第16話 家族旅行(4)
父さんとボクは、偶然出会った堀田さんと三人で、喫茶店に入った。
レトロな雰囲気の喫茶店は、美術館と同じくらい昔からやっているそうで、店の名前にも有名な画家の名がつけられていた。
堀田さんと並んで座る。
彼女がモジモジしているのが目の端に映るので、どうも居心地が悪い。
父さんは、なぜか微笑を浮かべ、そんな彼女を見ている。
「堀田さん……でしたかな? 以前、どこかでお会いしませんでしたか?」
父さんの質問に、堀田さんのモジモジがよけいに大きくなったように思えた。
「お、お会いしましぇん! あ、い、いえ、お目にかかったことはないです」
「そうですか。京都に出かけたとき、よく似た方にお会いした覚えがあるのですが、人違いだったようです。それより、なにか注文したらいかがかな? ご馳走しますよ」
「ひ、ひゃわわわわー」
「苦無は、なんにする?」
「じゃあ、ボクはミルクティーにする。アイスで」
「あわわ、私も同じものでお願いします」
「アイスミルクティー二つとアイスコーヒー一つお願いします」
父が注文するのを聞きながら横を見ると、なぜか堀田さんがぐったりしている。
「堀田さん、どこか具合が悪いんじゃない?」
「い、いえ! 元気です! もう、すっごく元気!」
両手を握りしめてぶんぶん振っているから、大丈夫なのかな?
父さんが目を閉じ、腕を組んでだまりこんだので、ボクたちのテーブルは静かになった。
隣に座った中年夫婦の会話が聞こえてくる。
「ああ、満足だわ! 印象派の絵があんなに揃ってるなんて、ホント期待以上だった」
「ははは、よかったね。前から来たいって言ってたものね」
「それにここって、『青春の歌』の舞台となった街でしょ。最高の映画だったなあ」
「ははは、憧れの女優さんが出てるってやつだね」
「そう、青峰雪子。綺麗だったなあ。年もそんなに違わないのに、上品でどこかミステリアスなの。憧れたなあ」
「そうだね。確か、彼女、二本しか映画に出てないんでしょ?」
「そうなの。あっさり女優を辞めて結婚しちゃったらしいわ。そんなところも、かっこよかったの。でも、まだ彼女の映画見たかったなあ」
「ははは、ファンからそれだけ応援されると、女優も本望だろうね。本名も出身地も明かされてないから、幻の女優って呼ばれてるんだよね」
「そうなの――」
その時、入り口の土鈴が鳴り、母さんと姉さんが入ってきた。
二人とも、昨日とくらべると、ずっと顔色が良くなってるみたいだね。
「あなた、苦無、ここにいたのね。今、連絡しようと思ってたところ」
「ああ、聖子さん、元気になったみたいだね。こちら、苦無の同級生で――」
父さんが、堀田さんを紹介しようとしたとき、隣のお客さんがぱっと立ちあがり、姉さんに話しかけた。
「青峰雪子さん!?」
姉さんに声をかけた中年の女性は、先ほど映画の話をしていた人のようだ。
「え、いえ、私は――」
「そのお声! 青峰さんね! 私、ずっとあなたのファンなんです!」
「お、おい、おまえ、ご迷惑ですよ。だいたい、あの女優さんなら、お前と同じ年ごろだろう? どうもウチの家内が人違いをしたようです。どうやら、君を憧れの人と間違えたみたいで」
もしかして、姉さんが女優さんと間違えられた!?
まあ、姉さんって美人だけど、さすがに女優業はやっていないし。
思わず苦笑いする。
あれ?
父さん、なんで真顔なの?
堀田さんまで?
姉さんなんか、最高の笑顔なんですけど。
「申し訳ない。美術館で興奮して、ちょっと……」
ご主人らしき人が、女性の背中に手を添え、頭を下げる。
こちらに見えた彼の頭頂部は、かなり頭髪が薄くなっていた。
「で、でも、やっぱりこの方、青峰――」
「いいかげんにしないか。ご迷惑だよ」
男性は自分たちのテーブルにお金を置くと、こちらにはもちろん、店の人や他のお客さんにまで頭を下げ、表へ出ていった。
「とにかく、母さんもひかるも座りなさい」
父さんが、さきほどの夫婦が座っていたテーブルから椅子を一つ借り、こちらへ持ってくる。自分がそれに腰を下ろすと、母さんと姉さんを空いた椅子に座らせた。
「あらためて紹介するよ。こちら、苦無の同級生で堀田さん」
「あわわわ」
「こんにちは、私、姉のひかる。どこかで会ったことない?」
「い、いええ!」
堀田さんが、ノリのいい感じで答えてるけど、それ、どこか間違ってるよね。
「初めましてかしら。苦無の母です。堀田さんでしたね。私のこと、ご存じだったみたいね?」
「え、えええ!?」
「母さん、どういうこと?」
ボクの質問に質問で答えたのは、姉さんだった。
「あー、そういえば、苦無には、まだ言ってないの?」
「なにを?」
「母さんって、昔、女優だったのよ」
「えええっ!」
えっ? 驚いてるのボクだけ? なんで?
「『青峰雪子』っていう女優だったの。なるべく秘密にしておいてね」
そう言った母さんは、しれっとした顔で、父さんのアイスコーヒーを飲んでいる。
「ええええ!」
じゃあ、あの女の人って、姉さんを若い頃の母さんだと間違えたってこと?
母さんが女優してたなんて……初めて知ったよ。
◇
喫茶店で騒ぎを起こした女性は、不満顔で駅への道を歩いていた。
「だって、しょうがないでしょ! あの方、顔も声も、青峰雪子そのものだったんだから!」
妻の早足に、汗を拭き拭き追いかける夫が、悲鳴を上げる。
「はあ、はあ、おい、少し待ってくれ。悪かった! 君の言葉を疑って。でも、さすがに本人ってことはないよ」
「もういいわ! あなたは、私のこと、信じてない――」
振りむいた女性が急に立ちどまったので、夫が彼女とぶつかることになった。
「きゃっ!」
「す、すまない!」
「あ、あなた、その頭……」
女性がぽかんと口を開け、夫の頭を指さす。
「ん? な、なんだい?」
「あなた、髪の毛が生えてる!」
男性が、右手で自分の頭頂部に触れる。
「えっ!? なに? どういうことだ?」
「あはははは!」
頭を押さえうろたえる夫の姿がおかしかったのか、女性は声を上げて笑った。
すでに怒りは消えてしまっていた。
この旅は、彼らにとってかけがのないものになったようだ。
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