#5-4

「瀬里先輩、辞めるのかな」

 バスを降りてすぐに、そう近山くんが呟く。ほかの三人も、先生でさえ、私と瀬里先輩の喧嘩をきいていたらしく、近山くんが俯く横で、沖島くんが私に言った。「空田ちゃん、ありがとうな」

「瀬里先輩は、たぶん辞めないだろ」

 ぽつりと土田くんが言う。土田くんのほうを近山くんと沖島くん、私が一斉に見ると、彼は瀬里先輩のほうを見ていた。「……と、思う。まあ、俺もあの人のことよくわかんないけどさ。なんか、最後のほう、そんな怒ってるように見えなかったっつうか」

「はあ? ムッツリくん、そんなこというわけ?」

 沖島くんが、面白くなさそうに土田くんに絡むと、土田くんはその呼び方にイラッとしたらしい。沖島くんを見て、静かに、「ムッツリくんってなんだよ」

「根暗ムッツリくんだろ」

「その根暗と親友なのは誰だよ」

「気持ち悪いこというな。あれは言葉のアヤだからな」

 そう言い争いだしたふたりに、近山くんが割り込んで「はいはい、やめやめ!」と声をかける。「お前らまで喧嘩してどうすんだよ」

 「喧嘩はしてないっての」と眉根を寄せた土田くんに、沖島くんは足音荒く背を向ける。そんなこちらの様子を見ていたようで、瀬里先輩はおもむろにため息をついた。

「幼稚園児の集団か、ここは」

 呟く瀬里先輩に、近山くんが笑いかける。「俺らが幼稚園児なら、引率する保護者も必要ですよ」

「俺に保護者になれっていうのか」、と瀬里先輩が言い返すと、近山くんは苦笑した。その様子に、私の方もはあと頭を抱えてしまう。

 ――ついこの間だったんだけどな、みんながまとまってきたって、嬉しかったの……。

 そう思い返すと、そんなことを思った私が馬鹿だったみたいで、なんだか悲しくなる。まとまってきた、出稽古までできるんだ、試合も近いかも……そんなことを旭ちゃんと話して、旭ちゃんが、よかったねこころ、って言ってくれて……私は今回の出稽古、本当に嬉しかったのに。……それがこんな結果になるなんて。

 ――ばかみたいで、笑えてくる。

 ぼろ、と涙が出た。絶対に、こんなところで泣きたくなかった。

 でも、これはあんまりだ。

 私が泣き出したことに最初に気付いたのは、土田くんだった。彼は「おい」と私に声をかけて、私の顔を覗き込む。それから泣いてるのを見て、どうした、とたずねようとしたのを飲み込んだようだった。無言で立ち去ろうと足を速める私を、行竹先生が止める。

「どうした、空田。大丈夫か?」

「だいじょうぶ、です。すみません」

 顔を上げることができないから、行竹先生がどんな顔をしているのか、私にはわからない。その声は心配そうな、でもどこか呆れたような響きがあった。行竹先生は息をつき、「おい、お前ら。ちょっとミーティングしよう。空田はもう帰れ」

 「へ、空田ちゃん帰すのかよ」、「ミーティングなんていらないです」とばらばらの声がする。私はこんな状態でみんなの前にいる勇気もなく、その行竹先生の言葉に甘えて、いつものバス停まで逃げた。すこし落ち着いてからひとりでバスに乗り、旭ちゃんに電話する。色々話をきいてもらおうと思ったのに、ろくにはなしもできず、私はただ旭ちゃんに泣き声だけをきかせてしまった。

 家に帰って、メールを開くと、土田くんから一通きていた。いつも事務連絡しかしないから、なにか大事なことかな、瀬里先輩が辞めるのかなと不安になりながらそれを開く。スマホの画面で「電話していい?」と書いてあるのが見えていたから、私が「いいよ」と短く返信すると、それから五分くらいあとに既読のマークがついて、土田くんが電話をかけてきた。「ごめん。……落ち着いたか」

「うん。どうしたの?」

「いや、空田には言っておこうと思ってさ」

「うん……」

 うん、と頷くだけなのに、なぜか喉の奥で詰まってしまう。不安で胸が潰れてしまいそうだった。土田くんの声はとても優しくて、電話越しにきくと、そんな気持ちでも、なぜだかとても安心した。「瀬里先輩、辞める気ないみたいだったよ。安心して。沖島も、ちょっとフフクそうだったけどさ、まあいいっすよなんて言ってた」

「瀬里先輩、辞めないの……?」

 その言葉をきいて、私はどっと肩の力が抜ける。はああと息を吐いた後、安心しすぎて涙が出た。「ちょっ、と、ごめん。待って……」

 ずっ、と鼻をすする私に、土田くんはなにも言わない。私が落ち着くまで、土田くんは通話を切りもせず、旭ちゃんのようにずっと黙って電話を繋いでいてくれた。

 私が落ち着いたころ、土田くんが私をなだめるように、ゆっくり話す。「行竹先生がさ、珍しくすげえ怒ってたよ。本当にくだらないことで揉めて、お前たちは、ってさ」

 その話に、私もつい笑ってしまう。「ふふ、私もそう思う」

「だよな、俺もちょっとそう思うよ。でも、沖島が騒いだことには、あんまなにも言わなかったよ、先生。お前の気持ちもよくわかる、でも瀬里の言うことも正しいって言って、それだけだった」

 「なあ」と、土田くんは私を呼ぶ。「俺さ、空田が瀬里先輩に沖島のことで怒ってさ、そのあと辞めるっていう先輩のことにも怒ったの、ちょっと感謝してる」

 その言葉に、私はいうべき言葉がわからなくなって、つい無言になってしまう。でも、土田くんは、私に返事を求めていないようだった。「だから、ありがとうって言わないとって思ってさ」

「……ねえ」

 私が話しかけると、「ん?」と土田くんは優しく問い返す。なぜか、電話越しなのに、彼が首を傾げているのが見えるようだった。「土田くんは、認められてるよ。きっと、沢山の人に」

「なんだそれ。変な奴」

「私、土田くんがいてくれてよかったもん」

 ふふ、と私が笑うと、土田くんはなぜか一瞬無言になる。それから彼がはあと深いため息をついたのが分かって、私は表情が見えないことが、その一瞬だけ、不安に感じた。なにか変なことを言ってしまったのだろうか、結構勇気出したんだけどな、と思っていると、土田くんが電話の奥で、私に返事をする。「まあ、そりゃよかったよ」

「お前さ、あんまそういうこと、言うなよ」

「言わないよ、こんなこと」

「そうかよ……」

 はあ、と二度目のため息をついて、彼はすこし間を置き、「……じゃ、切るぞ。おやすみ」

「おやすみなさい」

 そういって土田くんとの電話を切った後、電話がかかってくる前の暗い気持ちが嘘みたいに、私の心がとても穏やかになっていた。

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