蒼穹LABYRINTH 【Ⅰ】

孔雀 凌

交際記念日の今日、僕は彼女に一つのサプライズを贈った。


"今日は突然、付き合わせてごめん。

君の喜ぶ顔が見たくて。

交際から五年という月日が経過した記念に、僕からのサプライズ。

この手紙を見ている君は、今『そこ』にいるんだね。






普段、口下手な僕はこんな機会でもない限り、胸中を素直に伝える勇気がなかった。

可憐な姿の傍では、いつも天の邪鬼。

だけど、君は片時も離れずに寄り添い続けてくれている。

嬉しさも、哀しみも、全てを共有できたね。

君は想い遣りがあって、笑顔を絶やすことはない。

僕が君を撰んだ、一番の理由はそこにある。

そんな君に、どうしても伝えなければならないことがあるんだ。

彼方まで続く碧落の見渡しも、今は僕達だけの物だ。






ねえ、初めて逢った時のことを覚えてる?

止みそうで止まない時雨が街全体を覆い尽していたあの日、君は子猫が公園に置き去りにされているのを見つけた。

暫く待てば、新たな飼い主が訪れるかも知れないと、心配そうに何度も湿った地と整備された道路とを君は行き来していたけれど、叶うことなどなかった。

子猫の想いを代弁するかの様に降りしきる雨の中、その細い指先がせめてもと、今にも消え入りそうな子猫が丸く肩を竦めているダンボールに愛らしい藤色の傘を置き手放した。

君はその時、言ったんだ。






『お母さんを説得してみるから、後少しだけ待ってて』って。

小さな命を気遣う女性がいじらしくて、放っておけなくて、僕は黙って見ていた木陰の片隅から姿を現した。

冷たい飛沫から全身を守る物を失った華奢な右手に、僕は自身が持っていた傘を差し出す。

優しい君は何度か受け取ることを躊躇っていたけれど、最後には笑ってくれたね。

その手には確りと僕の傘が握られている。

気恥ずかしくなった僕は、急いでその場を去ろうと背を向けた。

不意に君の笑顔に未練を感じて、僅かな刻の間に振り返ったんだ。

仄かに小さくなった君の姿が、僕が預けた大きな傘に包み込まれているみたいで、何だか愛しくさえ想えた。






翡翠、と名を授けられた子猫は変わることなく、君の腕の温もりを知る。

二年前に僕達が出逢った記念日に、本当は決心していたんだ。

君に大切な言葉を伝えるって。

僕は自分が想う以上に臆病者らしく、妄想上では完璧に愛を貫く自信があっても、現実は想うようにいかないことの繰り返しばかり。

君が素直になれば、照れ臭さから天の邪鬼な態度を取り、冷たく冗談めいて突き放されたなら、幼子のようにその心の内を追ってしまう。

君から優しい笑顔が消えることはなかったけれど、互いの間に距離を感じたこともあった。

微かに漂う重苦しい空気を、僕への見事なサプライズで覆してくれたよね。

表では僕の誕生日など忘れているかのように振舞いながら、不意打ちとも言える、華やかな手料理と祝いの言葉で迎えてくれた。

次は僕が君のために、とっておきの秘策を考えなければ。

口下手で素直ではない僕だからこそ、出来ることを。






そうだね。

折角だから、うんと君を驚かせたい。

自ら考え起こした無邪気な子供のような計画に、君は軽く流して笑うだろうか。

いや、そんな筈はない。

僕を号泣させるほどの反応を君はきっと見せてくれる。






今頃、君はその場所でまだ現れぬ僕を待ちわびているのだろうか。

今日の出先での全ては、僕の計画だとも知らずに。

利口な君は、僕よりずっと要領がいいってことを知ってる。

だから、君へのサプライズ返しはこの場所にしたんだ。

テーマパークにある、巨大迷路を舞台にね。

君は必ず、素晴らしい直感で複雑な迷路を突破する。






『どちらがはやく、ゴールに辿り着くか、競争しよう』

君とここへ来た時に、僕はそう言ったよね?

仮に、僕が迷路の到達地点を探り当てたとしても、君より先にゴールへと赴くことはしない。

最高の贈り物を届けるために、故意に君へその座を譲るよ。

ただし、僕は先回りをして、迷路の出口に君へのプレゼントとして用意した花束と手紙を置いておく。

この日のために、パークで働くスタッフも協力してくれたんだ。






でも、僕が本当に渡したい物は、まだ君の手元にはないよ。

君がこの手紙を読み終えてくれた頃を見計らって、本命のプレゼントを抱えて君の元へと急ぎ足でむかうから。

華奢な左手の薬指に似合う極上の宝を。

だから、もう少しだけ待っていて欲しい。

青空の袂、迷宮を解いたその果てで。"









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