#3-2

 下校時間になって、近山くんは、学校を出ようと校門に向かっている土田くんの、ひょこひょことした頼りない姿を追いかけるように、しかしすぐに近づけるはずなのにそうしないで、ゆっくり、本当にゆっくり自転車を押している。そんな近山くんを、土田くんはいまだ見ようともしなかった。意を決したように、ちょっと切羽詰まった声で近山くんが土田くんを呼んだ。「土田」

「なんだよ」

 旭ちゃんははたからで、私は心配になりながら、そんな彼らを遠くから眺めている。土田くんの声はとても冷たくて、いつもの親しそうな彼らからすればとても他人行儀に思えるくらいだった。でも、もう高校生なんだし、絶交だ! なんてことにはならないと思うけれど……それでも友達関係なんて簡単に壊れてしまうと知っている私は、なんだかハラハラしてしまう。

「ごめんな。俺……」

「意味もなく謝ってるなら、きかない」

 土田くんの言葉に、ぐっと近山くんは押し黙る。なんだか図星だったようにも見えた。でも、と土田くんは、そのときやっと近山くんを振り返る。「俺がなんでお前を部長にしたのか、少しでも知ってるなら許すよ。それでもお前が簡単に部長を辞めるんだって、それなら納得してやる」

「だけど、それなら俺は、剣道部を辞めるからな」

「つち、……」

 あまりにも意外な土田くんの返事は、近山くんを力づくで止めようとするような響きがあった。土田くん自身はそれがジョウホなんだろうけれど、そこには「譲らない」という意思があるのがわかってしまう。

「……やめるって、本気なの?」

 つい、反射的に私は呟いた。それがきこえたみたいで、土田くんがこちらを見る。近山くんはうつむいて、こぶしを握りしめていて、土田くんのようにこちらを見たりしなかった。私は意を決して言葉をつづける。声が震えた。「そんな簡単に、辞めれるの、二人とも。二人とも、なんかおかしいよ……」

 正しいことなんて、誰も言ってない。もちろん私もそうだろうと思う。それでもきっと、みんななにかしら考えていることがあって、そうして譲れないものがあるんだろう。もしかしたら、こうやってよく知らないくせに首を突っ込む、私が一番おかしいのかもしれない。でも、なんだか二人の会話が変である気がしてしまう。

 部長って、剣道部って、そんな簡単に辞められるものだったのだろうか。

 そういかなかったから、土田くんは剣道部を守ったんじゃなかったの? だからこそ、二年生に黙って、あんな風に殴られたんじゃなかったの。近山くんにとって部長って何なんだろう……。

 でも、本当なら、私なんかが入ってきて良い話じゃないんだと、思う。私が部外者なりにいろいろ思うのは勝手だけれど、それを当事者の二人のなかに割っていって、あれこれ言ったところで、意味なんてないんだろう。だけど。

「私は、剣道部にいるのが楽しくなってきてた。部長が近山くんで、良いんだって思ってた。土田くんがそんな大けがをしてまで……、まもりたい剣道部って、ちょっと良いなって思ってたよ。だけど、そんなに簡単に、二人とも辞めちゃえるなら、私ももう辞める」

「……そうだな。どちらにしろ部員二人のマネ一人じゃ、どうにもなんねえもんな。もう辞めちまうか」

 売り言葉に買い言葉――。そんな、普段使わない単語が頭に浮かぶ。ああ、やっぱり、私の言葉なんて軽いものじゃ、届かないんだ。

「そうだね。もう辞めよう」

「……空田さんまで」

「でも、近山くんが部長を続けたいって思ってくれて、土田くんが剣道部をいまみたいに頑張ってくれるなら、それなら私は続けたい……」

 ――最後の頼み。これで通じないのなら、本当に縁がなかったのか、私はどこまでも二人にとって部外者だったということだろう。だから、これが私の最後だ。

 でも、近山くんと土田くんは、その言葉に、怒ってるというより、なんだかはっとしたような顔をした。ふたりはやっと、ふたりともがなんだかわだかまりのあるまま、という目だったけれど、視線を合わせる。それからまず息を吐いたのは土田くんのほうだった。「わかった。近山がちゃんとわかってくれるなら、俺もまた、剣道部続けられると思う」

「土田、空田さんも……そんな……俺は、だって、ダサいけどよくわかってなくて……こんな風に言うのもだけどさ、瀬里先輩って、すごく剣道がうまいんだ。俺なんかよりすげえうまい人なんだよ。だからそれでいいじゃないかって」

「瀬里先輩って、そんなにすごい人なの?」

「あ……そうか、知らないよな、空田さん。瀬里先輩は、本当にすごい人なんだよ。剣道でも負け知らずでさ、俺は小学生のときの剣道教室のときから知ってるんだけど、本当にバケモノみたいな人で」

