第8話 幼稚園での騒動
三日間続いた試験の間、私は気もそぞろで、結果なんてそれはもう悲惨なものでした。
だって、頭の中では、お出かけの日に苦無君と何を話そう、どこかお店に寄れないかしらなんて考えがぐるぐる渦を巻いて、試験どころじゃなかったんです。
午前中で試験が終わると、私の机まで苦無君がやって来ました。
「堀田さん、行こうか?」
それを聞いたクラスの女子が、ぽかんと口を開けています。
学級委員長の百木さんなんか、大きく開いた目がポンと飛びだしそうです。
私はそんな人たちの視線を背に、苦無君と教室を出ました。
廊下で、不良の坂崎君とぶつかりそうになりました。
「おいダンゴ、邪魔……あっ、苦無君! ご、ごめん、すぐどくから」
顔のあちこちに絆創膏を貼った坂崎君は、なぜか苦無君にぺこぺこお辞儀をしています。
この人、こんなキャラクターではありません。なにか変です。
◇
学校から幼稚園までは、歩いて五分ほど。
短い時間ですが、私の人生で最高のひとときでした。
終わったばかりのテストの話しかしませんでしたが、それでも私にはキラキラ光る宝石のような時間でした。
幼稚園に着くと、苦無君は姿勢を低くして、門の陰から園庭をうかがっていました。
タカシ君に見つかると、騒ぎになるからだそうです。
私も彼をマネて頭を下げ、幼稚園の中をのぞき込みました。
苦無君と私、まるで二人してスパイになったようで、心臓の鼓動が早くなりました。
ちょうど子供たちが外へ出てきたところで、子供特有の高い声が辺りに響きます。
元気な子供の声って聞いてるだけで幸せになれますよね。
「うるせえ!」
あっ! 隣に建つマンション二階のベランダへ出てきた男の人が、大声で叫んでいます。
「ギャーギャーうるせえんだよ! 静かにしろ! ぶっ殺すぞ!」
頭の上から突然どなられた子供たちが、泣きだしました。
保育士さんでしょう。何人かの女性が子供たちを抱え、慌てた様子で幼稚園の建物に入っていきました。
苦無君の手が、私の腕をぎゅっとつかみます。
彼の手は意外なほど力強く、痛いほどでしたが、なぜかそれが嫌ではありませんでした。
プツン
気のせいか、苦無君からそんな音が聞こえた気がしました。
ガラッ
男の人が立っているベランダの隣部屋から人が出てきたようです。
その人は、背が高くガッチリした体形で、サングラスをしていました。
黒い背広を着たその人は、ベランダとベランダの間にある仕切りを身軽に跳びこえると、叫んでいた男の人に近づきました。
「だ、誰だ! 不法侵入で訴えるぞ!」
痩せたジャージの男性が、そんなことを叫んでいます。
黒い背広の男性は、彼のジャージを胸の辺りで掴むと、片手で軽々と吊るし上げました。
「お? 不法侵入で訴えるだ? いい度胸してんな、お前。おら! やれるもんなら、やってみろ!」
背広の男性が、吊るし上げた男の顔を、平手で叩いています。
「痛っ! 痛いっ!」
「うるせえぞ、てめえ! 昼間っから、ギャーギャー叫びやがって! 今まで俺がどんだけ我慢してきたと思ってんだ!」
背広の男性が、男を吊るしたまま部屋の中へ入っていきます。
なにかが壊れるような音が、しばらく続いていました。
苦無君は、私の手を取ると、足早に歩きだしました。
「ちょ、ちょっと、苦無君……」
手から伝わって来た苦無君の温もりが、私の顔まであがってきたのか、頬が熱くなりました。
角を曲がったところで、ビルからサングラスを着けた黒服の男性が出てきました。
先ほどの人です。
顔が腫れあがった、ジャージ姿の男性を片手でひきずっています。
「お!? ひかるネエさんの弟さんじゃないですか」
黒服の男性が苦無君に声をかけました。
「こんにちは、武田さん」
どうやら、苦無君は黒服の男性を知っているようです。
「みっともねえとこ見せちまいやしたね。アネさんには、このこと内緒にしといてくださいよ」
「分かってます。じゃあ、さようなら」
苦無君はそう言うと、私の頬がますます熱くなるのも構わず、手を繋いだまま、その場を後にしました。
【因果反転】
発動条件は、強い感情の発露。
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