最終章 仲間のはなし

#7-1

 ――そういえば、空田ちゃんが俺に笑ってくれたことあったかな。

 仲間内で話しているときには、何度かあった気はするのだけどなと、沖島朔人は、彼女が自分ひとりに対して笑ったことはなかったのではないか、と考えてしまうのだった。

 自分の見ているところで、微笑んでくれる空田こころをはっきりと見てみたい、と思うことは、罪でもなんでもないだろう、と沖島は思う。本気で好きなのだと気が付いたのがつい最近でも、彼女がいま誰を思っているのかもわからないほど、沖島は鈍くない。だからこそ、せめて一度くらいちゃんと、自分ひとりに向けた笑顔をと望むことは、当たり前であって恥ずかしいことでもみじめなことでもない。

「それくらい、許されるよな」

 スマホのアプリゲームの戦闘画面で、攻撃を受けたキャラクターが声を上げる。とん、と指ではじくように叩いて、沖島は息をついた。――それさえも許されないのであれば、こんなに不毛で、それこそみじめだ。

「最近、ついてないよな……」

 ぽつりとつぶやいて、沖島は戦闘が終わったゲームのブラウザを閉じ、そのまま枕に顔をうずめた。


 練習試合とはいえ、うちの剣道部は部員が少ないから、受けてくれるところは本当にまれだ。今日は久しぶりの練習試合の日で、「はやく本当の試合がしたいよなあ」と近山くんが語尾を伸ばす横で、瀬里先輩が、「部員が全然足りてないからな、しばらくは無理だろ」とグチっている。

「練習だろうが本気でやれよ。大将戦に入る前に全員負けたとかやめてくれ、本当に」

「土田も強くなってきてるし、沖島も実力はつけてきてるから、なんとかなればいいなと思ってます」

「なんとかなる、じゃなくてもぎ取るくらいの気概でいけって言ってるんだよ」

 近山くんと瀬里先輩の会話は、なんだか先輩後輩らしさがあって良いなあと思う。このふたりは最初からそれなりに仲が良くて、二人にそれをちらりと聞いたときには、「俺と瀬里先輩はずっと同じところでやってきてるから」「土田は覚えてないみたいだけどな、俺は小学校のときの剣道教室にもいたんだぞ」と言ってたっけ。

 二人の話を近くで聞いていたらしい土田くんが、「え、そうなんですか?」と驚いて、その土田くんの返事に、瀬里先輩が「だろうな。お前はそうだと思ったよ」と不服そうにしていたのは、いつものパターン……なんだけど。

 瀬里先輩と土田くん、近山くんの三人によくよく話をきくと、三人は小学生のとき、同じ剣道教室に通っていたそうだ。そこには颯大も通っていたらしく、そもそも四人はそこで知り合っていて、そこで一番うまかったのは土田くんで、だから高校で土田くんと再会した近山くんは、土田くんを剣道部に誘ったのだとか……。

 いまは瀬里先輩が一番強くて、二番手に近山くん、そして三番手が土田くんだ。

 力関係が変わってしまったのは、土田くんが剣道教室をはやくに抜けてしまったからだということも、みんなが私にも話してくれるようになっていた。

「沖島くん、なんか元気ない?」

 ふと、瀬里先輩と近山くんのなかになら進んで入っていくはずの沖島くんがぼうっとしていることに気が付き、私は声をかけた。この間のこともあるし、もしまた誰かが倒れでもしたら、と思ったのだけれど、見る限り顔色は悪くはなさそうだ。なにか落ち込むことでもあったのだろうか、とやんわりたずねると、沖島くんはやっとこちらを見て、「いや? なんもない、なんもない。セーシントーイツしてんの」

「精神トウイツ?」

「今日はさ、俺、絶対勝ちたいわけ。最近本当にかっこ悪くてさ、空田ちゃんに見せらんねえじゃん」

 にんまり白い歯を見せる彼に、私は首を傾げる。「カッコ悪い? どういうこと?」

「ま、意味がわかんないでいてくれるなら、それはそれでありがたいけどさ」

 唇を尖らせた沖島くんの肩を、瀬里先輩が強く叩く。「いたっ」と声を上げた沖島くんに、「お前はほんと、強くなってきてるだろ。自信持てば勝てるっての」

「先輩は本当にさあ。ガリガリのくせに力がツエー」

「誰がガリガリだよ。筋肉はある」

 このふたりも、本当に親しいんだな、と思う。あんなにばらばらだった最初の剣道部が嘘みたいだ。それは本当に良いことで、だからこそ、私もこの中に入れていたらすごくうれしいなと思うのだ。思うだけで、もちろん「私も仲間に入れているのかな」なんて、旭ちゃんにもきいたことないけれど。

「空田ちゃん、めちゃくちゃ応援してな? 俺、今日は絶対勝ちたいんだよ。やりたいことあって」

 「やりたいこと?」とたずね返すと、沖島くんはやや間をおいて、「……そ。勝った後に、どうしてもしたいことがあるんだ」

「なんか、今日じゃないとなにもできなくなる気がするんだよな。俺、こういう勘、すげー当たるの」

 そういって笑った彼の表情が、どこか寂しそうに見えたのは、なぜなのだろう。「沖島くん?」と彼を問うように呼んでも、彼は「なんでもねー。忘れていいよ」と笑うだけだった。

「空田」

「? なに?」

 土田くんに声をかけられて、私は振り向く。土田くんはバスに乗り込む沖島くんの背中を見ながら、「あいつ、どうかしたのか? 様子が変だけどさ」

「やっぱり、ちょっといつもと違うよね? 落ち込んでる、みたいな……」

「落ち込んでるっていうか、なんか違うよな。ひょっとするかもな」

「うん?」

 土田くんは、私の目をまっすぐ見て、さっぱり笑う。「勝つかもな。あいつ」

 ぼそりとつぶやいた土田くんに問い返す間もなく、行竹先生が私たちに早く乗るよう声をかける。あわててバスに乗り込むと、それでその会話はなんとなく流れてしまった。

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