第85話 小さな火(中)

 

 その日、ボクは大事をとって医院に泊まることになった。

 堀田さんは、スーツ姿が似合うやけにカッコイイお姉さんが迎えにきた。

 その後、家族と話してから眠ってしまったのだけれど、目が覚めるともう周囲が暗くなっていた。

 そして、狭い病室にはボク一人だけだった。

 非常灯の灯りだけがついた病室は、夏だというのに妙に寒々しくて、まるで幽霊が出そうな雰囲気だった。

 

 ホラー映画が苦手なボクは、思わず目をつむりなんとか寝ようとしたが、そうすればするほど目が冴えてくる。

 そして、悪いことにトイレに行きたくなってきた。

 

 掛けられていた薄いタオルケットをはねのけると、ベッドに座りスリッパに足を突っこむ。

 キイとドアを開け、つるつるした薄暗い廊下をペタペタと音を立てトイレに向かう。

 トイレの天井に二本並んだ蛍光灯は、片方が切れていて、もう片方も点いたり消えたりしていて、そのたびにキンキンという音を立てていた。

 ボクが用を足している間に、残った蛍光灯も消えてしまった。


 トイレの中は、非常灯の明かりも届かず、かなり暗くなってしまった。

 ゾクリと背筋が寒くなり、急いで手を洗おうとするが、暗すぎて洗面台がどこにあるか分からない。

 壁づたいに歩こうと手探りすると、冷たいタイルに手が届いた。その時、視界に小さな火がともった。

 その光でトイレの中が照らされ、洗面台の位置も分かった。


 けれど、宙にゆらゆらと浮いた火は、まるで話に聞いていた人魂ひとだまのようで、限りなく恐ろしい。


「ひっ!」


 食いしばった歯の間から、そんな声が洩れてしまう。

 火がすうっと消えると、再び周囲が暗くなったので、さっき見えていた洗面台へ向かい、苦労して手を洗うと、なかば走るように部屋へ急いだ。


 ひかる姉さんの話だと、ここは古い病院だそうだから、きっと今まで何人も患者さんが亡くなっているはずだ。

 さっき見えたのは、そういった人の霊魂かもしれない。

 そう思うと、体ががたがた震えてくる。ベッドの上でタオルケットをかぶり、亀のように丸くなる。

 怖くて眠れないでいたけれど、カーテン越しに朝の光が入ってくる頃、いつの間にか寝っていた。 

  

 ◇


 ぼさぼさの金髪が顔にかかり、目から上が見えない人物が、まっ白な歯をむき出しにしてボクを追いかけてくる。

 逃げても逃げてもそいつをひき離せない。

 ボクは、何時間も、いや、何日も走りつづける。

 でも、やがてそいつの両手がボクの肩に……。


「あああっ!」


 自分の叫び声で目が覚める。


「苦無君、大丈夫!?」


 堀田さんの心配そうな顔が、鼻と鼻がくっつきそうな近さからボクをのぞきこんでいた。

 彼女の両手が、ボクの肩にかかっている。

 

「はあー、夢だった……」


 悪夢から解放され、思わず長く息をはいた。


「大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫。怖い夢を見てたみたい」


「それならいいんですけど」


 ボクは、トイレでの事を思いだした。

 

「夜、トイレで人魂ひとだまを見ちゃったんだ。だから、変な夢を見たみたい」


「人魂……」


 あっ、失敗した!

 堀田さんって、そういうの苦手だったんだっけ。

 以前、肝試しをしたとき気づいてたのに、悪いことしちゃったな。


「ヒトダマってなあに?」


 視線を動かすと、ケイトさんの顔があった。


「ロウソクの火みたいなのが、空中に浮いてたんだ」


 ボクは、夜のトイレで見た火の玉を思いうかべた。


「えっ!? く、苦無君! そ、それってこんなやつですか?」


 堀田さんが指さす先、ボクの顔から少し離れた空中に、トイレの暗闇で目にした小さな火がゆらめいていた。


 

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