第20話 長い夜①

 部屋に戻ってきたけど時間的にまだ10の刻午後8時あたりだが正直やることがない。

 これまでの汚れを落としたいという事で和花のどかが湯桶を頼み今は身体を拭いている。


 僕はと言えばまじまじと見るわけにもいかず窓から街を眺めている。

 こっちの世界は透明で薄い板ガラスは大変高価な為に普及してない事もあってかなり厚めの曇りガラスが嵌った上げ下げ窓だ。ここは四階なので転落防止用なのか鉄格子のようなごつい柵があり、身を乗り出して外を眺めることはできない。

 街灯などが設置されていないので姿は見えないが、悲鳴や意味不明の雄たけびなどが聞こえ気分が滅入ってくる。外の無秩序ぶりに外出は自殺行為だなと感じさせる。


 果たして自由はないが礼節、法、秩序がきちんとしていた日本やまと帝国と人権も命も軽いこっちの世界…………果たして…………。

「僕の選択は正しかったんだろうか?」

 大事なものを守るだけの力が全然ない。師匠は何時まで面倒見てくれるか分からない。あの人は気まぐれだ。


「ごめんね。聞いてなかった」

 そう和花のどかに謝られたが、そもそもこれは独り言だ。

「ううん。ただの独り言だから気にしないで」

「そっかー。ところで私は身体拭き終わったけど、いつきくんはどうする? お湯変えてもらう?」

「いや、身体は拭くけど、お湯はこのままでいいよ」



 体温と大差ない程度にまで温度が下がってしまったぬるま湯で身体も拭き終わり湯桶を一階へと持っていき後は完全にやることがなくなってしまった。時計がないので時間は分からないけど、たぶん11の刻午後10時にはなっていないと思う。角灯ランタンの油もそろそろ切れそうだ。

「野外で生活してると、やれ見張りだなんだってバタバタしてたけど、こうして街に戻ると今度は暇すぎて結構つらいねぇ」

 ベッドに腰かけ足をぶらぶらさせつつ和花のどかがそんなことを言っている。


「なら師匠に言って送り返してもらう?」

 帰ってくる答えが分かっていて、あえて分かりきったことを聞く。これで予想外の回答だったら凹みそうだ。

「まっさかー。やっと手に入れた自由だよ。まー自由と引き換えに失ったものもあるけど、雁字搦がんじがめで機械みたいに決められた事だけやる生活よりは幾千倍もマシだよ」

 そう答える和花のどかは実に清々しい笑顔だった。



 ▲△▲△▲△▲△▲△▲


「しっかし暇っすよね」

「だから多くの冒険者エーベンターリアは酒場で飲み明かし、女を抱くなどして時間を潰す。いつ死ぬかもわからない仕事だからな。故に享楽的に生きるのさ。そしてお金が貯まらない」

「でもゲームとか娯楽が普及しないもんなんですかね?」

「まず大量生産できないから庶民にまで行き渡らない。この世界は生産力に対して人口が多すぎる。それに買えたとしても所得も少ない庶民にはかなり高価な品になるし、遊ぶための時間もあまりない。夜なんかは仕事はないだろうけど、角灯ランタンの油だって安くないからケチるくらいだ」


 ヴァルザスの説明を聞く健司けんじは頭を掻き、

「将棋とかチェスとか流行らせたいんだけどなー」

「それなら余裕がない社会の在り方を根底から変えないとダメだな」

「一番手っ取り早いのは?」

「人口を六割くらい削って、これまでの利権を全部なくして、産業革命でも起こすしか無かろう」

「そりゃ流石に無理かー」

 そう叫ぶと健司けんじはガックリと項垂うなだれる。


「それじゃ話題を変えましょう」

 そう言いて会話に混ざってきたのは聞き手に回っていた隼人はやとだ。

「ズバリ定番中の定番ですが…………人類共通の敵たる魔王とかいますかね?」

「魔王の定義がよく判らんが自称[魔王]なら何人かいるな。だが人類が脅威と感じる規模ではないな。奴らは基本的に弱肉強食社なせいか数が増えない。今のところカリスマ性を持った奴が生まれない。特に個体の強さが売りの種族は繁殖力が弱く頭数が増えない。逆に赤肌鬼ゴブリンは大量にいるがまとまりに欠ける。むしろ人類の敵は人類だな。北方の白の帝国キチガイの自称[聖王]は光の神の生まれ変わりと吹聴するキチガイで信者以外は人の皮を被った魔物と称するくらいには変わり者だ。お前らを強制召喚したのも十中八九その[聖王]の仕業だろうよ」


