降りたのは、一瞬の沈黙だった。
「…………」
「……ふ、はははっ、おいー、まぁたそれかー?」
「はっはっは。今度は誰の家が暖炉の掃除をしてるんだぁ?」
「紛らわしいから、暫くは掃除も出来ないわねぇー」
気の抜けたように笑ってジョッキをあおる人々。そして同じように、安堵と迷惑さをない交ぜにした吐息で、元の会話に戻る者もいる。
どうやら先程話題に出て来た、暖炉の煤をノクスロスの黒い霧だと勘違いした人なのだろう。また言ってるよ、と、誰もが疑いの眼差しで見つめていた。
「ちが、違うの、今回はもう教会が動いてて……」
その言葉に、さっと顔を青ざめた数人が席を立った。
「何処だ!?」
「あの、すぐそこの、ゴロツキ共が住み着いてる……っ」
「裏の巣窟かっ!」
「あんな奴らがいるせいで、ノクスロスが出たんじゃ!?」
「こっちまで来そうなのか?」
矢継ぎ早に話し出す数人の言葉に、ようやく伝わったと安堵する女。
緊迫感を感じ取った他の面々も、顔を見合わせ、今度は不安そうに席を立ち始めた。
「魔法士部隊は?」
「教会が要請しているけど、まだ……っあ……」
女の視線が何気なくこちらを彷徨い、ぶつかった。
唐突に一点を凝視する女に、周囲も訝しげに視線の先を見る。
「魔法学校の……」
その態度と言葉だけで、求められていることは理解できた。
制服は、目印だ。
小さく頷いた累が席を立とうとした。
しかし、
「——待て! 俺たちはフリーの魔法士だ。対ノクスロスを専門に、各地を回っている。……学生に頼む前に、本職に依頼した方が確実だと思うぜ?」
「そうそ。本当なら報酬の半分は前金で頂くんだが、特別に後払いでもオーケーだ」
「報酬の確約が貰えるなら、今すぐ片付けてやるよ」
魔法士の男2人が立ち上がり、女に向かって交渉を始めた。
いや、交渉というより、一方的な通達だ。今すぐ助けてほしいのならば、是と答える以外に選択肢などない。
落ち着かないように周囲を確認し、今にも逃げ去りたい雰囲気の女は、身を竦めながら口籠る。
「え……フリーの、魔法士様……? え、報酬なんて……」
「魔法士部隊が到着するまでノンキに待つ気なら構わねぇよ? 俺らだって、命を張ってノクスロスと戦うんだからな。相応の『感謝の気持ち』は示してもらわねぇと」
「そんな……いきなり言われても……」
「だから後払いでも良いって言ってるだろ? それとも諦めて逃げるか?」
「え……え……、どう、どうしたら……」
女のもっともな戸惑いを無視するように、期待する回答を得ようとする男たち。
追い詰めるような物言いと、迫り来る恐怖との間に立たされ、女は殆ど思考停止状態だ。混乱を隠すこともなく、ひたすら周囲を見渡して、代わりに答えてくれる者を探している。
そんな中、遠くから、何かが崩れる、重く大きな地鳴りが響いた。
「……へ、うそ……」
「いゃぁぁあっ!」
「ノクスロスがこっちまで来たのかっ!?」
「早く、早く逃げろっ!!」
まるで微弱な地震のように、テーブルの上の食器がカタカタと揺れる。その音に恐怖心を煽られたのか、食堂内の人々が、声を上げて我先にと扉へと走った。
「おーい、本当に逃げるのかよ……」
「ちっ。頻繁に襲撃されてるらしいって聞いたから、稼げると思ってわざわざ来たのによぉ」
必死の形相で逃げてゆく人々を、苛立ち交じりに見つめる魔法士たち。どうやら、何処かで仕入れた情報を元に、ノクスロスが現れそうな場所に向かっては、こうやって報酬を得ているらしい。火事場の弱みに付け込んだ商売には、眉を顰めざるをえない。
こんな離反者たちの言葉に付き合ってやる義理もなく、累が溜め息を吐いて今度こそ席を立とうとした時、次は目の前の男が声を上げた。
「魔法士! 報酬は、出すっ! 町長に話をつける!」
一緒に雑談をしていた地元の男だ。
睨みつける勢いで、魔法士2人に相対する。その表情には、悔しさも垣間見えた。
「お、おい、そんな勝手に……」
どこかから男に向かって諌めるような声が飛んで来たが、
「町の共益費がある。今年の祭りや道路の整備を諦めれば、何とでも捻出できる」
「だからって……魔法士部隊を待てば良いじゃないか」
「それで後悔したくない。待って、何かあったら、俺はこの時の選択を一生悔やむ」
断言する男に、諌める声は止んだ。
そして男が強い決意の瞳で魔法士たちを見やり、次の行動を促した。
この間にも、遠くから響く破壊音が徐々に近づいて来ている。
状況は、刻一刻と逼迫していた。
「……オーケー。交渉成立、だな。現場へ急ごうぜ」
ニヤリと笑った魔法士が、不敵な笑みで扉へと向かった。それに追従して席を立つ累。
肩にかかったままだった外套が、椅子の上に滑り落ちたが振り返ることはない。
「……おい、坊主?」
「大丈夫です、お構いなく」
地元の男の咎めるような声をあっさりといなし、扉へ向かう。
背後に控えていたスズメが、主人の落とした外套を素早く拾い上げ、頭を下げて見送っていた。
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