第76話 ピンクウイッチ

 その頃、堀田の周囲は慌ただしくなっていた。

 彼女が住んでいる高級マンション、ここはビル一棟丸ごと伊能家の持ち物であるのだが、その屋上にあるペントハウスの一室では、黒服たちが青い顔でデスクにつき、頭を抱えていた。

 

「松岡がついていてどうして見失ったのよ!」


 部屋の前、一際大きな机に座っているのは、堀田家の長女で、切田家の監視、特に苦無の監視をおこなうこの班のボスである伊能凛子りんこだ。

 肩までそろえた黒髪は、妹と同じ漆黒で、顔つきも美しいものだったが、普段でもきつい印象を持たれやすいシャープな顔立ちは、怒りで目が吊りあがり、直視できないほど怖いものとなっていた。


「報告します! 現場からの連絡で、苦無ターゲットにつけていた式神が、学校近くの公園脇で見つかりました! 術式は解除されていたとのことです!」


 風水師として凄腕である松岡という術者は、万が一、黒服たちが苦無を見失ったときのため小さな式神を彼につけていたのだ。紙で作られた式神がスズメの姿となり少し離れたところから苦無を見張っていた。

 彼らは知らなかったが、ウイリアム=ストーナンの車には、多様な術式に対するアンチマジックがかけてあり、その圏内に入った式神が力を失い、ただの紙に戻ったのだった。 


「しょうがないわね。使いたくないけど、彼女に頼みましょう」


 ため息をついた凛子が手にした端末を叩く。

 十秒ほどで部屋の奥にある壁一面の液晶画面が明るくなり、可愛らしい音楽とともに魔法少女のアニメーションが映った。

 日本人風の顔立ちの少女がピンクのローブを羽織り、手には先にハートがついたステッキを持っている。

 少女は手にしたステッキをくるくる回すと、画面のこちら側にいる凛子にピタリとその先を向けた。


『愛の魔法つかい、ピンクウイッチ登場!』   


 アニメーションを見た凛子のこめかみに青筋が浮く。

 壁のディスプレイと相手を繋いだわけではない。

 伝説のハッカーと呼ばれている相手が、この部屋に電子的な侵入をおこなったのだ。


「だ、だからこいつだけには頼みたくなかったのよ!」


『凛子ちゃん、ご機嫌斜め? 愛の魔法かけたげる! ご機嫌なおれ、ご機嫌なおれ、ぽよよよ~ん♪』


 魔法少女のアニメーションは、画面上でくるくる踊り、杖からパステルカラーの花や星、ハートをまき散らした。

 凛子は、深いため息のあと、疲れたような声で言った。 


「いい? 今からデータを送るから。その少年の現在位置を割りだしてちょうだい。データは、一時間以内に消去すること。下手に扱うと、ウチを相手に戦争になるわよ」


『チチチ、凛子ちゃん、女の子は笑顔が一番よ。その顔じゃ、周りにいる黒服さんたちが可哀そうだと思うの』


 画面上の少女が、小さな指を左右に振りパチンとウインクする。

 閉じた目から、色とりどりの星が散った。


「くっ! つべこべ言わず、仕事をなさい! データ送信完了よ!」


『はーい、愛の魔法でくるくるりーん! もうすぐ私の情報ハートがあなたへ届くわよ』


「報酬は、いつもの通りでいいわね?」


『なぜか、この少年のデータ、固く守られてるの。いつもの十倍ちょうだい』


「くっ、足元を見るわね! 分かったわ! 払えばいいんでしょ、払えば!」


『そんなあなたに愛の治癒魔法――』


 伝説のハッカーが動かす画面上の魔法少女キャラクターがなにか言いかけたが、凛子は端末の電源を切った。そして、手元にあったファイルをデスクに叩きつけ、ペントハウスから出ていった。

 後に残された黒服たちは、顔を見合わせ肩をすくめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る