「――俺は、うまさだけでお前に部長になれって言ったんじゃない」

 一生懸命、瀬里先輩という人について教えてくれていた近山くんの言葉をさえぎって、土田くんが言い放つ。その言葉に、近山くんは一瞬の間を置いた後、ゆっくり土田くんを見た。土田くんはまっすぐ、ちょっと驚くくらい真剣な目をしていた。「お前、本当にわかってない。なんにもわかってないんだな……」


「土田くん、あの」

「なに」

 帰り道、私が旭ちゃんと別れて土田くんを追いかけていると、土田くんは何度目かの呼びかけで、やっと観念したように返事をしてくれた。私はほっとして、ねえ、とやっとききたいことをたずねる。「どうして土田くんは、そこまでその……近山くんに部長でいてほしいの?」

 その質問に、土田くんは私を振り向いた。少しぞっとするくらい、感情のない目だ。こんな目をしている彼を見たことがないって、思うくらいの。

「私はね、私、剣道部のマネージャーになって日が浅いけど、……部長は近山くんでいてほしいって思ってる。でもそれは、ずっと近山くんが部長だったからで、それが普通だと思ってたからだから……勝手なこと言ってるけど……でも」

「うん。わかるよ」

「土田くん、そうじゃないよね? 私みたいに、それが普通だったからなんてことじゃないよね。近山くんに部長でいてほしい理由って、なに? きいてもいいかな……」

「――空田は本当にバカ真面目だな」

 そういって、不意打ちで土田くんがいつもみたいに笑う。その表情と優しい声がいきなりで、踏み込みすぎただろうかと、きいたことを後悔していた私はなぜだか泣きそうになった。慌てて視線をそらし、それから、ああ目を見なきゃだめだと思いなおして、土田くんの目を見つめなおす。

「お前のいうこと、わかるよ。そういうのなら、俺は逆に、あいつより筋が通ってるって思う。俺はな、空田。近山に認めてもらったのが嬉しかったから、あいつを認めてたんだ。俺も筋なんかまったく通ってないんだけどさ、そういうのがあいつにはまったく通じてなかったんだなって思ったら、なんか」

 「なんかさ……」と言って、土田くんは俯く。――泣きだしそうにも見えて、気がつくと私は、土田くんの制服の袖に軽く触れていた。土田くんがこちらを見る。その目に涙はない。「なに」

「う、ううん。なんでもない……」

「そか。ああなんか、ばからしくなってきたな」

 そういって、土田くんは前を向く。空はどことなく曇っていて、夕立が降りそうなにおいがたちこめている。「雨降りそうだな。はやく帰らないと、足滑らせそう」

「土田くんち、どこ? 親御さんに連絡して、迎えにきてもらう?」

「なんで親にいうんだ?」

「なんでって、だって、足、そんな杖も」

「ああ……」

 私が足と松葉杖のことをいうと、土田くんはやっと理解したようだった。どうしてこんなに鈍いのだろう? 鋭かったり鈍かったり、本当によくわからない。

「親に、っていう発想がなかった」

「へ?」

「なんでもない。ありがとな」

 そういって、土田くんはへらりと笑う。それがなんだか他人行儀に見えたのは、なぜなんだろう。土田くんがバス停で手を振ったから、私も手を振り返す。私がバスに乗るバス停とは違うところで、そういえば彼はどこに住んでいるのだろうとぼんやり思った。

 ぱらぱらと小雨が降りだし、土田は商店街の屋根の下でぼうっと外を眺めていた。松葉杖も地面も濡れて、このまま帰るのは難儀そうだった。それでも、ずっとこうして、商店街の屋根に隠れているわけにはいかない。

「傘がないのか?」

 不意に声をかけられ、土田はそちらを怪訝そうに見る。そこには渦中の人物が立っていて、土田は少しばかり彼に警戒する。――瀬里花だ。

「そうですけど」

 声に嫌悪が滲んでしまい、さすがに土田自身もあっとすぐにそれを後悔する。しかし瀬里はその声色には気が付かなかったようで、ぐいと土田に傘を差しだし、それから土田の足元と松葉杖を見て、「ああ」と低く呟いた。

「入れてやる。荷物も持つから、貸して」

「は? いや、いいです」

「そんな足してる奴が断るな」

 はあ、と間抜けな返事をしてしまって、土田はますます疑わしげに瀬里を見る。瀬里の整った眉が不機嫌そうにゆがめられていることに、むしろ土田は、瀬里がなにかしらの要求や目的があって自分に声をかけたのではないことに気が付いた。「ああ」、と今度は土田が頷く。「すみません、それじゃ、お願いします」

 そう、土田が鞄を差し出せば、瀬里は左肩に自分の鞄、手には土田の鞄を持ち、右手で傘を差して土田を入れた。右側に入り、足を引きずりながら土田は黙って瀬里についていく。右肩が濡れたが、土田は、仕方ない、いまよりはましだと思って我慢する。それにしても男と相合傘か、と思えば、この奇妙な状況がますます居心地悪かった。

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