#6-2
「空田ちゃん」
沖島くんが私の教室に訪ねてくる回数が、最近増えた気がする――と思いながら、私を呼ぶ彼に近づいていく。金髪もだし、ひとつひとつが目立つ沖島くんが教室にくると、最初はクラスのみんなが戸惑っていたけれど、最近は彼が本当によく来るのもあって、みんな慣れてしまっていた。
「泉川、空田ちゃん借りていい?」
沖島くんが、さっきまで私と話していた旭ちゃんに声をかける。旭ちゃんは顎を触りながらうーんとうなって、「いいけど、高くつくからね」
「よっしゃ、購買のカレーパンでどう?」
沖島くんが旭ちゃんに、持っていた三個のパンのうちひとつをかかげて見せると、旭ちゃんはわざとらしい顔をして、「仕方ないなあ。いってらっしゃい、こころ」
「カレーパンで買収された……」
「あれ、空田ちゃん、俺とメシ食うのは嫌?」
がっくりと肩を落とす私に、沖島くんはにんまり笑う。そんな彼に私はちょっと頬を膨らませる。
「でも私、お弁当食べちゃったんだよ」
中庭に連れていかれながらそう言えば、沖島くんはあっさりと、「そう? ま、いいんじゃね」
「よくないでしょ……」
つい、苦笑いがでたあとで、ふと、面白い人だなと小さく笑ってしまう。そんな私に、前を歩く沖島くんは気が付いていない。でも上機嫌だから良いかな、とも思ってしまう。
――なんか、沖島くん、変わったな……
最初会った時は、本当に軽くて、なんなんだろうこの人って思ったのに。剣道部に入ってくれても寝て過ごすばっかりで練習に参加しないし、颯大に喧嘩売られて買っちゃうし。いや、颯大との喧嘩は、どっちが先かわからないか……。
「沖島くん、変わったね」
「ん?」
そんなことを考えていたせいか、気が付くと私はぽろりとそんなことを言っていた。沖島くんが目を丸くしてこちらを振り返る。それから彼は「そうかあ?」と声を伸ばして、「空田ちゃん。こっち座んなよ」
沖島くんは、座ったベンチの横を軽くぽすんと叩く。私はこころよく頷いて、その彼の隣に腰を下ろした。こんな風に彼と昼ご飯を食べる回数も、かなり増えてきたように思う。いわゆる、男友達、って奴だろうか。
「勘違いだな、それは。俺は空田ちゃんにはいつも優しい」
「なんのはなし?」
「さっきの。俺が変わったってやつ」
そう言って、沖島くんは口を弓なりにして笑う。私は首を傾げた。「優しいけど、そうじゃなくて、私が言いたいのは……まあいいけど……」
「土田のことはいまも嫌いだしな、俺は」
「そうじゃなくて……って、まだ嫌いだったの?」
私が呆れてききかえすと、沖島くんはパンにかぶりつく。それを飲み込んでしまってから、「そりゃそうでしょ」と本当に嫌そうに答えた。
「瀬里先輩はまあマシ。近山もマシ」
「でも、剣道部のことすきでしょ」
私の言葉に、沖島くんの動きが一瞬止まる。彼はゆっくりこちらを見た。その顔が本当に嫌そうで、なんだか笑ってしまう。「え、ここで笑うの、空田ちゃん。ひどくね?」
「俺はまじで嫌だって話、してんだけど」
「楽しそうに見えるよ、剣道してるの。前、沖島くんのこと褒めてる人いたし。沖島くんは運動神経が良いから、うまくなりだしたらすごいって」
私がそう、あの出稽古のときのことをぼかして話すと、沖島くんはなんだか恥ずかしそうにも嫌そうにも見えるくしゃくしゃの顔で頭を掻いた。「それ、すっげーへこむな」
「えっ?」
「いまは下手ってことだろ、まあいいけど。その通りだし」
「あ、ご、ごめん」
失言だったのか、と反射で口元を手で隠した私を、沖島くんは笑ってくれる。「冗談」と一言呟いて、沖島くんはパンの残りを頬張った。二個目のパンの袋に手をつけたところで、「なあ」と沖島くんは私を呼ぶ。
「俺さ、今更本気になっても遅いってわかってるんだよな。でも、あのときかばってくれたのがすげー嬉しくて、たぶんそのほかにもあってさ。気が付いたらっていう」
沖島くんがこちらを見ないままそう、伝わりにくいことを言う。私はわからないなりに剣道の話だろうかと解釈して、「本気になったのは、私は嬉しいけど、……?」
「剣道の話じゃないから……いや、いまは剣道の話でいいや」
彼はこちらをまっすぐ見て、なぜかちょっと照れたように笑った。
◆
「あいつには、どうしても負けたくねえんだよな」
部活動を終え、道着から着替えながら、沖島が呟く。部室には沖島のほかに瀬里しかおらず、だからこそ沖島は、心の一番奥で燻っている黒いわだかまりを出せたのだった。瀬里はその言葉に、「土田のこと?」と短く問う。
「さっすが、よくわかってる」
「お前が文句いうような奴、土田しかいないだろ」
「ま、そりゃそっすね」
