第二章 新入部員のはなし

#2-1

「新入部員?」

「そ。沖島って知ってるか?」

 昼休み、土田くんに教室の外に呼び出されてそんな話をする。そこにはもちろん近山くんもいて、彼らは目配せしてうんうんと頷いている。私は首を傾げた。「沖島くん……えっと」

「まあ男だし、知らなくても当然かもな。でも運動部ではちょっと有名なんだ、沖島朔人おきじまさくと。運動部荒しっていわれててさ」

「運動部荒し?」

 近山くんの話によると、沖島くんというのは数々の運動部に仮入部しては、そこにいる一番優れている選手と競い全員を打ち負かしているのだそう。そんな彼が「荒して」いないのはあとは剣道部だけであって、だからこそ彼が次は剣道部にくるのでは、と、そのまま剣道部に入ってもらえれば、剣道部としても助かるのだけれど、という話らしい。

 確かに剣道部に入ってもらえれば、試合に出られるほどではないにしろ、学校側が規定している三人にぎりぎり届くし、そんなに運動神経が良い人なら即戦力――とまではいかなくても、絶対に戦力にはなってくれるだろう。いいこと尽くしだけれど、そんなにうまくいくのだろうか……ぐるぐるとそんなことを考えていた私が手元で部員募集のプリントをいじっていたのに気が付いた土田くんが、私の頭を痛くないくらいの強さで軽くはたく。「おい。きけ」

「きいてるよ?」

「プリントばっか見てただろ」

「喧嘩しない……お前たちは本当に、仲が良いのか悪いのかわかんねえなあ」

 頬を膨らませる私たちに、近山くんが呆れる。仲が良いのか悪いのか、って、本当にその通りだ。

「おっ、剣道部! 部員は集まりそう?」

 そこに通りかかった旭ちゃんが顔を出す。そんな彼女を見て、私は嬉しくなってその名を呼んだ。「旭ちゃん」

 しかしそんな私たちに、土田くんと近山くんは目を合わせて、まず土田くんが小さな声で呟いた。「うわ、空田の親だ」

「旭さんは本当にモンペだからな」

「聴こえてるんだけどな?」

 つづく近山くんの発言に、旭ちゃんはにんまり笑う。私はいつも通りの男子たちの反応にはもうすでに慣れてしまっていて、旭ちゃんもそうであるらしく、いや、むしろ、そんな彼らの反応を楽しんでいるようだった。「ねえ、どうなの、調子は? この子はちゃんとやってる?」

「ちゃんとやってはいるんだけど、困ったことに、空田さんが募集のプリントを配ると、空田さん目当てが集まってきて先に進まないんだ」

「こいつもこれだからな……まあ、旭がモンペになるのもわかる」

 旭ちゃんと男の子たちは、いつの間にか旭ちゃんが、ぼやかしてはいたようだけど、私がマネージャーになったおおまかな経緯を話していたらしく、私に騎士が、という例の話を近山くんたちもなんとなく納得しているらしいのだ。

「ねえねえ旭ちゃん、旭ちゃんは沖島くんって知ってる?」

「沖島……ああ、沖島サクトだっけ? 沖島がどうしたの?」

 その人物を知っていたらしく、旭ちゃんは頷く。そんな旭ちゃんに、近山くんが簡単に説明してくれた。「さすが情報通だな。沖島をスカウトしようかっていう話をしてたんだ」

「お褒めに預かり。そういうことかあ、まあ良いんじゃない? ああ、でも沖島が剣道部に入るのかなあ……」

「どういうことだよ?」

 旭ちゃんのつぶやきが引っかかったらしい土田くんが、腕組みをして旭ちゃんにたずねる。旭ちゃんはううんと、と小さくうなって、「それがさ。あいつ……ああ、いや」

「なんだよ」

 言いかけて、土田くんの顔をまじまじと見た旭ちゃんに、土田くんが不思議そうな顔をする。旭ちゃんは声を落とした。「怒らない? 土田」

「は? なに?」

「怒りそう。こころに伝えとくから、あとはこころからきいて」

 思いきり眉をひそめた土田くんに見切りをつけて、旭ちゃんは私にバトンパスしてしまう。「えっ?」と声をあげても、旭ちゃんはこう言い出すと聞かないのだ!

「えっ、ちょっと、旭ちゃん、なに……」

「――あのね。土田のこと、あんまりよく思ってないんだって、沖島。どうも土田が自分と同じくらいモテるのが気に食わない、硬派なフリしたムッツリって言ってるんだって」

 ――硬派なフリしたムッツリ!

 私の耳元でささやいた旭ちゃんのその言葉に、私はついふふっと笑ってしまって慌てて口元を両手で塞いだ。土田くんと近山くんは旭ちゃんの声が聴こえなかったようで、いや、旭ちゃんはそうするために声を小さくしていたから当たり前なのだけれど、その――なんというのか、不思議そうな、ちょっと不機嫌そうな顔もあいまって、なんだかその単語がとびきり面白く思えてしまう。いや、土田くんには悪いんだけど……!

