#5-3
「どうし……」
「空田」
喧嘩を止めないと、と声をかけようとした私を、その場を見ていたらしい土田くんが肩を引いて止める。私は土田くんの顔を見て、ああ彼もいたのだとすこし安心したあと、すぐにそれどころじゃないんだと頭を振ってその安心を追い出した。「土田くん、どうしちゃったの。なにがあったの」
土田くんは私の質問になにも答えない。黙って言い合う瀬里先輩と沖島くんを見ている。
「お前が勝手な行動すると、俺らの足を引っ張ることにもなるんだ。そんなことも言われないとわからないのか? 高一にもなって? いい加減にしろよ、不良を引きずるのならほかのところでやれ!」
「じゃあ、馬鹿にされて黙ってるのが真面目なのか!」
瀬里先輩がこんなに声を荒げるのも、沖島くんがここまで怒っているのも、初めて見る。そりゃ、いままでだって喧嘩することはあった。このふたりではなくても、土田くんと沖島くんとか、他の人たちで、意見のぶつかり合いだとか……でも、いままでのどれも当てはまらない、こんな激しい喧嘩は本当に初めてだ。
「なにが……」
「――沖島が、ここの奴に馬鹿にされたんだよ。あんな頭した野郎、へっぴりで当たり前だ、って言われて。それで喧嘩になってさ」
「……!」
その言葉に、私もついかっと頭に血が昇る。沖島くんは初心者だから、まだできないだけなのだ。一度はサボっていたけれど、それでも、今となってはすごく熱心に頑張ってて……、そんな沖島くんを、髪の色だけで決めつけてそんなことを言うなんて。
でも、だからといって瀬里先輩の事情も詳しく知らないのに、ただ沖島くんに味方をするのは、どうなんだろう、と混乱しかけていた私に、追い打ちのように瀬里先輩の声が耳に入ってくる。
「お前のその短絡的なところは、本当にどうにかしてほしい。飽き飽きするんだよ、頭が悪いのもほどほどにしろよ」
「っ……」
その先輩の言葉に、沖島くんが真っ赤になる。彼が腕を振り上げたのとおなじ瞬間に、気が付くと私は瀬里先輩の頬を、ばちんと強く叩いていた。じんわり、痛みで手のひらがしびれて、私はなにも考えられなくなる。
私が突然飛び出してきて、沖島くんと瀬里先輩は面食らったようだった。私に殴られた、瀬里先輩の頬が赤くなっている。瀬里先輩はかすれた声で、「なんっで、空田が……」
「ばかなのは、あなたでしょ……っ」
私の言葉に、瀬里先輩もなにか反撃してくるだろうと思ったのに、瀬里先輩は意外にも、なぜだか言葉に詰まったような様子を見せた。私をまじまじ見て、はあと息をつき、前髪をかきあげる。「……いい度胸。なにか言いたいことがあるなら訊くけど」
「言いたいことしかありません」
私がにらみながらそう返すと、瀬里先輩は深いため息をついて、「土田。戻るぞ」
「沖島、今日だけは最後まで居ろ。でももう、うちの部には来なくて良いから」
「――あんたが心っ底、嫌がるまで居てやるよ、ふざけんなっ」
沖島くんがそう言ったけど、瀬里先輩はすぐに顔を背けてしまった。
「瀬里先輩、言いすぎです」
出稽古が終わり、帰りのバスでの重たい沈黙のなか、なぜか先輩の隣に座ることになってしまった私は、こっそりそう呟いた。瀬里先輩はこちらをちらりと見て、嫌そうな様子で目を閉じる。彼が「寝てしまえばこの沈黙もどうでもいい」、と思っているのはすぐわかる。だからこそ、私はその隣で言いつのる。
「私はその場のことはわからないけど……馬鹿にされて怒るのって、当たり前のことでしょう」
「当たり前でも、時と場合を考えろっていってるんだよ」
う、と今度は私の方が言葉に詰まる。瀬里先輩は私の目を真面目な顔で見つめた。「わかるか? 出稽古でほかの高校の稽古に混ぜてもらっている状態で、そんな問題起こしたら、俺ら剣道部全員、もうあそこで稽古に混ぜてもらえなくなるんだぞ。もしかしたら他のところにも伝わって、なにもできなくなるかもしれない。行竹先生がせっかく持ってきたチャンスをめちゃくちゃにしろって言うのか」
「でも……馬鹿にしたあちらも悪いでしょう」
段々、瀬里先輩がなにに怒っているのかわかるようになってきていたけれど、やっぱり気になることはちゃんと消化したくて言い返してしまう。瀬里先輩ははあと息をついた。「そうだよ。馬鹿にしたあっちも悪い。どんだけ精神年齢が低いんだって、心の中で悪態ついてさ、いつか勝ってやるからなって思うくらいになれってことだよ」
「……瀬里先輩が同じことされても、そんな風に思えるんですか」
「あんたもさ……本当に沖島が仲間として大事なら、あいつにこれくらい言ってやっても良いんじゃないのか」
その言葉は、こっちがますます不利だ、と思う。でも、たしかに、瀬里先輩の言っていることの方が正しいのは分かるのだ。でも、私は本当に、沖島くんを馬鹿にされたのが悔しくて……いまここで、瀬里先輩になにも言い返せなくなる、私自身もなんだか悔しくて堪らない。私がうつむくと、瀬里先輩も窓の外に目をそらしてしまった。
「……ほんと、こんな奴ばっかの部活なんて、辞めてやろうかと思うよ」
瀬里先輩のつぶやきに、私の体からさあっと血の気が引く。気が付くと、私は大声を出していた。「――それはだめです!」
瀬里先輩はぽかんと口を開け、「……は」
私はそんな先輩に、食って掛かるように言葉をかぶせた。「瀬里先輩の言ってること、わかります。悔しいけど、その通りだと思う。でも、それとこれは別でしょう!」
「別じゃないだろ。こんな幼稚なお遊戯会、なんで参加してないといけないんだよ。それともこれは強制参加だったのか」
「本当に辞めたいなら、辞めてもいいと思います。でも、私は辞めてほしくない」
「……無茶苦茶なこと言ってる自覚は?」
「あります!」
ばかじゃないのか、と瀬里先輩の唇が動く。動いただけで声を出さなかったのは、きっと瀬里先輩が、心の底から私に呆れているからなんだろう。それでも私は続ける。言いたいことを言ってしまわないと止まれない、妙なスイッチみたいなのが、入ってしまっているみたいだった。「あるけど、そんなの、悔しいじゃない。こんな喧嘩別れみたいに辞めてしまうなんて、私は嫌です! 私は、みんなで試合に出たいのに……絶対にこのメンバーで試合にでたいのに……っ!」
言ってる途中で、涙が溢れる。それを悔し紛れに拭って、瀬里先輩をきっと睨んだ。瀬里先輩は、なにかを考えているみたいだった。やがて彼は口を開く。「……それが本音?」
「短絡的なのは、あんたもなんだな」
そう言い捨てて、瀬里先輩は目を閉じる。私は先輩の捨て台詞のあまりの酷さに、「花先輩のばかっ!」と吐き出すように声をあげ、その肩を思い切り叩いた。
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