第56話 王子様と囚われの姫君(6)

 近くで見ると、塔は石造りで、高さが四階建てのビルほどもあった。

 荒れ地の中にすっくと立つ灰色の巨人のようだ。


 塔のすぐそばまで来た時、思わぬものが落ちていた。

 空色のTシャツ、青いパーカー、そして細身のジーンズ、ピンクのスニーカー。

 それは堀田さんが身に着けていた服や靴だった。

 パーカーに手を伸ばしかけたボクは、その下からのぞく白いストラップを見て手を止めた。

 まずい、あれはきっと……。

 

 家の中で、姉さんが下着のまま歩きまわったりするから、それがなにか知っていた。

 よく見ると、ジーンズの下から三角形の布が見えている。

 それは青と白の縞模様だった。

 うん、見なかったことにしよう。


 だけど、服がここにあるということは、堀田さんは裸ってこと!?

 いったいどうして、そんなことに?

 誰かに脱がされた?

 もしそうなら、急いで助けないと!


 ボクは石塔の下部にある、不愛想な黒い金属製の扉へ駆けよった。


 ◇


 朝食をトレイに載せ、階下から運んできた青年ドンが、ケイトが閉じこめられている部屋の前で足を止めた。

 知的な障害があるためか、彼の動きはゆっくりしたものだった。

 ひもで首からぶら下げていたカードキーを、ドア横の黒いパネルにかざす。

 カチリと音がして、ドアのロックが外れた。

 ドアを必要最小限だけ開け、部屋の入口左側に置いてある小テーブルに朝食のトレイを載せる。


「ケイト様、食べてけろ」


 ここに閉じこめられてから、少女があまり食事をしていないことを、この青年は心配しているのだ。

 幼いころから牛馬のように扱われてきた彼にとって、唯一、普通に接してくれた少女は特別な存在だった。

 だからといって、ブリッジス家の当主ブライアンからの命令に背くなどかけらも思いうかばなかった。ブライアン老は、物心ついた時からずっと彼にとっての絶対的な存在だった。


 いつもなら、たとえ食事に口をつけなくても、一言お礼をいって食事のトレイを受けとってくれるケイトが、今日に限って部屋の中央に黙って立ち、眉をひそめこちらを見ていた。

 

「お嬢さま、どう――」


 どうしたんですか、そう言おうとしたドンは、背中を強く押され、よろめいた形で部屋の中へと押しこまれた。

 

「あ……」


 彼が驚きの声をあげたのは、ケイトが両手で彼の右腕をつかみ、部屋の中央へ引っぱりこんだからだ。

 彼女がそんなことをしたのは、幼かったころ以来だ。


「お嬢様、遊びたいだべか?」


 どこか期待を込めた声でドンがそう言ったのは、自分を部屋の中央へ入れるのと入れかわりに、ケイトがドアの外へ滑りでたのに気づいたからだ。

 幼い頃、彼女と一緒に遊んだ記憶がありありとよみがえる。

 それは単調な灰色の生活で、彼にとって唯一つ輝く過去の欠片だった。


「ドン、ごめんなさい! 友達が迎えにきたの。おじい様には、私が無理やり逃げったって伝えておいて」


 お嬢様に友達のお迎えが?

 ケイトを閉じこめる仕事を嫌々やっていた彼にとって、それはむしろ嬉しい知らせだった。

 彼は、首から下げていたカードキーを、ひもごと換気口の隙間から廊下に押しだした。


「ドン、ありがとう! ごめんね」


 廊下を走る足音が、階段に消えると、ドンはケイトが使っていたベッドに座った。

 巨体を受けとめたベッドがきしむ。

 懐かしい匂いのするベッドで、彼はうつらうつらまどろみ始めるのだった。


「お嬢様、ともだちとたくさん遊べたらいいべな」


 夢うつつのドンは、そんな言葉を漏らし、ベッドに横たわった。



 

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