第50話 予想外の展開

「この間はきつい事を言って済まなかった」

 朝一番に健司けんじ隼人はやと板状型集合住宅マンションに訪ねてきた。


 扉を開けた途端に、

「この間は言いすぎた。すまん」

 隼人はやとが頭を下げたのだった。 

 悔しい。

 こっちから頭を下げるつもりだったのに先にやられてしまった。

「いや、僕の方こそ予期せぬ収入に浮かれてて自分を見失っていたよ。助かったよ。ありがとう」

 実際あそこで隼人はやとから指摘を受けなければ、意識誘導されて全財産使っていただろうからね。

「それよりこんな時間にどうしたんだい?」

 二人が訪ねてきた時間は三の刻六時を過ぎたばかりなのである。冒険者エーベンターリアであれば活動している時間ではあるが、あと数日は自由時間のはずだ。

「あーそれな。ヴァルザスさんから言伝ことづて四の刻八時までに屋敷に来いってさ」

 師匠が? なんだろ?


「それはそうとだな…………後ろの金髪巨乳美少女は誰だよ」

 そう小声で健司けんじが聞いてきた。多分食いついてくるだろうなとは予想していた。

 あえて日本やまと帝国語で聞いてくるあたり空気は読めるようだ。

 二人に昨日の出来事を説明すると、

「「なんて羨ましい…………」」

 二人とも口を揃えてそんな感想を漏らした。 

 羨ましい? 結構気を遣うんだけどねぇ…………。



 支度を済ませ師匠の屋敷までの道中でセシリーに健司けんじ隼人はやとの事を紹介し、ここにいる六人で迷宮アトラクション入ることを説明する。

 まずは軽く流しながらセシリーに手信号ハンドサインや用語を覚えてもらうのと装備を整える事、あとは実際に動いて見ながら調整しようって話になった。

 必要な話が終わるタイミングで師匠の屋敷に到着した。もっとも広大な敷地なのだが…………。


「なんか人のざわめきが聞こえない?」

 最初に異変に気が付いたのは和花のどかだった。

 顔パスで敷地に入りしばらく歩いていると確かにかなりの大人数の声が聞こえる。しかも日本やまと帝国語だ。

 声のする方へと早足で向かうと————。


「おい、何人いるんだこれ?」

 隼人はやとが指差した先には競技場よりはるかに広い空き地あり、そこにいるのは黒髪の老若男女でその数は数百人に上る。

 まさかとは思うけど、師匠がここらの奴隷を全部買い取ったのか? でもその意味は?

 そう考えていると————。

「早かったな」

 いつの間に近づかれていたのか声の主は師匠だった。


「先生…………まさかとは思いますが、この人数を身請けしたんですか?」

 和花のどかの言いようはそんな慈善家じゃないからありえないと言わんばかりの言い方だ。間違っていないけど。


「地位も名誉も金もある人がスポンサーだ。俺は依頼されて実行しただけだよ。日本やまと帝国語が話せる者すべて探し出して可能な限り連れてきた」

 なんでも既に適正額で買い取られた奴隷スクラブを倍額で買い戻したりもしたらしい。

 ただすでに迷宮アトラクション内に入ってしまった者など行方の分からない者は断念したらしい。

 あとは心身にダメージを負った者もいたそうだけど面倒だからそのまま送り返すらしい。


 既に送還作業は始まっているらしく、ここに残っているのは順番待ちの者たちと、僕らが身請けした年少組くらいだ。

 年少組が後回しになったのは、彼らが僕らに礼を言いたいと言い出した為だそうだ。

 師匠の集団クランの面々が次々と皆を誘導して送還している中、僕らの存在に気が付いた年少組が駆け寄ってきた。

 口々にお礼を言われ、自分のしたことは無駄じゃなかったんだよね? と自問したりしていた。

 中には元気が有り余っているのか一緒に冒険したいとか言い出す子たちもいたけどそこは和花のどかが丁重に説得をしていた。だが「中等部を卒業して、まだ冒険心が残っていたらその時はおいで」などというのはどうなんだろうか?

