#1-4
「空田さん! あの、今日の放課後空いてる?」
顔を真っ赤にして話しかけてきた、顔を見たことがある、くらいの、同学年の男の子に、私は首を振る。この子が放課後私になにを言いたいのか、何の用事なのか、それはいままでの経験でなんとなくわかる。だからこそ、ずるいけれど部活を理由にした。
「ごめんね、私、部活いかなきゃ」
「部活? 空田さん、部活なんてしてた?」
「うん、ちょっとね……ごめんね」
そういって、ふいとその子に背を向けた私に、旭ちゃんが声をかける。「おはよ、こころ」
「ん? なになに、また告白?」
「! あ、旭ちゃん!」
私が顔を真っ青にしたのと同時に、彼も言葉を失う。赤くなったり青くなったりしたあとに、彼は走り去ってしまった。そんな彼の背中を見て、旭ちゃんはへらりと言う。「撃退しちゃったね」
「もう、旭ちゃん……あんまりだよ……」
「まあいいんじゃない、こころだって断る気だったんでしょ?」
「そうだけど」
はあ、とため息をついた私の腕を、旭ちゃんが軽く引いた。私は彼に心の中で謝りながら、旭ちゃんをにらむ。まあ確かにいいんだけどね、と私自身も考えてしまうから、私って本当に仕方ないなと思う。
「こころは本当にモテるなあ」
「モテるって言わないで」
――その言葉、嫌い。
もちろん、嫌い、と旭ちゃんに打ち明けたことはない。旭ちゃんはよくそういうから、旭ちゃんに嫌われたくなくてなのか、それとも単に言いづらいのか、私はその言葉が嫌いだということだけは言ったことがなかった。もちろんほかの女の子に噛みつかれるようにそういわれて、つい口走ったことはあるけれど。
「みんな、私の顔しか見てないんだよ。口をそろえて私の顔が好きっていうの。それってモテてるって言わないよ」
「本当、だから、私も、こころには……」
「うん? 私には?」
「――騎士がいるなあって、思うんだよってはなし」
「またそれ」
「そう。またそれ」
くすくす笑う旭ちゃんに、私も釣られて笑ってから、そっと真顔に戻る。――ねえ、騎士がいるなあって、言わないでほしいんだよ?
――私には、旭ちゃんがいればいいの。
旭ちゃんが、なんで私に「騎士がいるね」って言うのか、本当は、わかっている。でもそれは嫌なんだ。旭ちゃん本人に、「私がいらないようになって」って言われてるみたいなものだって……私は、気づいているから。
「おはよう」
そんなことを鬱々考えていた私に、正面からやってきた土田くんがそう手をあげる。方向的に、これから私たちとおなじで教室にいこうとしているのだろう。彼はD組、だったっけ。ということは、B組とC組を挟んで向こう側の棟だ。私と旭ちゃんのA組のある棟の、ずっと西側になる。この中央の棟に生徒の昇降口があるから、生徒は東と西どちらの棟の教室であっても、この廊下を通らないといけない。
「あ、おはよ」
私が慌ててそう返すと、ちょっとまわりにいた生徒の数人がざわついたのがわかった。なんだろうと振り向くと、特に女の子たちが、土田くんに騒いでいるようだった。
「うそ……土田が女子に挨拶した……!」
「えっ、しかも、あれ空田さん?」
その子たちを眺める旭ちゃんの表情に、ちょっとだけ勝利のようなものが浮かぶ。
「公認になったね」
ぼそりと旭ちゃんが呟く。はてなを浮かべる私と勝ち誇る旭ちゃんを置いて、土田くんはくるりと私たちに背を向けて自分の教室へと戻っていく。よくよく見ていると、その騒いでいた女の子たちは、土田くんとおなじ方向へとひそひそ話しながら歩いて行った。もしかして、土田くんとおなじクラスなのだろうか。
「だから言ったでしょ、こころ。土田は人気あるんだよ」
「よくわかんないけど……女の子たちが騒いでるのはわかった」
「それだけわかれば充分、充分」
旭ちゃんは上機嫌に私の頭をなでる。私はその手をちょっと払った。
「旭ちゃん、なんでそんなに嬉しそうなの」
「うん? だってさ、こころがこれですこしでも、気になってくれたらってさ」
「なにを?」
「土田を」
「ならないからね」
怒ってそう低く言った私なんてまったく気にせず、旭ちゃんはいまだ機嫌が良い。
「まあ、これくらいじゃこころは落ちないか……」
「よくわかんないけど、旭ちゃんのなかで妄想が進んでるのはわかる」
「おっ、妄想してるのバレてた?」
へらへらと笑う旭ちゃんの背中を強く、一発叩く。旭ちゃんはいてっと声をあげて、それからやっとすこしだけ、申し訳なさそうな顔をした。「はは、調子乗りすぎたね。ごめん」
「本当に!」
そう言って、私は旭ちゃんからふいと顔をそむけた。
