#1-5
「空田、お前、いつもそうなのか?」
「え? きゃっ」
ぼちゃぼちゃと、給水機から注いだお茶がコップから溢れる。土田くんはそんな私を呆れたように眺めていたようで、お前、と口をすぼめる。「全くなにも集中できてない。体調悪いなら帰れ」
「悪くない……」
「そういうやつほどきつかったりするんだよ。顔だって真っ青だし、何回も……」
途中で言葉を切った土田くんの顔を仰ぐ。土田くんはちょっとうっとうなって、「なんでもない」
「なに?」
「なんでもないよ。もう帰れ」
「やだ。帰らない」
そんな私たちの会話を聴いていたらしい近山くんが、覚えたてらしい難しい単語で言う。「土田、送ってやれ。強制送還!」
「おう」
「えっ、ちょっと」
一度こくりと頷いて、土田くんは私の腕を引く。力は強くないんだろうけど、しっかりと掴まれていて離せそうにない。「いやだ!」だとか、「離して!」だとか言っても、ずるずると部室まで引っ張られる。
結局土田くんに言われて、胴着から着替えるのを無言で意味もなく部室の扉をにらみながら待ち、私は気が付くと土田くんと一緒に帰り道を歩いていた。
「空田んち、どこ?」
「おしえない」
つんとそっぽを向く私に、土田くんは淡々とたずねる。「お前、いつもあんな感じなの?」
「……いつもは、もうすこしまし……」
その質問に、つい押し負ける。お茶をこぼしただけじゃなく、箒で埃を落とそうとしては逆に埃をあたりに充満させて、洗濯をしようとしては洗剤を入れすぎて……調子が悪かったことは認めます。ごめんなさい。
「なんかあったのか?」
ぐ、と喉が詰まる。なんで、ときき返す声が裏返って、それが土田くんへの完璧な返事になってしまう。
「よく一緒にいる、あいつと喧嘩したんだろ」
「旭ちゃんを知ってるの?」
ふと、問い返してしまう。さっきの「なんで」の一言で、その声で、こんな風に気付かれてしまうんだね。あの泣かせてしまった子も、土田くんのこういうところが好きだったのかな?
「知って……いや。今のナシ。ていうか、そうじゃなくて。旭? ってやつと喧嘩したのか? 朝にさ、お前、ちょっと騒いでただろ。こっちまで噂になってた」
「どこまでバレてるの、こわい……」
「お前が悪い」
そうじゃないんだけどな、と口の中で呟く。噂の範囲じゃなくて、そうじゃなくて。
「まあ、喧嘩の内容は知らないんだけどさ。そういえば、頬は大丈夫か? もしかして、それで具合が悪かったとか」
「ううん、それは全然大丈夫。あれはね、完全に私が悪かったから」
「……旭との喧嘩の理由、それか? 空田が悪いだろって言われたのか」
「言われてない。旭ちゃんはそんなこと言わない」
「そっか。踏み込んで悪かったな。喧嘩して具合が悪かったのかって思っただけなんだ、ごめん。……そういうこと、俺にはよくわかんないけど、女子はよくあるみたいだから」
ちょっと顔をそむけた土田くんに、私はふと思ったことをたずねる。「ねえ、土田くんって、女の子が嫌いなの?」
「べつに」
即答される。
「でも、そうきいた」
「嫌いじゃない。わりとすき」
「え、それもちょっと」
私が顔をしかめると、土田くんは口角をあげる。にやり、みたいな、ちょっと変な笑い方だ。「そりゃそうだろ。健全だから、俺」
「うわあ……慣れてるタイプだったんだね」
「うるせ。ほら、この曲がり角、どっちだよ」
――そういうことか。だから土田くんは、私のすこしの動作や感情にちゃんと気が付けるんだ。
「ううん。ここでいい。……土田くん」
「ん?」
くるりと土田くんを振り返り、私は笑う。なんだか、久しぶりだ。こんな風に、心の底から笑えるの。しかも、男の子に向かって。テンペンチイノマエブレだ!
「ありがと!」
私がそう言って走り出すと、おう、とだけ言って、土田くんも笑う。あぶねえぞ、前見ろ、と彼が叫んだのを最後に、私はぐんぐんスピードを上げる。
――旭ちゃん。
――旭ちゃんが、土田くんを私の騎士にしたいって言ったの、まだ認めたくないし、私が認めてどうなるっていう話でもないんだけど。でも。
勢いよく走って、見慣れた旭ちゃんの家にいけたのは、きっと土田くんのおかげだった。
――言わなきゃ。旭ちゃん。
「旭ちゃん……」
いつもしていることなのに、もうずっと前から慣れているのに、旭ちゃんの家のインターホンを押すことができない。どきどきと心臓の音が鳴るのは、走ってきたせいだけではない。喉から心臓が飛び出しそう。
すう、と息を吸う。
「旭ちゃんっ!」
大声を出さないと、そのまま逃げかえりそうだった。でも、私はどうしても、もうこれ以上友達がいなくなるのは嫌。……卑怯な自分に、なるのは嫌。
「旭ちゃん、ごめんねっ……!」
――旭ちゃんが、なんで怒ったのか。
――旭ちゃんが、私のことを嫌ってるなんて、思ってないよ。やつあたりしたの、……だから。
「ごめんね……」
震える声で、言う。大きな声を出せたのはたったの一瞬だったから、旭ちゃんには届いてないかもしれない。そんなことを考えるだけで、胸がめちゃくちゃに痛いよ。
数分、待ったとおもう。数秒だったかもしれないけれど、私には何分もの、いや、なん十分の間に思えた。しんと静まる住宅街に、なんだか恥ずかしいとさえ思えるような長い時間。
からり、と旭ちゃんの部屋の窓が開いた。旭ちゃんの部屋は玄関が見える位置にあるから、自然、私のことも見えている。旭ちゃんはちょっと怒った顔で窓から顔を出したのに、私を見た瞬間、にっこり笑ってくれた。「ばかこころ!」
「ばかって……!」
そんな笑顔に、ぼろりと涙がこぼれる。……ああ、本当にばかなんだ、私は!
「でも、今回だけ、許したげる」
窓枠に身を乗り出し、旭ちゃんはそう言ってにんまり白い歯を見せた。
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