第35話 ある意味地獄だ

「いやぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 それに遭遇した途端和花のどかの悲鳴が下水路に響き渡る。和花のどかが虫を苦手にしているのは知っているが、隣で悲鳴をあげられると流石に耳が痛い。



 僕らは迷宮アトラクションに入って八半刻一五分ほど下水区画エリアの広い下水路の両端にある幅1サート約4mほどの通路を歩いていた。討伐した対象から万能素子結晶マナ・クリスタルを取り出して、それを買い取ってもらうことで生活費としている此処の冒険者エーベンターリア達は買取価格の下落の為なのか、かなり必死に狩りをしているようで入り口付近ではまるっきり遭遇エンカウントしなかった。正直に言えばそれが拍子抜けだったのだろう。気が抜けた状態でちょうどT字路状の下水路に差し掛かった時…………そいつが左側から姿を現した。


 それは艶のある黒褐色をしていた。三対六脚、長い一対の触手を生やしていた。日本やまと帝国でも台所などで見かけるそいつは…………。


 だが流石は異世界というべきかカサカサと大きさのわりに素早いそいつは黒蟲コックローチと呼ばれる種類で体長が0.25サート約1mにも及ぶ巨大黒蟲ジャイアントコックローチだった。

 しかも単独ではなくかなり大量にいるのである。

 迷宮アトラクション掃除屋スイーパーとも揶揄され、活発でよく飛び攻撃的であると言われていて、不意を突かれた僕らは先制されてしまったのである。


 体長が0.25サート約1mにも及ぶ巨大黒蟲ジャイアントコックローチが飛んで襲ってくるという状態に生理的嫌悪感からパニックになっていた。

 しかしそれを冷静に対処したのは健司けんじだった。

 飛翔して襲い来る巨大黒蟲ジャイアントコックローチ三日月斧バルディッシュの一振りで斬って落とす。

 頭部をザックリ割られた巨大黒蟲ジャイアントコックローチは通路でピクピクと痙攣しているのを蹴り飛ばして足場スペースを確保するあたり至って冷静のようだ。

 健司けんじ三日月斧バルディッシュを振り回すたびに一匹また一匹と撃墜され、それを隼人はやとが素早く処理していく。随分と二人の呼吸があっている。それに比べて僕は何もできていない。


「ここは下水路からも襲撃されることもある。油断はするな」

 やることが見つからず焦燥感に駆られていた僕に対して師匠が注意してきた。どうやら見透かされているようだ。

 やはり健司けんじは強い。

 三日月斧バルディッシュの一撃は僕には出せないし、板金軽鎧プレートメイルアーマーの防御力は巨大黒蟲ジャイアントコックローチ程度じゃまず抜けない。

いつきは雑魚狩りには向かないんだから大人しく健司けんじ隼人はやとに任せておけばいい。あの二人は割りと近視眼な思考だからいつきが後ろから手綱を握ってやるんだぞ」


 師匠は一党パーティのリーダーなんてそんなもんだって言って締めくくった。

 指摘されて気が付いた。

 下水路を挟んだ右側通路にも黒蟲コックローチが居たのである。ここは幅も広く松明トーチの明かりが届かない範囲も多い。感覚的に視認距離に突然現れたような錯覚を覚える。

「もうやだっ! 帰る!」

 それの存在に気が付いた和花のどかが心底嫌そうに言う。もちろんそう言って帰ることはないのだけど…………。

 一方瑞穂みずほは実に静かだった。いや、淡々としているというべきだろうか?


 右側から姿を現したのは明らかに今までのより巨大な黒蟲コックローチだった。下水路を挟んでいるがここは天井も高くそして奴らは飛翔する。


 和花のどかの生理的嫌悪感はわかる。


「ほう。超巨大黒蟲ヒュージコックローチか。このあたりで見かけるとなると…………ヤツが近くにいるのか? あれは流石に健司けんじでも咬まれると危険だ。遠距離から削ってやれ」

 師匠に言われて慌てて魔術師の棒杖メイジ・ワンドを取り出す。完全に近接戦闘しか頭になかった…………。


火蜥蜴サラマンダーよ!お前の舌であいつを焼きつくして!」

 先に魔法が完成したのは和花のどかだ。

 和花のどかが左手に持つ松明トーチから火弾が飛ぶ。精霊魔法バイムマジカの【炎弾ファイアブリッド】だ…………。って黒蟲コックローチを焼くの!