「ねえ、空田さん」
教室にはいって席についてすぐ、クラスの女の子の一人から名前を呼ばれて私は振り向いた。長い黒髪の彼女は胸の前で手を組んで、私を見下ろしている。私は首をかしげた。
「空田さんさ、もしかして、土田くんと付き合ってるの?」
「へ?」
彼女の言葉に、旭ちゃんのほうをつい、ばっと見てしまう。旭ちゃんもちょっとぽかんとしているのを見て、私は旭ちゃんがなにかを言ったわけではないことがわかって再び彼女を見た。彼女は好奇心ともうひとつ、なにか嫌な感情を抱いた目でこちらを伺っている。
「ね、昨日も土田くんといたし、今朝もさ。挨拶してたでしょ」
「……挨拶くらいするでしょ?」
「しないよー! 土田くんってね、女嫌いって噂なの。それなのに空田さんには挨拶しだしたって、変でしょ?」
彼女が声のトーンを妙に上げたことに、私はぴくりと眉を動かしてしまう。ちょっと息を吸って、「あなたは無視されたってこと?」
「は?」
図星だったようで、彼女はかあと顔を真っ赤に染める。土田くん、旭ちゃんのいうとおり、本当にモテるんだね。女嫌いって言われてるのに好きな子が多いって、つまり……。
――空田さんの、顔が好きなんだ。
いつもの言葉が浮かぶ。そういって、悪気もなく顔を赤くしている男の子たち。そう、と返す私の声がこわばっているのにも気が付かないんだ。だって、顔しか見てないんだよね? 「私」は? あなたは「私」の、なにも知らないんだね。
……その、いつもの男の子たちの声を思い出したら、もう、どうしても堪らなくなる。彼女の顔とその男の子たちの顔が重なって、私は気が付くととても冷たい声でこう言っていた。「土田くんの顔が好き?」
「なっ、ちょっと」
「どこが好きなの? かっこいいところ? 真面目なところかな」
「でもそれって、一面だよね」という私の言葉が本当に嫌だったんだろう、彼女は手のひらを高く上げて、そのまま私の頬めがけて振り落ろした。私はとっさに目を瞑る。ばちんという音の後、旭ちゃんのわっという短い悲鳴が聴こえて、そのまま私はちょっと頬に触れた。じんじんと痛んで、ちらりと血の味がする。――ああ、口の中、切れちゃったんだ……
「ばかにしないでよ……!」
彼女がそう震える声で呟いて、ぼろぼろと涙を流す。――あ。
「ごめんね」
そう言葉を吐いたのは、そんなつもりじゃなかったけれど、彼女から見たら、私の言葉はただの捨て台詞だっただろう。顔を両手で覆って屈みこんだ彼女に背を向けて教室を出た。騒ぎを見ていたほかの子たちの冷たい視線より、旭ちゃんの表情のほうが気になった。
「こころ。言いすぎ」
「……旭ちゃん、あの子、本気だったね」
私を追いかけて、人気のない裏庭まで、一限の授業を放ってしまった旭ちゃんに、私はそう顔をそむける。ずるい。本当に、私はなんてずるいんだろう。
「本気だったね。うらやましいな……」
「……こころ」
そうこぼして、私は立てた膝にふたたび顔をうずめる。あの子とはちがう、ひどい気持ちからの涙が落ちていく。旭ちゃんは私の隣に座ったけれど、いまは頭をなでることも、手をつないでくれることもしなかった。
「私、ひどいこと言っちゃった。かっときたの、あの子もきっと、外側だけで判断してるんだって。私と土田くんを勝手に重ねて、すごくひどいこと言った。……土田くんは、本当にちゃんと中身を見てもらってたのかな。本気で好きだったんだね、あの子、土田くんのこと。すごいなあ……」
「こころ」
ぐい、と旭ちゃんは私の顎を掴んで、無理やり自分のほうを向かせた。それが痛くて私は眉をしかめる。ぼとぼと落ちる涙が嫌で顔を見せなかったのに、なんでそんなことするの? 心配してるだけだよ。わかってる。私が泣いてるのも、ただの自分勝手。わかってるんだ。
「こころ、なんでそんなに自分を嫌うの」
「は……」
「なんで? こころは良い子だよ、良い子なんだよ」
「……どこが? こんな、人に当たることしかできないのに。こんな子を見て、みんなはかわいいって言うの。それって笑っちゃうでしょ? 嫌ってもいいでしょ……」
勢いのまま言い募って、そして――「――旭ちゃんも、私のこと嫌いなんだよね?」
旭ちゃんが、はっきり顔をゆがめたのを見たのは、何度目だろう。付き合いはもうすごく長くなった気がしたけど、きっと片手で足りるくらいだ。
「こころ。私、それはちょっと許せない」
そう吐き捨ててから、旭ちゃんは私を置いて、静かに去っていった。
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