#6-4
土田くんの家は古い木造の一軒家で、チャイムを押すと、厳しそうな雰囲気の、でもどこか土田くんに似ているおばあさんが出てきてくれた。
おばあさんは最初、ぐったりとした様子の土田くんにとても驚いていたけれど、慌てることなく私と近山くんの説明に頷いてくれて、すぐに家にあげてくれた。
土田くんの部屋は二階の一室で、六畳半くらいの広さだろうか、ベッドはなく、畳の部屋に、すこし広めのシンプルな机と椅子が、部屋に入って左の壁に沿って置いてあり、正面の壁の真ん中には、空気を入れ替えていたのだろうわずかに開かれている窓、その窓にかけられた深緑のカーテン、椅子の下に丸いラグが引かれている。それだけの殺風景な部屋だった。
布団はこの中だろうかと、私は押入れから布団を出して引いた。近山くんはそこに土田くんをゆっくり寝かせて、私が掛け布団を掛ける。
「俺はちょっと、おばさんにちゃんと事情を説明してくるから、空田さんは土田を見てて」
「うん」
土田くんは目を固くつぶって、頬は真っ赤に染まっていた。苦しそうに寄せられている眉間のしわも、なんだかとても心配になる。酷い風邪を引いたのだろうことはすぐに察することができて、もしかしたらまた、学校を休むことになるかもしれないなと思うと、それだけで私の気持ちが沈んでいく。彼が学校を休むと、あの二年生と彼らが喧嘩をしたときのことを思い出すのだ。
そんなことを私がぐるぐる考えていると、土田くんはわずかに目を開けて、ちらりとこちらを見た。私も土田くんを見ていたから、すぐに彼の視線に気が付く。彼はぼうっとしていて、きっと熱で頭がぼんやりするのだろうなと私は考えていた。「空田、ごめんな」
「謝ることなんてないでしょ」
「迷惑かけた……ばあちゃんにも心配かけてしまったし」
「おばあさんには、近山くんがいま説明してくれてるんだって。土田くんはちゃんと寝てて。もっとひどくなったら、お母さんたちもすごく心配することになるよ」
私の言葉に、土田くんはこちらをじっと見る。なんだろうと思っていると、彼は顔を天井に向けて、目を閉じてしまった。ゆっくり、小さな声で彼が言う。「母さんは、俺のことなんて心配しないから。あの人が、そんなことするわけない」
「え?」
「俺さ……母さんに捨てられたみたいなもんなの。ばあちゃんはちゃんと血が繋がってるし、捨てられたっていうとゴヘイあるかもだけどさ……なんだろうな、この話すると、みんな俺に同情してくるから、すっげー嫌なんだけど……」
「私に話しても良いこと……?」
彼がゆっくり話しているのを、つい遮ってたずねてしまう。彼はこちらを流し見て、目だけですこし笑ってくれた。「空田には、良いかなって。同情されても」
「……俺さ、前、近山のことでキレたじゃん。なんで俺が剣道部に入った理由もわかんねえの、部長やめるなんて言うんだよってさ。あれ、そもそも入った理由がさ、あいつに、お前がいてくれたら助かる、って言われただけだったわけ。そんだけで、そんなの当たり前の言葉だったんだろうけどさ、すげえ、初めて誰かに必要とされたなって思っちゃってさ。だから勢いで、いいよ、って言っちゃっただけだったんだ。そんだけだったのに、必要とされてる、認められてるってすげえことなんだなって思ってさ。なのに、あのとき簡単に部長辞めるって言われて、あ、こいつは俺がなんで入ったのかすら、知らなかったんだって」
「思って……はは、そんなの、よく考えたら当たり前だよな。当たり前の誘い文句だもんな」と言って、土田くんは再び目を瞑る。私はなんだか、その話をきいていて、彼の言う同情なのかもしれないけど……すごく、彼の気持ちが理解できる気がしていた。
認められるって、すごく力が湧いてくることなんだ。
必要とされるって、すごく……すごく嬉しいことなんだ。
「……土田くんの気持ち、すごくわかるよ」
「なんか、空田に言われると、本気でそう思ってんだろうなって思うな。なんだろうな」
「本気だもん。本気って思ってもらえないと、逆に困る」