「もっとゲームみたいに分かりやすい世界に呼ばれたかったなー」

 ため息とともに隼人はやと項垂うなだれる。


「それじゃもう一ついいっすか? 冒険者エーベンターリアって性欲の処理はどうしてるんです?」

 健司けんじの質問は実にストレートだった。

「まずエ〇本が非常に高価で手に入らないし自家発電派はごく少数だな。こっちの住人はお前さんらほど妄想力が逞しくないんだな」

 健司けんじ隼人はやとの目が輝く。

「じゃーやっぱり…………綺麗なおねーさんとお酒が飲める場所でですか?」

「待て待て。冒険者エーベンターリアの場合は、異性の冒険者エーベンターリアを口説いて一夜の相手にする者もいるな。身持ちの堅いのもいるがこっちの世界だと遊び感覚で結構うまくいく場合もある」

「「おー」」

 期待に満ちた健司けんじ隼人はやとに苦笑しながらヴァルザスは話を続ける。

「後は連れ込み宿を兼ねた酒場バラスだな。女給エスポサー心づけチップをはずんでやると運が良ければ腕を組んで二階へご案内だな。

「他には!」

「後は私娼ルリドだな。夜になると歓楽街スケムタナーフバーフィーとかで立ちんぼしてるから判るよ。ただ容姿はあまり期待しない方がいい。私娼ルリドは違法扱いの国が多くてヤッてる最中に踏み込まれてナニとは言わんがまる出しのまんま連行される。私娼ルリド公娼トレドの選考に漏れた者の末路ともいえるな。その分だけ安いが性病などのリスクも付きまとう」

「治療費とかどれくらいかかるんです?」

 あわよくば二人は行ってみたいと目で訴えかけている。

「最安値で金貨32000ガルド32枚だな。使い手の実力と病気の深刻さによってはさらに高額になる」

 その金額の高さに二人は押し黙る。それ見つつヴァルザスは話を続ける。

「値段は高いがリスクなしなら公娼トレド神娼ハーロットだな」

「ほうほう」

 鼻息の荒い健司けんじ隼人はやとを宥めつつ話を続ける。

「とりあえずお前ら落ち着け。公娼トレド商人マークアンテ組合ギルドと各国が手を組んでる高級妓館ブロセルだ。公募で選抜された美人に高い教養を施して貴族や富裕層などの相手もできる淑女に育ててる。妓館ブロセルとは言うが客の中には美人と食事と会話だけを楽しむのも多い。彼女らは契約上の問題で妓館ブロセルから出られないが衣食住が富裕層レベルだし精神的にも余裕がある。健康管理も義務付けられているから一安心だな。神娼ハーロット愛欲の女神アストリアの神殿が運営している。信者からすると行為そのものが神聖な儀式なんで客は選ばないしお布施もお財布にやさしい。ただし国によっては邪神認定されてるんでどこにでも存在するわけではないけどな。そんな感じだ」

 黙りこくった健司けんじ隼人はやとを眺めつつ、

「明日からの二週間二〇日の特訓が終わったら褒美に連れて行ってやるから我慢してろ」

「「マジですか!」」

 見事にハモっていた。

「しっかしだな…………そんなにやりたいか?」

「穴があったら入れたいくらいにはやりたいです!」

 隼人はやとが興奮を抑えきれないのか大声で宣言するも隣室から「うるせー」と壁を激しく叩かれ押し黙る。



 ▲△▲△▲△▲△▲△▲



「なんか隣の部屋が賑やかね? いつきくんは向こうの部屋がよかった?」

 そう言って和花のどかが顔を寄せてくる。その表情はいつになく艶っぽくて————。


「そんな事ないよ」

 一瞬流れに身を任せてこのまま接吻口付けを交わしベッドに押し倒したくなる衝動に耐えた! 

 やったよ! えらい! 褒めて! と心の中で喝采した。

「明日は早いしもう寝よう」

「…………うん。そうだね」

 一瞬間があった。

 何を言いたいかは何となくわかっている。でもまだ駄目なんだと自分に言い聞かせる。

 そして角灯ランタンの明かりを落とし部屋が闇に包まれる。







「意気地なし」

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