 嵐のような勢いで年少組が去って行って師匠が僕らに小袋を渡してきた。

「これ、なんです?」

 聞いてみたものの音と重さでお金だと分かった。だが意味が分からない。

 頭にクエスチョンマークを浮かべていると、師匠が答えを述べた。

「それはお前たちが身請けした子たちの代金だ。依頼人が全額払うとの事なんで、それはお前らに返す」

 なんと戻ってきてしまった。でもこんな太っ腹な依頼人とか誰なんだろう?


「依頼人を紹介する」

 師匠がそう言うと立ち位置をずらす。

 そして見えたのはこちらに歩いてくる和装の初老の男性だ。


「あっ」

 目のいい瑞穂みずほが真っ先にその男性の正体の気が付き声を上げる。

 目を細めてみると…………。


「父上…………」


 居るはずがない人物がここにいることで僕は混乱している。まさか僕を連れ戻すためにここへ来たのか?

 近づくにつれてその人物が間違いなく高屋たかや家当主である高屋たかや護守ごのかみ森和しんわ宿禰すくね将成まさなりであると分かった。2.5サート約10mの位置まで来ると立ち止まる。


 父は左右の手に木刀を一振りずつ持っており右の木刀を僕に投げ寄越した。

 慌てて受け取る僕をよそに父は木刀を正眼に構えこう言った。

「構えろ」

 そう父に言われ正眼に構えた瞬間には父は目の前にいた。【疾脚】による間合いつめからの突きが僕の首を掠める。かろうじて回避が間に合ったが攻撃はそれで終わったわけではない。攻撃を繰り出した父の上体が流れずピタリと一瞬だけ止まり切っ先が今度は袈裟斬りとなる。高屋流の【疾脚多段突き】の変形技だ。

 バックステップで大きく躱し間合いをとる。着地した際の膝のバネを使って間合いを詰め刺突を繰り出す。だがこれは分かっていたとばかりに高屋流剣術の防御の技【刀撥とうはつ】によって綺麗に左側へと往なされ体勢を崩される。父がその隙を見逃すはずもなく往なした木刀が左切り上げの要領で僕の腹部を下を襲う。

 体勢を崩され回避も防御もほぼ無理という状況を打破すべく意図的に転んで地に転がり間合いを取る。ここで追撃されるとジリ貧になるのだが父は追撃してこなかった。十分に距離が開いたので起き上がると同時に木刀を正眼に構えなおしひと呼吸入れる。


 正眼に構えた父に隙は見当たらない。その佇まいは師匠とはまた違った風格を感じる。

「…………」

 長いのか短いのか時間の感覚が怪しくなってきたが、父は気を緩める気配はない。こちらから動いて隙を作らせるしかないと決めた!

 正眼に構えていた木刀を振り上げる。左足を前に出す構え、左天の構えである。その構えを見て父の表情が変わった。ニヤリと笑ったのである。

 その刹那、前足の膝の力を抜き一気に間合いを詰める。【疾脚しっきゃく】からの唐竹は軽く躱される。【飃眼ふうがん】による見切りだ。意表を突くため斬り下ろした木刀を切り返しそのまま跳ね上げる。だがこの【逆飃さかつむじ】も予想していたかのように避けられる。さらに変形の袈裟斬りを放つもゆらゆらと柳の様に躱されてしまう。ゆらゆらと動いているように見えるが緩急によってそう錯覚しているだけである。【飃身ふうしん】と呼ばれる防御術だ。

 太刀筋を何度変えてもゆらゆらと躱され体力スタミナのみを消費していく。高屋流は防御に打刀かたなを用いることはあまりない。

 打刀かたな凄い!の話は優れた使い手が業物や大業物を用いたからこその逸話であってそこらの大量生産品の打刀かたなでは出来ない話なのである。故に打刀かたなを痛めるような防御を戒めている。【|刀撥】という打刀かたなで往なす技もあるが漫画のように受けたりはしない。

飃身ふうしん】からの反撃がないところを見ると此方の体力スタミナが尽きるのを狙っているのであろう。


 同門の対決で相手は格上である。行動の大半は読まれてしまう。なにか手立てを考えないと…………。


 唐突に師匠のマネをして下段蹴りを放つ。これには驚いたようで一瞬表情を変え大きくバックステップで間合いを取る。それに追撃するかの如く【疾脚しっきゃく】で迫り脇構えに近い体勢から左薙ぎを放つ。高屋流【疾脚突きしっきゃくづき】の変形技だ。


 決まった!


