第五章 出稽古のはなし

#5-1

「出稽古?」

 私がきょとんとして繰り返すと、土田くんは「そう」と頷いた。

「とりあえず出稽古なら良いって、行竹先生の知り合いが言ってくれてるらしくてさ」

「出稽古っていうのは……」

「――ああ」

 他校との合同練習っていうのかな、と土田くんはかみ砕いて教えてくれる。合同の練習なら、なんとなく意味は分かる。私はそれにうんうんと頷きながら、「私たちも、少し試合が近づくってこと?」

「まあ、試合にはそもそもまだ部員が足りないんだけどな。ちょっとは動き出さねえと」

「そっか、ううん、でも、すごく嬉しいね、なんか」

 なんだか、自分の口元が緩んでしまう。土田くんも、なんとなく嬉しそうにしている。彼はなぜか手をあげると、その手はためらったあと土田くんの頭に戻っていった。ちょっと照れたように目を逸らして、こちらに視線を戻してから彼はへらりと笑う。

「じゃあな、マネージャー」

 土田くんが私の名前を呼ばないことに、ちょっとかちんとくる。こちらに背中をむけて教室に戻っていく彼に、私も、「うん。じゃあね、副主将」

 「土田だよ」と自分の名前を言い返した彼に、私は頬を膨らませる。「人のこと言えないでしょ」

 私がそう返したことに、土田くんはこちらを振り返って、いたずらがバレた顔で笑った。

 そんな私たちを見ていたらしい旭ちゃんが、私に「こころ」と声をかける。私は名前を呼ばれて振り返り、「旭ちゃん」と彼女の名前を呼び返した。

「なんか仲良くなってるねえ」

「そうかな? にくたらしいよ。名前を呼ばないんだもん」

 私の言葉に、旭ちゃんがお腹を抱えて笑う。「憎たらしいか、いいねそれ。ぴったりの言葉じゃん」

「ぴったりでしょ。なんなんだろ、あっちが呼ぶまで私も副主将って呼ぶから」

「そうしてやんな。まあでも、そろそろあいつもこころちゃんとかって呼びそうな気がする」

「それはないと思うなあ」

 「わかんないよ、なんてったって落ちそうな感じがするもん」とささやいて、旭ちゃんは含み笑う。落ちる? と首を傾げた私の肩を軽く叩いて、旭ちゃんは「私らも教室に戻ろう」と私の腕を引いた。

「旭ちゃんは、マネージャーにならないの?」

「やだよ、剣道部のマネはこころだけって決めてるんだから」

「いやいや」

 いろいろツッコミどころのある発言に、私は困ってしまう。土田くんに出稽古のはなしをされてからすこし時間が経って、いまは放課後だった。今日はミーティングだけで、それが終わって旭ちゃんのところに戻ってきた私は、寝ていたらしい旭ちゃんが目をこする横でそんな質問をしたのだ。

 旭ちゃんがマネージャーになってくれたら、いろいろすごく楽になると思うんだけどなあ……。

「まあ、こころがなに考えてるかはわかるんだけどね。もう少し頑張りな、こころ」

「頑張るのは良いんだけど、でも、私は旭ちゃんが何を考えてるのかわからない」

「おっ、褒めてくれるねえ」

「褒めてない」

 頭を撫でてくる旭ちゃんの手をさえぎって、私は旭ちゃんに怒ってみせる。でも旭ちゃんはどこ吹く風というのか、まったく気にしていないようで、それがなんだかおかしくなって結局笑ってしまう。

「ただ、ダークホースは花先輩なんだよね」

「旭ちゃん、花って呼ぶと先輩怒るんだよ」

「可愛いじゃん、瀬里花。女の子みたいで」

 地雷を踏みぬいてしまう旭ちゃんは、絶対に分かってやっている。瀬里先輩は、旭ちゃんから言わせると「ダークホース」らしいんだけど、その意味をきいても「なに考えてるかわからないんだよねえ」としか旭ちゃんは答えない。

 瀬里先輩のことは、私も、何考えているのかわからないなと思う。でも花っていう名前を、女の子みたい、というと嫌がるのは知っている。沖島くんがそのことを教えてくれたとき、土田くんが瀬里先輩に、「なんか意外ですね」と言って怒らせたのだ。

 それが部活の終わった後のことで、だから、その場にいた旭ちゃんもその話を知っているのだけれど……。「瀬里先輩、なんだか近寄りづらいんだよね。沖島くんと仲が良いのが不思議なくらい」

「沖島と花先輩は、ずっとふたりで練習してたんでしょ」

「……なんだかんだ、最近すこし、剣道部がまとまってきてる気がするんだよね。それでいいかあ」

「うんうん、それでいいんだよ、たぶんね。あのばらばら寄せ集めみたいな剣道部が、よくまとまってるよ、ほんとにさ」

 そういう旭ちゃんに、私は微笑む。旭ちゃんの言う通りだと、本気で思うのだ。あの喧嘩ばかりだった剣道部が、いまは誰一人欠けることなく練習に励んでいて、しかも他校と合同で練習までできるようになったことが、なんだか本当に嬉しい。

「あ、噂をすれば。あれ花先輩じゃない?」

 旭ちゃんが指さした方向に、見知った瀬里先輩の背中を見つけて、私は「本当だ」と言って駆け寄った。「お疲れ様です、花せんぱ……あ」

 まずい、と言葉の途中で口をつぐんだ私に、瀬里先輩は不機嫌まるだしの顔でこちらを向く。その隣にいたのは沖島くん――ではなく土田くんで、土田くんと瀬里先輩はなにか事務的なことを話していたらしかった。土田くんがちょっと驚いた顔をしてる横で、私はみるみるうちに顔を赤くする。「ご、ごめんなさい」

「へえ、空田もそんな口をきくようになったわけ」

「あはは……」

 苦笑いしながら、ちらりと旭ちゃんを振り返って睨む。旭ちゃんが花先輩、花先輩って呼ぶから……! 旭ちゃんのほうはといえば、しらっと素知らぬ顔をしているから、また腹が立つ。もちろん、そんなのただの八つ当たりなんだけど……!

「俺は副主将なのにな」

 ぼそ、と土田くんがなにかを呟く。内容までよく聴こえなくて、土田くんを見ると、彼はなにか面白くなさそうな顔をしていた。「土田くん? なんていったの?」

「べつに」

「……怒ってる?」

 なんだか拗ねたような彼の言い方に、私が首を傾げる。瀬里先輩は土田くんのほうをなぜかちょっと面白そうな顔で見ながら、私を呼んだ。「空田」

「はい」

「次、花って呼んだら容赦しないから」

 ――こわい!

 にっこり笑う瀬里先輩の笑顔がきれいすぎて、逆にこわい。この人、すごく綺麗な顔をしてるからか、表情のひとつひとつにすごく迫力があるのだ!

「俺も三月って呼んでもらおうかな」

 私の前を通り過ぎるときに、土田くんがぼそっと呟く。今度はその内容がちゃんときこえて、私は首を傾げ、すこしの間を置いて、顔を赤く染める。「土田くん、か、からかっ……!」

「からかってないっての」

 私のほうを振り返り、土田くんが言う。なぜだか彼が照れたような顔をしていた気がして、私はろくに彼の顔も見れずに旭ちゃんのもとに逃げ帰った。

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