私がそういって笑うと、土田くんはこちらをとても優しい目で見た。「もう寝なよ」と声をかけると、「言われなくても」と彼はまた天井を向いて目をつぶる。私ももう、彼になにも言わずに、部屋をそっと出た。
部屋のすぐ外には、近山くんが立っていた。彼はすごく真剣な顔でぼうっとしていて、はっと私に気が付くと、いつもみたいに笑うこともなく、その真面目な顔のまま小さな声で言った。「俺、本当に馬鹿だな」
「え?」
「帰ろうか、空田さん」
近山くんのお母さんの待つ車に乗り込んで、すこし行ったあと、窓の外をぼんやり眺めていた近山くんが、顔を両手で覆って深いため息をついた。私はその彼のとても落ちこんでいるような様子に首を傾げ、「どうしたの、だいじょうぶ……?」
「――うん。俺は大丈夫。でも、あいつがあんなこと考えてたなんて、全く気が付かなくて……すげえ自分が情けないよ、いま」
「……きいてたの?」
私がきくと、近山くんはちらりとこちらを見る。それから泣きそうに笑った。「きくつもりはなかったんだけど、襖がすこし……俺が閉め忘れたんだろうな、……開いててさ、話が聴こえてきて」
「俺、あいつのこと認めてるよ。本気で剣道部に必要だから声かけたんだ。でも、あいつがそのことをあんな風に思ってたなんて知らなかったし、親のことも……知らなかった。知ってたら俺、絶対、部長辞めるなんて言わなかったのに……そんなこと言っても、終わったことなんだろうって、今更なのもわかってるんだけど……」
「うん……」
近山くんの言葉に、私はそう相槌を打って、なにも言えなくなってしまう。近山くんの後悔がすごく伝わってくるのは、彼がもう私のほうを見ることができない様子でうつむいて、一言一言選びながら、ゆっくり低い声で話しているからだろう。
それきり私たちは口を開かず、車内はずっと重たい沈黙がおちていた。
◆
「朔人、酒のも」
「やだ。俺はもう一滴も飲まないっつってるだろ、姉ちゃん」
リビングで携帯を横に倒し、ゲームをしている沖島に、彼の五歳上の姉が冷蔵庫から取り出したばかりの缶チューハイを差し出せば、彼はあっさり姉の誘いを断った。そんな彼の様子に、おやと姉は首を傾げる。「めずらし。あんなに飲んでたのに」
「バレたら部活停止になりかねないだろ」
「それ、最近よく言うけど。まじで変わったね、朔人」
「は?」
変わった、という言葉に、沖島は心底嫌そうに顔を歪める。「おっ、良い顔」と沖島の姉は、沖島に差し出したのとは別に、自分用に出していた缶チューハイをあおった。
「私はさ、いいことだと思うよ。あんたがやっとなにか見つけてさ」
「気持ち悪いことを言うなよな」
「なにが気持ち悪いの。いいことでしょ、一丁前にさ」
そういって、姉は沖島の頭をぽんぽんと叩く。風呂上りで軽装をしている彼女の、茶髪からシャンプーの匂いがした。「やめろ。ほんとに」と言って、沖島はその手を払う。
「可愛くない弟」
「俺、部屋もどる」
がたんと音を立ててソファから立ち上がり、沖島は携帯の画面を見つめたままリビングから出ていく。廊下の隅の自分の部屋に戻って扉を荒々しく閉め、沖島は深いため息を吐いた。小さく悪態をついて、ベッドに寝転がる。「くそ姉貴」
「なにが、なにか見つけただよ。俺はなにも変わってない」
呟いても、反応する者はなく、むなしくゲームの効果音が部屋に響く。沖島は携帯の画面を切って、ブラックアウトした画面に映る自分の不機嫌な顔に、くるりと携帯を裏返した。
「くそつまんねえ」
こういうとき、無性に部活にいきたくなるのはなんだろう、と沖島はぼんやり思う。瀬里花や空田こころの言葉を、姉の言葉に次いで思い出し、なぜか今度は嫌な気持ちになるよりも先に、ふとこれが「熱中している」ということか、とはたと気が付いた。
――いや、ありえないって。
――でも、これがそういうことなら……。
そんなに悪くないかもな、と思う。電源を落として背面を向けた携帯を再び手に取り、なんとなく再びやる気が出たゲームを再開して、沖島は大きな欠伸をした。
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