綴るコンポーズ創成クリエ第1階梯ファルク攻の位アェクス光矢ボルゥス誘導リェズ瞬閃ウルヅ発動ヴァルツ魔法の矢エネルギーボルト

 そう思ったが疑問は声に出さずに遅れを取り戻すために僕も呪印タルムーをきり呪句タンスラを唱え初歩の攻撃魔法である【魔法の矢エネルギーボルト】を放つ。

 赤と白の矢が超巨大黒蟲ヒュージコックローチへと突き刺さる。


炎弾ファイアブリッド】が突き刺さった際に体表の揮発性油分に引火したからだろう。だが如何せん相手が大きすぎる。引火しつつもそのままこっちに飛翔してくる。

 体長0.5サート約2mにもなる炎に包まれた超巨大黒蟲ヒュージコックローチが自分たちに向かって飛んでくるのである。恐怖心に捕らわれて当然だろう。

 実際僕らは嫌悪感と恐怖心から一瞬思考が固まった。


 炎に包まれた超巨大黒蟲ヒュージコックローチが僕らに迫る。


 だが襲われる事はなかった。

 燃え盛る超巨大黒蟲ヒュージコックローチが真っ二つになって目の前に墜落した。不快な臭いを発しつついまだ燃えている。

 手出しはしないと言っていた師匠が放った無詠唱の【魔力斬リープ・スラッシュ】によって切断されたようだ。 

「何のために剣を持っている。黒蟲コックローチはデカイとはいえ重量は軽い。叩き落とせよ」

 そう師匠に怒られてしまった。

 いやいや、炎に包まれた巨大な黒蟲コックローチとか別の意味で怖いですって! そう思ったがあえて反論はしなかった。



 その後は和花のどか投石紐スリング投擲スローイングし撃墜できなかったものを僕が切り伏せるという作業が続いた。


 まるでゲームのレベリングかレア狙いの為の雑魚狩りでもしてる気分だ…………。

 こういう終着点の分かりにくい反復作業みたいなのは苦手なんだよね。



 結局八半刻一五分ほど黒蟲コックローチを叩き斬る作業に従事した結果————。


万能素子結晶マナ・クリスタルが結構採れたね。これでどれくらいの買い取り額なんだろう?」

 嫌な顔一つせずに黒蟲コックローチを解体して回収役を務めた隼人はやとが妙にウキウキとして売却益を気にしている。

「多くの万能素子結晶マナ・クリスタル大黒蟲ラージコックローチのモノで一番買取の安いものになるが数だけは多い。大黒蟲ラージコックローチ15匹、巨大黒蟲ジャイアントコックローチ8匹、超巨大黒蟲ヒュージコックローチ1匹で、ざっと見て大銀貨4枚ちょっとだな…………220ガルドってところか?」

 師匠がザックリとした計算額を伝えてくれる。

「5人で分けても結構おいしい額じゃね? 普段からこの程度で稼げるなら楽勝じゃねーか」

 そう言ったのは重武装である意味安全な健司けんじだ。

「運悪く下水に落水しなければな。あと黒蟲コックローチ目当てだと病原菌を貰うこともある。治療費は半端ない額をかかるんで注意することだ。それに————」

そういって師匠は超巨大黒蟲ヒュージコックローチの死骸を指差し、

超巨大ヒュージサイズ相手だと流石に食われるぞ。生きたまま食われるのは地獄だぞ」

「そんなもんですかねぇ?」

 師匠の忠告もいまいち実感が持てないらしい。確かに先ほどの戦闘では無双状態ではあった。

「そんな事より体液が口や目に入ったりしてないよな? 病気になると治療費お布施で軽く見積もっても金貨7枚は取られるぞ」


 とりあえず4人とも確認するが誰も粘膜接触はないようだ。

 だが僕を含む直接切り結んだ男三人は返り血ならぬ返り体液でかなり汚れている。


「これだけは何とかしてーなー」

「そんな時こそ生活魔術ユーズアリーの【洗濯クリーニング】だ」

 健司けんじのボヤキに師匠がそう答える。だが師匠が【洗濯クリーニング】を使ってくれるわけではないようだ。

「あ、やっぱ僕ですか?」

 そうだろうなーと思いつつ一応師匠に確認を取ると「あたりまえだろ」と返ってきた。


綴るコンポーズ生活ユーズ第二階梯ルルク減の位スマジナット撒戻レーバウド浄化アティリサナ清浄ジバー除菌イトロイング乾燥ドロゲン対象ドールウィット拡大マリレ発動ヴァルツ洗濯クリーニング

