#6-3

 大きな声を出して、沖島くんが木刀を振り上げ、瀬里先輩に向かっていく。瀬里先輩は相変わらず機械のように正確にその攻撃を防いで、瞬く間に沖島くんは面を取られてしまった。

「くっそ!」

「言葉が汚い」

 一礼した後に、心底悔しそうに沖島くんが声を上げると、瀬里先輩はそれを軽くたしなめてからふんと愉快そうに口角を上げた。「まあでも、強くなってきてるよ、お前」

「負けた後に言われても嬉しくねえんすよ」

「勝った後には絶対言わないっての。今しかきけないぞ、有難く拝聴しろ」

 ハイチョウ? と首を傾げる沖島くんに、瀬里先輩は呆れたとばかりにため息をつき、なぜか話は近山くんに飛び火する。「近山。辞書持ってこい」

「ハイチョウっていうのはな、話をきくって意味の謙譲語だよ」

「一家に一台、近山……」

 近山くんがハイチョウの意味を答えて、私と沖島くんは同じことを思ったらしい。沖島くんの言葉に、それをそばできいていた瀬里先輩が「アホの会話だな」と呟いた。

「で、土田はなんで黙ってるわけ?」

 瀬里先輩に声をかけられて、珍しくぼうっと外を眺めていたらしい土田くんが、やっとこちらを見る。「あ、何の話ですか」

 土田くんの、会話を全くきいていなかったらしい様子に、近山くんが「まあいいんだよ。なんでもない」と笑った。それで、土田くんもまた外に視線を移してしまう。

 なんだか様子が変だな、と思ったのは、私だけではなかったらしい。近山くんが土田くんに近づいて行って、心配そうに小声でなにか話しかけている。そんな近山くんに、土田くんは小さく首を横に振ると、その唇が、なんでもない、と言っている風にそっと動いた。

「なんか変じゃねえ? あいつ」

「沖島くんもそうおもう? 私もなんか……、なんだろう」

 心配している私とはすこし違うけれど、沖島くんも気にはなっているらしい。なんだろう、土田くん、なんだか調子が悪そうというか……。

 いつもより元気がないし、稽古もいつもより休憩の時間が多いように見える。休憩、というか、木刀を振るときにあまりにもふらつくから、近山くんと瀬里先輩が止めてしまうのだった。止められたそのときは不満そうな顔をしているけれど、それは徐々に苦しそうになっていって、彼はいまみたいに道場の壁際に座り込んでしまっている。

「空田、土田の様子、見てて」

「はい……」

 瀬里先輩にそう言われ、私はちらちらと土田くんのほうを見ていた。つらいならつらいって言ってくれないと、倒れでもしたら……。彼は無理をするところがあるから、やっぱりなんだか心配になってしまって仕方がない。

 そのときだった。壁にもたれていた土田くんが、大きな音を立てて前に伏せてしまったのだ。――土田くんが倒れたのだと私が状況を理解するよりはやく、沖島くんが大声を出す。「土田!」

「空田っ、行竹先生呼べ! 近山は俺と、土田を保健室に連れて行く!」

 瀬里先輩が出した指示に、私は混乱したまま慌てて行竹先生を呼びに走る。道場をばたばたと走り出る間際、近山くんと瀬里先輩が土田くんを抱えていこうとしているところに、沖島くんが素早く手伝いに入っていくのが見えた。

「熱が高いわね。……私が車で家まで送ってもいいんだけれど、土田は嫌がるでしょうし」

「俺が連れて行きます。空田さんも手伝ってくれるか?」

 薬品の匂いのする、嫌に静かな保健室で、土田くんの寝ているベッドの、引かれたカーテンの外に立っていた私を名指しして、近山くんが保健室の先生と話している。

 「土田を近山と一緒に家まで送り届けられるかしら」と保健室の先生が改めて私にたずねる。私は頷いた。「はい」

「場所は、近山なら知ってるわよね?」

「はい。大丈夫です」

 そういって、近山くんは丸椅子から立ち上がる。近山くんが土田くんに声をかけ、彼があまり歩けそうにないことを確認して、土田くんの腕と腰を抱えるかたちで、近山くんは土田くんを連れて保健室を出た。私もそのすこし後ろを無言で歩く。

 てきとうな廊下の隅で一旦土田くんを座らせて、近山くんは携帯を取り出し、自分のお母さんに車をだしてもらうよう頼んでいるようだった。それからしばらく待って、かかってきた電話を取り、近山くんは私にすこし緊張した顔で言う。「母さんが車で送ってくれるってさ。空田さんもくる?」

「うん、いくよ」

 そう私は頷いて、近山くんのお母さんの運転する車に土田くんを連れて乗り込み、そのまま土田くんの家に行くことになった。

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