瀬里がシャツに腕を通しながら言った言葉に、沖島は額を軽く掻いた。瀬里はそんな沖島を横目で見て、「土田は、悪い奴ではないと思うけど。口は悪いけどな」
「悪い奴とは思ってないんすよね。なんでか気に食わねえ」
「なんでか、じゃないだろ」
瀬里の言葉に、沖島は舌を巻いた。「言う相手間違えたな」と沖島は思ったが、言ってしまったのだからと、瀬里の言葉をぽつりと肯定する。「ま、そっすね……」
瀬里はそんな沖島の様子に耳だけ傾けながら、「なにが気に食わないんだよ」
「……あいつだけ、なんでも持ってるでしょ」
きいたこともないくらいに、情けなく自信のない低い声で、沖島が言う。瀬里はやっと沖島のほうを振り向いた。沖島が言葉を続ける。「俺、そもそもなにかに熱中してる奴、大嫌いなんすよね。その鼻っ面へし折ってやりたいって思う。俺と同じくらいモテるやつも嫌い。土田は俺の嫌いなタイプに全部当てはまってるんですよ」
「羨ましいってことか」
瀬里が返した短い言葉に、沖島はかっと赤くなり声を荒げる。「なっんでそうなるんすか!」
沖島の様子に、瀬里は顔を背けてロッカーを閉め、追従する。「図星」
「あー、もう、あんたほんと性格悪いよ!」
瀬里の言葉に激昂する沖島に、瀬里はにやりと笑う。
「空田にきこえるぞ」
「――ほんっと、最悪だな!」
その沖島の言葉を最後に、瀬里は「お先」といって部室を飄々と出て行った。
――俺がなにかに熱中したかっただなんて、そんなことがあるわけない。
かっかと怒りに湯気が出そうな頭を冷やす間もなく、沖島は用の済んだロッカーを激しく閉めた。部室を出て最後だからと鍵をかけ、部室棟の階段の下で、鍵をもらうのを待っていたらしい空田を断って、沖島は鍵を返しに職員室にひとりで向かっていた。
鍵を返し終わった頃にはすこし頭は冷えていて、空田に一緒に帰ろうとでも言えばよかったな、と沖島は思う。空田こころのことを、沖島は最初、可愛いと男子生徒のなかで彼女が噂になっていたこともあって、ミーハーな気持ちで見ているだけだった。アイドルとまではいかずとも、それに近いような。好みの芸能人を見るような軽い気持ちで、「空田さんは俺派だったんだな」と笑ったのだ。それからの、彼女を愛でるような沖島の素振りは全部、本気ではなかった。それでも。
――空田ちゃんは、なんでいつも、くそ真面目でいっぱいいっぱいなんだろうな。
そうふと思えば、つい笑みがこぼれる。そこが、可愛いと思ったのだ。一度、二度、三度、とその小さな気持ちが降り重なれば、いつの間にかそれは立派な山になっていた。それが溢れるようになるきっかけは、思い出せるだけでは二度、思い出せないものではそれ以上にある。
「変わった、か」
校門を出て、暗い空を見上げながらつぶやく。街頭がこうこうとしているからか、この町は星があまり見えない。沖島は息をついた。
――俺はなんにも変わってない。
――いまでも熱中する奴はダサいと思うし、俺と同じくらいモテるやつは大っ嫌いだし。
それでも、剣道は、楽しいとはじめて思えている。それも本当で、それが「熱中する」ということであるかもしれない、という、胸の内の小さな期待には目を逸らしていた。
――なにかに熱中してる奴は、嫌いだ。
沖島は、興味のあることは、だいたいなんでも人よりうまくできた。「学問は興味がわかなかったからほとんどできないけれど、運動全般は特別なんでもこなせる」と彼は本気で思っていた。「その鼻っ面をへし折られた」のは、沖島のほうだったのだ。
剣道は、最初は本当に、以前部に所属していた二学年と関わるのが面倒で、だから避けているだけだった。部に入ったのも気が向いたから参加しただけで、二学年との件がひと段落つけば、すぐに辞めてやる心づもりまであったのだ。
寝た振りを決め込んで、土田や近山を見学していた沖島は、他の運動部の連中に勝ち続けたいつものように、それだけで瀬里にも自分が勝つつもりだったのだ。それなのに実際は、瀬里花とこっそり戦って惨敗し、追い打ちをかけるように中学生の泉川颯大にあっさり負けてしまった。
剣道で挫折を経験して、そこから、こっそり瀬里に稽古をつけてもらいながら、沖島は皆の前ではいつも通り寝たふりをして、じっと、瀬里や近山、土田の動きを隅まで観察していた。それをその三人が知っているだろうことは、なんとなく沖島本人も勘付いてはいる。それでも堂々と見学するのは、「熱中している」ようで嫌だったのだ。
「俺は、なにも変わってない」
呟けば、沖島はなぜだか自分が嫌いであるような気がした。
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