第6話 小さなともだち

 切田苦無きれたくないが通学で利用する道の途中に、小さな児童公園がある。

 昼過ぎには、近所に住む子連れのママで賑わう公園だが、朝は老人が犬の散歩をしているくらいだ。

 ただ、ここに例外がいる。


「クーにい! お早う!」

「お早う、タカシ君」


 幼稚園の黄色い帽子をかぶった男の子が、くりくりした目を輝かせ、ボクを見上げている。


「お早う、苦無君。いつも時間合わせてくれてありがとう」


 ふんわりした淡い栗色の髪を右手でかき分けている、この女性はタカコさん。

 タカシ君のお母さんだ。


「この子も、すぐ飽きると思うから、それまでつき合ってやってくださいな」


 白いシャツの上にウグイス色の薄いジャケットを羽織ったタカコさんは、いつもオシャレだ。

 そして、すらりとしたその体に、その服がとても似合っている。


「タカシ君に会えるのが嬉しいですから、構いませんよ」


「アン、アンッ!」


「アハハ、ブラウンも、君に会えてご機嫌ね」


 タカコさんが左手に持つリードの先には、茶色い長毛種のミニチュアダックスフンドが繋がれていて、タカシ君そっくりのくりくりした目で、こちらを見ていた。

 ブラウンは、生まれて一年たたないからか、「ワン」と鳴くことができない。


 ボクがタカシ君と最初に出会った時、彼はこの公園のまん中で大泣きしていた。

 初めて持たせてもらったリードが彼の手から離れてしまい、タカコさんは、逃げたブラウンを追いかけて近くにいなかった。


「どうしたの?」


 そう声をかけ、一緒にブラウンを探してあげたのだが、なぜか、それからタカシ君は、ボクに懐いてしまった。

 学校がない土日には会えるのだが、そうなると会えない平日にタカシ君がぐずるそうだ。

 だから、登校途中にボクがこの公園に寄ることにしているってわけ。

 まだ幼いタカシ君にとって、早起きは大変だと思うんだけど……。


 十五分ほどタカシ君とブラウンの相手をして、そろそろ学校へ向かおうとしたとき、タカコさんが緊張した声を上げた。


「あの人……」


 タカコさんの視線を追うと、公園の入り口に、コンビニのビニール袋をぶらさげた痩せた男の人が立っている。三十代くらいだろうか。ぶかぶかの着古した鼠色のジャージと、ハリネズミのように立った髪の毛が、とてもだらしない感じだった。

 青白い顔に、黒縁の眼鏡を掛けたその男性は、タラコのように分厚い唇から、大きなかん高い声を出した。


「お、お、お、お前ら、うるせーんだよ!」


 ボクは、なぜ彼がそんなことを言うのか理解できなかったが、その声に含まれる悪意は伝わってきた。

 だいたい、こんなに不愉快な声、今まで聞いたことがない。


 タカコさんは、タカシくんとボクを促すと、男の人がいるのとは反対側の入り口から公園を出た。

 少し歩き、男の人が見えなくなると、彼女は小さな声で彼のことを教えてくれた。


 あの男の人は、松下という名前で、最近、幼稚園の隣に越してきたらしい。

 彼が住んでいるのは、マンションの二階らしいんだけど、幼稚園の子供たちが遊んでいると、ベランダに出てきて怒鳴るらしい。

 

「あの人、なんでそんなことするんですか?」


 話を聞いても、まだよく理解できないから、タカコさんに尋ねてみる。


「『うるさい!』とか、『静かにしろ!』って叫んでるらしいの」


 うーん、意味が分からない。


「どういうことなんでしょう?」


「なんでも、子供たちの声がうるさいらしいの」


「えっ……」


 ボクは、あまりの事に呆れてしまった。

 子供が賑やかなのは、当たり前じゃないか。

 静かな子供なんて、病気の時くらいしか考えられない。


「その人、松下さんでしたっけ? その人には幼稚園に通ってた頃ってなかったんですかね?」


「それは、あったでしょうね」


「その時は、あの人自身、子供らしく騒いでいたわけでしょう? やっぱり、どうしても理解できないなあ」


「ハハハ、苦無君は、そんなこと理解できなくていいのよ。君はこのままでいてね」


 やっと顔色がよくなったタカコさんが、ウインクする。


「クーにい、学校は大丈夫?」


 タカシ君の声でハッとする。


「タカコさん、今、何時ですか?」


 スマホを取り出したタカコさんが時間を教えてくれる。


「八時十五分ね」


 ヤバい! 全速力で走らないと!


「じゃ、行ってきます! タカシ君、タカコさん、ブラウン、また明日!」


 


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