第18話 英国からの転校生
家族旅行から帰ってきた翌日、ボクは午前中から眠気と戦っていた。
「切田、頭がぐらんぐらんしてるぞ」
「「「あははは!」」」
それを国語の露木先生に指摘され、みんなに笑われてしまった。
そして、二限後の休み時間、机にうつ伏せていると、耳元で声がした。
「苦無君、大丈夫?」
それは堀田さんの声だった。
顔を横に向けると、彼女が心配そうな顔でボクをのぞきこんでいた。
「う……うん、だいじょう……ぶ」
「ホント? あんまり大丈夫そうに見えないよ」
堀田さんは、自分の机から黒白チェック模様の下敷きを取ると、それでパタパタボクをあおいでくれた。
「あ、気持ちイイ……でも、もう大丈夫」
原因は分かっている。旅行の疲れと、【術】の疲れとが重なってこうなってしまったんだ。
ボクの【術】は、ときどきこんな症状を引きおこすことがある。
左手首にはめているブレスレットに触れる。
これはボクが生まれた時からずっと身に着けているもので、小豆つぶくらいの半透明な紫色の自然石が連なったものだ。
石は大きさが揃っており、丸い形をしているが、一つだけいわゆる
これはいつも手首の内側につけるようにしている。
右手の指先で勾玉に触れていると、気だるさが少しずつ消えていく気がする。
「苦無君、それ綺麗ですね。いつも身に着けてるんですか?」
「うん、小さな頃からずっとかな。おばあちゃんに聞いたんだけど、赤ちゃんのころは、足に着けてたんだって。亡くなったおじいちゃんがボクにくれた形見なんだって。変わってるでしょ?」
やっと身を起こしてそう答える。
「ふうん」
気のせいかもしれないけど、堀田さんは、いつになく真剣な顔でボクを見ていた。
◇
三限は英語で、クラス担任の立花先生が授業をするのだけれど、彼女が教室に入ってきたとき、騒いでいたクラスから音が消えた。
なぜなら、先生の後ろに見慣れない生徒がいたからだ。
背筋がぴんと伸びたその生徒は、肩まで伸びたストレートの金髪がきらめいていた。
まっ白な肌は雪のようで、穏やかに光る青い瞳が宝石のようだった。
気のせいか、その目がこちらに向けられたような気がして、ボクはハッとしてしまった。
彼女の小さな唇が、ピンク色の三日月になる。笑ったのかもしれないが、それはどこか冷たく感じた。
「Hi, I'm Catherin Bridges. Please call me Cate. 」
滑らかな英語がその美しい唇から流れだした。
ガタン!
音がした方を見ると、なぜか堀田さんが椅子から立ちあがっていて、驚いた顔でその少女の方を見ていた。
「みなさん、聞いた通りです。今日からこのクラスで一緒に学ぶブリッジスさんです。イギリスのご出身らしいですよ。ケイトさんと呼んであげてください」
先生は、いつになくぼーっとした顔でそう言うと、こちらを見た。
「
百木さんの席はボクのすぐ後ろだ。
一番後ろの席で、その横に机はないけれど、ちょっと強引な気がした。
いつもの先生らしくない。
「私、日本語、お勉強しました。ぜひ、お友達になってください」
ケイトさんがさっきとは違う人懐こい笑顔を浮かべ、どこかぎこちない日本語を話すと、クラスは大騒ぎになった。
「俺、俺、俺が友達になる!」
「ねえ、私と友達になろう!」
「私ともよろしくー!」
そんな騒ぎの中で、ケイトさんが両手をパチリと打ちならすと、なぜか立花先生がはっとした顔をした。
「あ、あれ? 私……」
そんな先生の耳元で、ケイトさんがなにか囁いた。
「ああ、自己紹介は終わったのね。じゃあ、授業を始めましょう。さあ、みんな席に着いて!」
怒ったような顔の堀田さんが、立ったままケイトさんをじっと見ていた。なんだか、それがとても気になった。
◇
お昼の休み時間、締めきられたはずの屋上に二つの人影があった。
一つは、金髪の少女。もう一つは、頭の上で丸く髪をまとめた、黒縁眼鏡の少女。
「ケイト、あなた、いったいどういうつもりかしら? あの学級への転入、しかも実名でって、どういうこと?」
「ふふふ、あなたと同じよ、あの少年に興味があるの」
金髪の美少女、その言葉は、滑らかな日本語だった。
「馬鹿なこと言わないで! 私はお役目としてやってるの! 遊びなら、今すぐやめてこの学校から出ていきなさい」
「お役目? それは伊能家から言われた仕事でしょ? 私もお爺様から指示されてここにいるの。だから、あんたにとやかく言われる筋合いなんてないわ」
「なんですって!」
「ふふふ、私とやりあおうっていうの? 八歳で『氷の魔女』と言われたこの私に、あなたごときが勝てるかしら?」
嘲笑を込めたケイトの言葉に、黒縁めがねの少女は静かな声で返した。
「あなたは、なにも知らないのよ。必ず後悔することになる」
夏の陽がさんさんと降りそそぐ屋上は、なぜか薄く氷に覆われていた。
「ホホホ! 後悔ですって? あいにく、いままで後悔なんてしたこともないわ。ぜひ一度体験してみたいものね!」
「なにを言っても無駄なようね。まあいいわ。かつての友達として忠告だけはしたから」
「友達? 友達ねえ。私はあなたが友達だなんて一度も思った事ないわよ」
「そう、それがあなたの、いえ、ブリッジス家の答えなのね」
「ええ、それが『協会』の答えよ」
「……」
黒髪の少女が、その姿をゆらりと揺らすと、幻のように消えた。
残された金髪の少女は、小さな声でこう言った。
「友達……馬鹿ね、友達なんかじゃないわ」
その声には先ほどの力はなかった。
肩を落とした少女も、湯気のようなものに包まれると、その姿が消えた。
後には氷が解けのこった水たまりだけが残ったが、夏の強い日差しにすぐ消えてしまった。
ここのところ鳴きはじめたセミの声だけが、ガランとした屋上に残された。
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