「ね、ちょっと面白いけど、言えないでしょ」

「それは……たしかに……って、旭ちゃん、それを私に伝えろっていうの!?」

 はっと気が付いて声を上げても、後の祭りだ。旭ちゃんはそうそう、と私の肩に手を置く。「お願いね、こころ」

 語尾にハートがついてそうな言い方に、私が慌てている間にはもう、旭ちゃんは教室に戻ってしまっている。で、と低い声で私に声をかけた土田くんに、私はびくりと肩をすくめた。

「なに? 何の話だったんだよ」

「……なんでもないよ! 沖島くんをスカウトするんだよね?」

 話をそらしたな、と近山くんが小声で言ったのが、雰囲気でなんとなくわかったけれど、私はそれを無視した。「沖島くんのスカウト、頑張ろう! 部員が三人になればこっちのもの」

「こっちのもの?」

 ふたりが声を合わせて繰り返したから、私も自分の失言に気が付いて目をそらした。「ああ、いや、なんでもなくて」

「まあいいや。空田、とりあえずそのプリントを沖島に渡しておいて」

「え、私、沖島くんの顔わかんない」

「聞けばすぐわかるよ。目立つし。E組にいってみて」

 目立つ……? と、土田くんの言葉をフォローした近山くんに小首をかしげても、ふたりはそれきり私になにもかも任せて行ってしまった。ひとり残された私は脱力する。なんで私の周りはこう、なにもかも私に任せてしまうのか!

「沖島? ほらあれだよ空田さん。あそこでめちゃくちゃ騒いでるグループのまんなか」

「へっ……」

 近山くんに言われた通り、昼休みの間に済ませてしまおうとE組に向かった私を待っていたのは、がやがやとうるさいほど騒ぎ立てる教室だった。E組は体育科で、他のクラスよりすこし元気ではあるんだけど、まさか昼休みとはいえこんなに騒がしいなんて、と私は気が遠くなりそうだった。それでもしかたなく教室にはいれば、部外者だからだろうか、視線が私に集まってくる。その視線たちを横切って、一番騒がしい集団に近づく。ますます視線に興味が集まるのがわかった。「え、誰目当てなの?」「あいつらに近づくのすごいわ」

「沖島くん、いますか?」

 喉から絞り出した声は随分小さく掠れていたけれど、それでも耳が良いのか、その中心でげらげら笑っていた、きれいな顔立ちだけれど髪を金に染めた、不良そうな男子がこちらを見た。「俺?」

「空田さんじゃん。空田こころ。ちがう?」

 彼は座っていた机を下りて、私に近づきそうたずねる。私は彼の口から自分の名前がでてくるなんて思わなくて、ついそれを流して、恐る恐る、とりあえず彼が「沖島くん」であるかを確認した。彼はそうそう、と頷いてから、にやりと口角を上げる。

「なんだ、やっぱ空田さんは俺派だったわけな。勝利!」

「気が早いんじゃねえの朔人! そんなんだからすぐ振られんだよ」

 腕を掲げてガッツポーズする沖島くんに、周りの男子たちががやがやと言う。私はその声に負けそうになるのをぐっとこらえながらも、心の中ではもう完全に白旗だった。――たすけて、旭ちゃん……。

「あの……沖島くん? その、このプリントもらって……ください」

「なになに、プリント? 愛の告白?」

 ――軽すぎる。

 あんまりな沖島くんの性格というか、言動に、私の怒りが爆発しそう。いやその前にここでぶっ倒れちゃうかも……

「愛の告白じゃないです。それじゃ、それ見てね。お願いします」

 闇雲にプリントを手渡したから、すこし皺になってしまったかもしれないけれど、そんなことを気にする余裕がない。私はそうやって沖島くんに部員募集のプリントを押し付けて、手渡したときの沖島くんの顔すらろくに見ずにE組を出て、そのうるさい声が遠くなるところまで走って逃げた。と、誰か前から来た人にぶつかりそうになって、慌てて足を止める。「きゃっ、わ、ごめんなさい!」

「すげーいきおい」

「……は、なんだ、土田くん」

 急に止まった反動でよろめく私の腕を軽く引いて、土田くんは眉間にしわを軽く寄せながら、「大丈夫かよ」と低くたずねる。私は引かれた腕をおろして、きまりわるく目をそらした。「だ、だいじょうぶ。ありがとう」

「沖島に渡せたか? すごいだろ、あいつ」

「……知ってて私に行かせたの」

「わるかった。でも俺もちょっと」

 そういって口をすぼめた土田くんに、情けないの、と私がぼやけば、土田くんはちょっと困った顔で笑った。

「つぎは許さないからね」

「次? 今回は?」

「今回は……許すけど」

 私が口の中で悔しさまぎれに呟くと、土田くんはお腹を抱えて笑い出した。ちょっと!

「笑わないでよ」

「わるいわるい……あ、そうだ。これやる」

 土田くんがそういっておもむろに制服のポケットから取り出した、個包装の小さなお菓子を手渡されて、私はきょとんと目を丸くする。土田くんはそんな私に、「それ。女子にもらったんだよ、甘いもの、俺食べられないから、空田にやる」

「あ、ありがと……」

「おう」

 土田くんと別れて、そのお菓子を口に頬張ったところで、私はそうやって彼にうまく流されたことに気が付き、「あっ!」と大声を出して廊下中の人目を集めてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る