21.オミクロンXE

 次の方どうぞ〜。やわらかな若い女性の声に促されて勢いよくドアを開いた。

「失礼します。オミクロンXEです! 本日はよろしくお願いします」

 快活に自己紹介したオミクロンXEは、部屋の奥に横並びで座る審査員へ深々と頭をさげた。

「さ、どうぞどうぞ、お掛けなさい」

 とりわけ恰幅の良い真ん中の審査員から気さくな声が返ってきた。上体を起こすと、入口にほど近い場所にこぢんまりしたデスクがあって女性がキーボードを打っている姿が視界に入った。先ほどの声はこの女性のものに違いない。恐らく秘書なのだろう。彼女は中央にぽつねんと置いてある簡素な椅子を手のひらで差し示した。

 オミクロンXEは三人の正面までキビキビした動作で進み、もう一度腰を折ったあと着座した。

「なかなかのご活躍のようじゃないか。すごい評判だよ君は」

「いえ、滅相もございません。自分などまだまだ駆け出しのウイルスです」

 真ん中のたぬき顔の男は、オミクロンXEが入室した時から変わらぬ笑みを浮かべたまま賛辞を贈った。

「感染力はデルタの二倍、ワクチンの予防効果も大幅に低下させたというじゃないか。いやはや素晴らしい成果だよ」

「で、では——、自分もついにギリシャネームを?」

「まあまあ、落ち着いてください」

 興奮のあまり腰を浮かせかけたオミクロンXEを、右端にいる太っちょの審査員が両手をひらひらさせてなだめた。

「われわれも貴方のことは高く評価していますよ。しかし、まだ重症率も低いし、入院率も低いですからね。そもそもオミクロン株自体の入院リスクがデルタの三分の一じゃないですか。ひらたく言えば攻撃力が決定的に不足しているんですよ」

「そんな!」

 拡散力を重視せよとは大本営の方針であったはずだ。オミクロンXEは、そのために複数のスパイクを取り入れ感染力を強化したのだ。何もかも都合よく取り込むことなど夢物語でしかない。

「デルタのところでは、すでにラムダとミューの候補が居るではないですか? こう言ってはなんですが、今の主流はもう私ですし」

 その発言を遮って左端の眼鏡をかけた痩せ型の男が「デルタの功績は、そう簡単に比肩できるようなものではない」と冷たく言い放った。とりつく島もない。

 オミクロンXEは、ともすれば震えだしそうになる膝を、固く握りしめた拳で押さえつけていた。

「強毒化すれば……いいんですよね?」

「フンッ、口で言うほど簡単な話ではない。次の世代で感染率を落とせばあっという間にワクチンにやられてしまうんだぞ」

 痩せ男が鼻で笑うのを見てオミクロンXEは、ついカッとなって言ってしまった。

「やってみせますよ! 自分は、さらに変異して強毒化してみせます!」

「な、なにを馬鹿なことを!」

 故郷にはあらゆる犠牲を払って送り出してくれた家族がいる。地域のウイルス達の期待を一心に背負ってここまで来たのだ。ここで折れるわけにはいかなかった。

 突如、真ん中の男が拍手をはじめる。

「うん、うん、いいじゃないか。ぼくは前々から彼にはどこか見どころがあると思っていたんだ。どうだろう? 変異するという条件でギリシャネームを与えてやっては」

「委員長がおっしゃるのであれば、異論はありませんが……、失敗すれば彼は存在が消えてしまう恐れもあるのです。もしそんな事態になれば新型コロナ軍にとって損失となります」

「本人がそう希望しているんだからしょうがないじゃないか。ぼくは彼の意志を尊重してやったほうがいいと思うんだ」

 委員長と呼ばれた男の表情は、相変わらず貼りついたような笑みのままではあったが、瞳の奥の冷たい光をオミクロンXEは見逃さなかった。生唾をのんで背筋を冷たい汗が一筋流れた。

「では、ではいただけるのですか? ギリシャネームを」

「いいとも。許可しよう」

「ありがとうございます! 謹んで拝命いたします!」

 これで今までの全てが報われる。自分の命をかけてようやく掴んだチャンスだ。

「ちょうどあいてるのがあったんだ。君のギリシャネームは、クサイにしよう」

「え、クサイ株……ですか……」

「そう、ξだ」

「もう少し他のはないですか?」

「おいおい、欲しがるねえー。じゃあ、νだ。ニューも余っているからこれも付けてやろう。君は明日からニュークサイ株と名乗るがいい」

「ニュークサイ株。えっと、シグマとかはどうでしょう?」

「駄目に決まってるだろう! ずっと先だよシグマは。順番に行くなら次はπだな」

「パイ株」

「そう、パイ株だ。そっちのがいいかな」

 郷土の誇り、パイ株か。

「あの……ちょっとお待ちください。ほら? 日本人は、何にでも『お』を付けて丁寧に言いますよね? 本当はミクロン株なのに、おミクロンみたいな」

「いや? 最初からオミクロンだが?」

「パイも飛ばしてはいかがでしょう」

「おい、こいつをさっさと培養器送りにしろ」

 非情な声だけが部屋に響きわたった。


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