第三章 部長のはなし

#3-1

「なあ瀬里、剣道部に入部してくれないか」

「先生。何度も言いますけど」

 行竹に瀬里と声をかけられた青年は、そう困ったように微笑む。瀬里花せり はなはその微笑に冷淡さも薄くにじませており、そんな彼の表情に行竹は内心、相変わらず高校生らしくない、と舌を巻いた。花という名前は女のようだと彼を揶揄する同級生も少なくないが、それを本人にいうものはいない。それも彼のどこか人を嫌うような雰囲気のせいだった。

 そんな彼に、行竹が声をかけ続けるのは、ひとえに彼が剣道にとても意趣があるからに他ならない。この学校の剣道部は部員三名、マネージャー一名の弱小部であり、存続が危ぶまれていた時期は一応通り抜けたが、部員が足りなくて試合に出られないのだ。そのことを考えて、瀬里に振られた行竹は息をついた。彼が去り際に呟いた言葉も相まって、行竹は頭を抱える。

 ――僕を部長にしてくれるなら、考えますよ。

「部長か、まあ、悪くはない奴なんだが……」

 呟き、はあと深いため息を吐く。瀬里には部長になる資格はない、とは思わないが、それ以上にいまの剣道部の部長や、その副部長のことを考えれば……と、行竹はますます思考の波にさらわれていった。


 ねえ、と私は松葉杖をもって見学している土田くんと、休憩中の近山くんに近づいて、今までうっすら考えていたことをたずねる。「どうして近山くんが部長だったの? やっぱり近山くんのほうが強いからとか?」

 近山くんの剣道の腕前は、シロウトの私から見ても土田くんより優れていると思う。だから部長なのだろうかと簡単に考えていたのだけれど。

「それもあるけどな。そうじゃなくって、近山はもっとこう、なんていうか……部長になるのが良いと思ったんだよな。俺がなるより絶対に良いし、部長がこいつじゃないとって思った」

「おお、照れるなそれは。よくわかんないけどな」

「よくわからないだろうけどな」

 本当によくわかっていない様子の近山くんに、土田くんが真面目な顔で頷く。私もちょっとよくわからないんだけど、それでも私が考えていた理由とはまた別の理由もある、みたいだ、ということだけはわかった、気がする。

 給水機からスポーツドリンクをついできて飲んでいた沖島くんも、近山くんの隣、土田くんとは逆側に、一人分くらいのスペースを開けて座り、話に参加する。

「俺も空田ちゃんと同じこと思ってたんだよな、近山は強いから部長なんだろうなって。違うの?」

「違わない。違わないけどそうじゃない」

「わけわからねえこと言うなあ……」

 ドリンクをあおいで、沖島くんはふうと細い息を吐く。それから伸びをして横になった。「五分休む」

「ちゃんと五分で起きろよ」

 近山くんがそう言って笑った横で、土田くんが不機嫌に呟く。「こいつのことだから、絶対あと五分って言ってずっと休んでるぞ。起こそう」

「大丈夫、絶対起きる。絶対起きる」

「起きないだろ、そういって昨日もずっと寝てたじゃねえか」

「あ、マジで眠気きた。沖島朔人、寝ます」

 ぱたりと目を閉じ、頭を伏せて、沖島くんは本当に寝息を立て始めた。土田くんがはああと深くため息をつく。私もとりあえず揺すってみようかと思ったけれど、この間そうして不意打ちで抱きしめられそうになったからやめておく。

 沖島くんは、なんで剣道部に入ったのかわからないくらい不真面目にしか活動に参加してくれないのだけれど、それでも剣道部がなくなってしまう危機を乗り越えたのだから、まあ今はそれで良いかなと思う。「今は」であって、これから先もずっとこうであると、それはすごく困るけれど。

 近山くんも私と同意見であるようで、でも土田くんは「入ったのなら頑張ってほしい」という欲が出ているんだって、そう本人が少し前にぼやいていたのを思い出して私は息をついた。その土田くんの気持ちも、やっぱりすごくわかるのだ。

 そんなところに、行竹先生がやってきた。ばらばらに挨拶をする私たちにちょっと笑って、すぐ真面目な顔になり、行竹先生は近山くんを手招きする。近山くんは先生の傍に駆けていくと、最初にこういった。「先生。瀬里先輩はどうでした?」

「ううん、それで近山を呼んだんだけどな、やっぱりちょっと難しそうだ」

「そうですか……」

 しょんぼりと頭を下げてしまった近山くんに、行竹先生は目をそらして息を吐く。「すまないな。いや、一応、条件みたいなのはあったんだが」

「条件?」

 行竹先生の言葉に、近山くんが首を傾げる。行竹先生はちょっとの間、なにかを考えてから、「……部長にさせてくれるなら、ってな」

「部長?」

「あっ、いや、お前がふさわしくないとかじゃなくてな。お前は本当に頑張っているよ。でも、瀬里が自分を部長にしてくれるなら入っても良いって言っていてなあ」

「……それは」

 近山くんが、見せたことのないくらいに真面目で神経質な顔をする。行竹先生は慌てたように近山くんを沢山フォローしていたけど、それもほとんど聴こえていない様子だった。それから不意に顔を上げて、近山くんは言う。「良いですよ」

「近山!」

 その近山くんのあっけない言葉に、一番早く反応したのは土田くんだった。彼はとてもこわい声で近山くんの名前を叫ぶと、近山くんのもとへ松葉杖をつきながら、それでもどことなく荒っぽい様子で近づいた。「なにいってるんだよ、そんなの、俺は認めないからな」

「認めないって……でも、そうすれば瀬里先輩が」

「瀬里先輩より、お前がそんな簡単にゆずるのが納得いかねえ。なんだよ、お前、部長になったのは嫌々だったのか? 俺が言ったからやってただけなのかよ」

「土田」

 怒る土田くんをなだめるように、近山くんが名前を呼ぶ。それでも土田くんは、近山くんを睨みつけていた。こんなに激しく怒る彼の姿は初めてで、一瞬、その場が静かになる。沖島くんが呟いた。「近山が悪いな、これは」

「沖島くん」

「空田ちゃん、外いこう」

 でも、と口ごもってしまう。そんな私の様子を見て、沖島くんは息を吐いた。立ち上がって、土田くんより落ち着いた足取りで、沖島くんが土田くんのもとに近づいても、土田くんは沖島くんを振り返りもしない。近山くんと先生が沖島くんのほうを見て、近山くんは助けを求めるように、場違いに苦笑している。

「なあ、ちょっと落ち着けよ、土田。ここでそんな怒っても仕方ねえしさ、第一、近山も、そんな簡単に部長辞めてもいいなんて言うもんじゃねえと思うんだよな。どっちもどっちだろ」

 その沖島くんの言葉に、行竹先生は頷く。「その通りだと思うぞ、土田も近山も。ちょっと頭を冷やせ、二人とも」

 そのあと、近山くんはずっとどこかおろおろとしていて、土田くんはそんな近山くんの顔を見ずに、近山くんが練習する、その手元や足元だけを睨みつけていた。

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