第68話 ウイリアム=ストーナン

 ストーナン家は、ヨーロッパで力を持つ一族だ。

 銀行業を営んでいた一族は、植民地時代、すでに確固たる地位を築いていた。近世の戦乱で事業を拡大し、フランスはもとより、イギリス、アメリカとその手を広げた。

 銀行のトップは一族の者が占め、今では通信、医療、農業と他分野にまで進出している。

 それでもやはり、この一族がもっとも利益を上げるのは紛争や戦争だ。

 そういった意味でも、二十世紀後半からは、一族の中でもアメリカ・ストーナン家が台頭してきた。


 ウイリアム=ストーナンは、そのアメリカ・ストーナン家でも異色の存在だ。

 神秘主義にのめりこんだ祖母の影響を受け、幼いウイリアムは魔術や呪術の研究に熱中した。

 幸せか不幸か、彼にはその分野の才能があった。

 係累の多い一族の中で、若い彼が注目を集めたのは、ライバルたちが「不幸な」事故や病で次々と表舞台から姿を消したからだった。

 

 そして、ここにきて、一族の中には次期当主として彼の名前を挙げる者も出てきた。

 たとえ魔術を信じていなくても、結果さえ出せば認められるのがストーナン一族の常識なのだ。


 千年の長きにわたり、異能を体系化してきた日本は、ウイリアムの興味を引いた。

 彼は父親を動かし、日本の異能を司る京都伊能家に接触を試みた。

 第二次戦後、占領下の日本ですでに接触だけはしていた両家だったが、ごり押しともいえる、ストーナン家の経済的な支援と引きかえに、現当主伊能辰巳が次女とウイリアムとの婚約を許すことになった。

 

 最初ウイリアムの目的は、婚姻関係を通して、陰陽道に代表される、日本に古来から伝わる異能を研究することだった。

 その彼が京都を訪れ伊能の娘を目にしたとたん、心を奪われてしまった。

 精細なガラス細工のような顔立ち、漆黒の長い髪。美しい少女に、婚約者としての権利を使い、強引に迫った彼は、しかし、生まれて初めて強い拒絶を受けてしまう。

 意に染まぬ者を、魔術と呪術で支配してきた青年は、その手管が通じないからこそ、よけい少女への執着を強めた。


 そして、つい数日前、イギリス・ストーナン家から入ってきた情報には、伊能家がずっと隠してきたある存在について触れられていた。

 切田家の四人、特に苦無少年の【力】は、世界を変える可能性があると。

 しかも、彼の許嫁が常にその少年と行動を共にしているというのだ。

 彼は部下に命じ、すぐさま少年と会う手筈を整えさせた。


 ◇


 ホテルから出てきた黒塗りの高級車、その後部座席に座り、ウイリアムはにやにや笑いが止まらなかった。

 自分の婚約者が苦無少年の前で見せた表情には、今まで自分の前で一度も見せなかった動揺があった。

 もしかすると、彼女は少年を憎からず想っているのかもしれない。

 普通なら嫉妬で苦しむところだが、そのことは、むしろウイリアムの闘争心をかきたてた。


 人を力づくで支配することに喜びを感じる。その精神こそ、彼の一族が持つ特質だった。

 自分が好意を寄せるあの少女が、もし苦無少年を好きならば、無理やり奪うまでだ。

 その考えは彼を興奮させた。


「あっ!」


 運転手の叫びが、車内に響く。

 対向車線を越えた大型トラックが視界に入ってくる。

 正面衝突は避けられたものの、ウイリアムが乗った車は、トラックにはじかれ、ちょうど通行してた橋の外へ飛びだした。


 ザパッ!


 橋げたから川面まで、比較的距離がなかったが、それでもヘッドランプを下にして車が水に突きささった衝撃は小さなものではなかった。

 沈みかけた車の中でエアバッグが膨らむ。

 運転手は気を失ったようだ。

 

「ははは、はははは、あははははは!」


 そんな状況であるにもかかわらず、ウイリアムは大声で笑っていた。


「右肩の脱臼か。面白い、これは面白いぞ! あははははな!」


 誰が見ても、青年の姿は狂気以外のなにものでもなかった。

 しかし、彼には笑うだけの理由があった。

 落下によって痛めた肩の部位と、さきほど彼がホテルのプールで婚約者の少女に触れた部位が、全く同じだったのだ。

 

「本当にあるのだな! ふふふ、これが【力】か。こりゃ最高だ! あはははは!」


 遠くから聞こえてきたサイレンの音にかぶせるように、青年は大声で笑った。

  

 




 

 

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