 そう思った瞬間には父はいなかった。



 それは勘だった。反射的に左腕を出すと激痛が走った。

残身ざんしん】による回避アヴォイドからの一撃だった。

 僕が決まったと思ったモノは【残身ざんしん】による目の錯覚だったのだ。


 高屋家の決まりで以後は左腕は使えないものとして対処しなければならない。片手持ちに変え中段に構える。いわゆる正眼の構えだ。

 ここで弱気になって下段…………防御向きの地の構えなんて取ったら…………。


 いや、当たって砕けろだ!

 格上の父を相手に守勢で事態が好転するとは思えない。

 ここで構えを変える。

 右足を引き体を右斜めに向け木刀を右脇に取り、剣先を前に向ける。変形の横構えだ。だが意図が分かりやすすぎる。相手にこれから突きを繰り出すぞと教えているようなものだからだ。

 これから試すことは【疾脚しっきゃく】を超える歩法だ。成功すれば一矢報いれるかもしれない。


 左膝の力を抜き重力に引かれて前のめりになり始める瞬間。右足を蹴りだすと同時に左足を前に出す。ほぼ自己流で体得した高屋流上伝歩法【八間やげん】にて一気に間合いを詰める。【疾脚しっきゃく】を越える歩法【八間やげん】による超加速からの右片手平突きを放つ。もう防御は考えていないこれが避けられれば打つ手なしという心境で父の水月めがけて放った乾坤一擲だ。



 やった!  決まったと思った。ただ単純に届いたと思ったことに歓喜した。




 そう思った瞬間、父の姿はなく四方からほぼ同時に無数の打撃が襲ってきた。


「高屋流奥義【残身散打ざんしんさんだ】だ。覚えておけ」


 痛みに意識が遠くなっていく僕はそのまま倒れこんだ。意識が飛ぶ寸前にそう呟く父の声を聞いたような気がした。



 ▲△▲△▲△▲△▲△▲



 目が覚めると目の前に和花のどかの顔があった。

「あ、起きた。どこか痛くない?」

「痛みは…………」

 折れたと思った左腕も全身の痛みも…………ない。

「大丈夫みたいだ」

「良かった」

 和花のどかがそう言って安堵する。僕もいつまでも和花のどかに膝枕させるわけにはいかない。起き上がり周囲を見回すとあれだけいた生徒たちが一人もいない。


「みんな帰っちゃったのか…………」

いつきくんは半刻1時間くらい気を失っていたからね。あ、そうだ————」

 和花のどか魔法の鞄ホールディングバッグである腰袋ベルトポーチから巾着袋を取り出し僕へと差し出した。

「…………これは?」

高屋たかやの小父様がいつきくんにって」


 父が…………なんだろう? 巾着を開けてみると、封筒と…………。

つば?」

 高屋家直系の男子が持つことが許される真鍮製の高屋たかや鍔であった。高屋家直系男子が成人する際に白鞘の打刀かたなと、この高屋たかや鍔が贈られる。慌てて封筒の封を切って中のモノを取り出す。


 予想していたが父の直筆の手紙であった。


 三枚あり順に目を通していく。

 先ほどの模擬戦の評価から始まって、最後にこちらの世界では成人扱いだという事で鍔を贈ると書いてあった。模擬戦が終わった後に急いで書いたのだろう。



 最後の一枚は追伸だった。


 孫が生まれたら見せに来い。それだけが書かれてあった。


 父さん…………まだ早いです。


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