 呪印タルムーをきり呪句タンスラを唱えて魔術を完成させる。目標となるのは僕、健司けんじ隼人はやとの三人だ。

 一瞬全身が光に包まれ、それが消えるころには全身の汚れなどがきれいに落ちまるで洗い立ての様になっていた。僕の力量だとまだ結構負担が大きいんだよね。


「やっぱすげーわ。いざとなったらいつき小鳥遊たかなし生活魔術ユーズアリーで食っていけるんじゃねーの?」

 素養の関係で魔術が使えない健司けんじがベタ褒めしてくれるが、一日に使える数は限られているんだよ…………。今の僕らだと二人合わせても倒れるまで使ったとして20回も発動できれば上出来だろう。一回につき金貨1枚千ガルド取れるので確かに冒険者エーベンターリアをやるより儲かるな。ただ魔術には失敗する確率というのが存在する。人間は中々機械のように同じことを寸分違わず繰り返すのは難しい。もっともその金額を出す冒険者がどれだけいるのかって話である。


 だけど褒められることは悪くはない。 


 古典ラノベの主人公賛美を見ていると彼らは文化レベルも低く、教養もなく、みな純粋なので素直に褒めてるんだなって気がする。どっかの偉い人が言っていた『知らない事は幸せだ』『庶民は無知である事が望ましい』とこの世界の住人はそれなりに教養もあり精神も成熟しているから褒められまくっても裏が透けて見えて気持ち悪いけどね。


「この後はどうする? まだ先に進んでみるか?」

 今日は妙に積極的な隼人はやとがどうするか聞いてくるのでちょっと思案する。そこへ————。


超巨大黒蟲ヒュージコックローチが居たって事は近くに区画主エリアボスが居るかもしれない」

 どうするかと思案し始めたところに師匠が忠告が耳に入ってきた。

 また見事なまでにゲームっぽい存在がいるもんだ。

 この迷宮を作った奴は僕らと似たような存在だったのではなかろうか?

 区画主エリアボスは特定の部屋にいるとかなんだろうか? 


 師匠に確認してみよう。


変異性超巨大黒蟲ミュータントヒュージコックローチは体長1.5サート約6m程の巨体に取り巻きで超巨大黒蟲ヒュージコックローチを数匹連れ歩いている。特定の部屋にいるのではなく下水区画を徘徊しているから注意が必要だ」


 質問に対して師匠の回答がそれだった。

 しかし体長1.5サート約6mとか恐怖しかないな。


「注意って?」

「対策を講じてないと狩られる冒険者エーベンターリアも多い。討伐できれば手に入る万能素子結晶マナ・クリスタルは大きく高価だが、ベテランは狙わない。何故なら————」

 隼人はやとの質問に師匠が答えるのだが、不意に言葉を切る。


「見た方が早そうだ」

 師匠が指差した先には追われている冒険者エーベンターリア達の持つ松明トーチの明かりに照らされて巨大な黒蟲コックローチが映っていた。



「た、助けてくれ!」

 僕らの存在に気が付いた冒険者エーベンターリアたちが助けを求めてきている。彼我の距離は10サート約40mほどだ。

 判断を誤り、対応が遅れれば一瞬で僕らも巻き込まれる。地形的にも人数を展開させて戦闘は出来ない。

 チラリと師匠を見るが、答える気はないようだ。


 見知らぬ他人とは言え同業者を見捨てる?


 いや、いける!


健司けんじ隼人はやと頼む!」

 もう冒険者エーベンターリア達は目前まで来ているし言わなくても通じていると信じたい。

「へいへい」

「了解。貸しひとつだぞ」

 健司けんじ隼人はやとは察してくれたようで、返事と共にそれぞれ武器を握りなおす。

 左にいる和花のどかにもと振り向くと————。


綴るコンポーズ付与エンハンスド第一階梯ファルク付の位デンガン威力ケクアサン強靭タンガ貫通メラリー対象ドールウィット拡大マリレ発動ヴァルツ威力強化エンチャントウェポン


 既に呪文の詠唱に入っていた。完成した【威力強化エンチャントウェポン】の魔術は健司けんじ三日月斧バルディッシュ隼人はやと小剣ショートソードを青白い魔力マーナオーラが包み込む。

 攻撃面はそれでいい。


 なら僕が唱えるのは————

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