#2-4

 がつんと頭を打ちつけられる。目の前に火花が瞬いて、さすがにそのまま気を失いそうだった。もうどれだけ殴られたのかもわからない。空を見上げれば以前のときのように夕暮れに染まっており、ああもう終わるなと漠然と思った。

「どこ見てんだ」

 ――潮時かな、と、治安が悪いと言われているコンビニの裏手で土田は上級生たちに殴られながら、唯一出入りができるほうを見る。背後には壁が迫り、コンビニの古くなった惣菜かなにかだろうか、生ゴミの腐敗したにおいに嫌気がさした。空はオレンジで、カアカアと「馬鹿みたい」に平和に思えるようなカラスの声がしている。

「気絶しかけてんだろ、面白いからそのままにしておけばいいのに」

 げらげらと笑いながら罵倒される。それでも不思議と腹は立たなかった。それよりもこの先どうしようかと思う。平静であれば勝てる相手でも、ここまで一方的に殴られればもうその体力もなく、それ以前に土田には彼らを殴る気がなかった。それをしてしまえば部活動が活動禁止になるだけだ。彼らの狙いが、自分に一発でも殴らせて、それを教員に報告することで自分を陥れたい、ということも土田にはわかっている。だからこそ手出しはしない。

 ――近山は、あいつのことだからきっと全部が終わった後に、タイミングよくやってくるんだろう。

 近山も喧嘩に強い、と土田は記憶している。それでも彼がやってきて自分に加勢するのはよいと思えないし、大体、近山はその気でやってきても、ほとんどすべて終わった後になってしまうのだ。タイミングが悪いのか、そういう幸運――というのか、厄を負わないような星に生まれているのか。なんにせよ、そういうところも、自分とは正反対なんだよなと土田は思う。

 ――いつの間にか土田と近山は近からず遠からずの関係を築いていて、それは剣道部に入る前にはなかったものだった。二人がそんな関係を作り上げたきっかけといえば剣道部そのものだろう。剣道部に入る以前、なにをするにも無関心で、てきとうに遊びつつてきとうに勉学にも励む、そんな有り触れた毎日を退屈に過ごしていた土田を、近山が何気なく剣道部に誘ったのだ。

 土田は剣道の心得がすこしだけあって、そういえば小学生のときに数年だけ通った剣道の教室に、近山がいたような気がする。だから彼は自分を知っていたのか、と土田は殴られながら思い返してやっとそれに気が付いた。

「なに笑ってんの?」

 不意にかけられた軽率な響きの声に、土田は伏せていた目を開く。沖島朔人がこちらをにやにやと覗き込んでいる――沖島朔人? とその人物に土田は一瞬で混乱した。なぜ彼がここに? この場にそぐわないどころか、剣道部に関係すらないではないか!

「沖島っ……なんでここに」

 声を絞り出してそう問えば、彼はにやけ面のまま、いつものように頭の後ろで両手を組む。「なんで? 俺ら親友っしょ」

「は……」

 何の冗談だよ、と起き上がろうとしても、体の至る所が痛くてそれもままならない。沖島は曲げていた両足を伸ばして立ち上がり、土田を庇うように壁と土田に背を向けて、異様な興奮で目を輝かせている二年たちに向き直った。

「俺はこの通り剣道部でもなんでもない部外者なんで、手加減しないし、いらないですからね、先輩方――」

 そう言い終わる前に、二年のひとりが罵倒しながら沖島に獲物を振りかぶる。それを薙ぐように避けて、沖島は彼の大きな木片を両手で掴みそのまま木片に体重をかけて彼の体のバランスを奪う。一瞬揺らいだ体勢を立て直させる前に、思い切りその頬をぶん殴った。

 一瞬場が騒然となるが、それだけでは終わらない。沖島を狙ってもう一人が猛進してくると、沖島の襟首を掴んだその相手には頭突きを食らわせた。「いってえ」と、沖島は場違いな屈託のない笑みを浮かべる。

 罵詈を浴びせて、そのふたりと、こちらを傍観していた最後の一人が一斉に沖島に向かってきたところで、「なにをしている!」という警官の声がかかった。

「助けてください! 仲間がやられてるんです!」

 沖島はそう声を上げて、警官の前で無抵抗に両手を上げる。そんな彼に舌打ちした二年の三人は、警官の二人組につかまる前に逃げようとして、敢無く身柄を拘束された。

「お前、本当にすげえやつだよな」

 いろいろな意味を包んでそう呟く土田に、沖島はその隣に寝そべって満足げに鼻を鳴らした。「お前もよくそんな無抵抗にボコボコ殴られるよ。すげえな」

「まあこれで、俺の役目も一旦終了……」

「なに、土田の役目って殴られること?」

 空に向かって言った土田の言葉に沖島が問う。土田は沖島をちらりと見て、無傷なんだもんな、とぼやく。「そうじゃないけどさ。まあ、俺は剣道部のためならなんでもやる」

「剣道部のために殴られるのか、カンシンだな」

「馬鹿にしてんだろ」

「お。わかった?」

 厭らしく笑う沖島を殴る気力すらなく、土田は深い息を吐いた。「空田になんもなければいいけど」

「大丈夫だろ。そうならないよう俺がいるし」

 沖島がそういって白い歯を見せる。土田は「は?」と不審そうに表情を歪めた。「なに、俺がいるって、まさか」

「そのためにプリントまで俺に渡したんだろ、まあ良いんじゃん?」

「ちょっと違う……てか、え、まじかよ。剣道部に入ってくれるのか?」

 がばりと勢いよく起き上がった土田に、沖島は「なんだ元気じゃん」と軽口をたたく。しかし喜びのあまりつい起き上がってしまっただけであった土田は、全身の痛みで弱弱しく背中を曲げた。「いってえ」

「けが人は大人しくしとけよ。ほら、救急車きたぞ」

「おう……」

 一足遅れてやってきた救急車のサイレンと近山の慌てた懐かしい足音に、土田と沖島は路地裏の先を見て目を細めた。

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