三十一話

 調練は続いた。三千人だった新兵は新たに約二千増えて五千人近くになっていた。

 兵舎の前の大きな広場で五千人の兵が前方に立つブロッソの後に続いて素振りをする。

 アカツキは兵達の間を巡回し、手を抜いている者の背を刃の潰れた斧で叩いていた。

 全体としての仕上がりはまずまずだ。基礎的な事は充分だ。特に最初に入って来た三千はよく動き判断するようになった。

 調練を終え風呂に向かう。

 将軍専用の湯船には既に先客がいた。

「やぁ、アカツキ」

 ヴィルヘルムだった。

 魔族の若者といっても年齢は多分アカツキを上回っているだろう。そのヴィルヘルムが話しかけて来た。

「聴いたぞ、俺が集めた二千の兵達をブロッソと一緒に打ちのめしたって」

 最初の三千と同じだ。二千の新兵達もアカツキ、ブロッソという降将を舐め、当初は言うことを聞かなかったのだ。

 だからブロッソと二人で血判状にサインし、自分達の首を取った者を将軍にすることと、一番槍をあげた者はアムル・ソンリッサの夫、すなわち国王にすることを約束したのだ。

 さすがにアカツキもブロッソも二千人を相手に手は抜けなかった。いや、手を抜いてはいけない。自分達が指導者として相応しいのか見極めて貰う機会だからだ。最初に同じことをし惨敗した三千の兵達は笑って二千の兵が倒れてゆくのを見ていた。

「それと、将軍位はまぁ良いが、アムル様の夫にするだなんて、よくも言えるな。多分、お前が言い出したんだろう?」

「良く分かったな」

 アカツキは身体を石鹸をつけた布で洗いながら応じた。

「ブロッソはアムル様に心服しているが、お前は違うからな。首は残りあと何本だ?」

「九本だ」

 アカツキは桶に溜めた湯を頭から被り身体に付着した石鹸を流した。

 そして湯船に入った。

 彼が溜息を吐くと、スッとヴィルヘルムがお湯の中を歩み近くまでやってきた。

「九本取ったら帰るんだろう?」

「当たり前だ。捕虜達のこともある」

 そう応じるとヴィルヘルムが少々元気の無い表情をした。

 良い機会だと思ってアカツキは長らく気になっていたことを、一番気楽に話せる相手に向かって尋ねた。

「お前達は何故、俺に優しいんだ?」

 するとヴィルヘルムは天を見上げて応じた。

「そうだな。最初はあの暗黒卿の腕を落とした人物だというのがあったからだな。それは素晴らしい駒が来たのと同じだ。みんな、お前とついでにリムリアを特別扱いした。それほど情勢はひっ迫していたんだ。領土はあるがアムル様は知っての通り徴兵は好まない。志願兵だけを集めて軍勢を作らなければならない。だからだよ、暗黒卿並みの一騎当千の武将が自分達の仲間に加わるのなら、御機嫌取りをして精々身を粉にして働いてもらう。そんな風に考えていたのさ」

「なるほど、もっともだな」

 アカツキは応じた。だが、少しだけ寂しかった。それだけのことなのだ。

「だけど、アカツキ、そしてリムリアも、俺達を心服させた。アカツキは臨時に率いた兵達のことを思い、リムリアは仕事に一生懸命だった。それに可愛いしな、彼女」

 アカツキは応じなかった。

「そして付き合っていくうちに、俺達は、少なくとも俺はお前が好きになった。武骨で時に反骨心を見せるお前が威勢が良くて好きだった。硬直状態だったのは戦線だけでなく、アムル様や、俺達武将の心もだったんだ。お前がアムル様に反発する度、新しい風が吹くのを感じた。たぶん、どの将軍もそうだろう。今では悪鬼アカツキは我が国の自慢の一つにまでなった。以上だ、戦友、いや親友」

 ヴィルヘルムが手を差し出した。

 戦友? 親友? 俺にとって、そう言う立ち位置に居るのは光の者達のはずだ。そうでなければならない。

 ファルクス。バルバトス・ノヴァー太守、ツッチー将軍、ラルフにグレイ。その他の将軍達のはずだった。

 だが、脳裏を巡るのはここで知り合った者達ばかりだった。目の前に居るヴィルヘルム、シリニーグ、ブロッソ、サルバトールにアムル・ソンリッサでさえ、そして驚くことに暗黒卿にも似たような感情を抱いていた。

 結局、アカツキはヴィルヘルムが伸ばした腕を握り返すことはしなかった。

 ヴィルヘルムも察したらしく色男が微笑んで手を下ろした。

「複雑な事情だもんな。捕虜達のこともある。だけどお前が俺達を少しでも好きでいてくれたら俺達は嬉しいな」

 ヴィルヘルムは湯から上がった。

「そうだ、明後日あたりにあと一千に満たないぐらいの新兵が来る予定だ。領内の隅々まで志願兵を募って回ったんだぜ。本当に疲れたよ。きっちり鍛えてやってくれよな」

「ああ」

「じゃあな」

 ヴィルヘルムは去って行った。

 アカツキは声にこそ出さなかったが内心戸惑っていた。好きなのだ。闇の奴らの事が。それはあってはならないことだ。光と闇は相容れない。光は闇を討滅すべし。光の神の教えだ。

 だが、闇の奴らも光の奴らと何ら変わらない。このままで良いのだろうか。闇に身を埋め彼らと肩を並べてきたのは自分だけだろう。つまり、闇の者達が良い奴だということを知っているのは自分と、そしてリムリアぐらいのものだ。

 もう一度問う、このままで良いのだろうか。俺にはやらなければならないことがあるように思う。

 だが、いずれにしろ、まずは九つの首を取る事だけが先決だ。捕虜達は優遇されているが自由にしてやりたい。

 アカツキは湯殿から出た。



 二



 アカツキは城門の外を流れるせせらぎの前で、武器と防具を洗っていた。演習中には使用しないが、定期的に洗っている。刃はピカピカの状態だ。いつでも戦に行ける。

 アカツキはカンダタの刃を見詰めた。

 ダンカン分隊長。俺はどうすれば良いのでしょうか。

 あそこでヴィルヘルムの手を握るべきだったのだろうか。

 アカツキは洗い終わった鎧兜を身に着け、腰の左に斧を、右の鞘に剣を差した。

 そして城内へ戻って行く。

 夜が白々と明け始め、日勤の兵達が任務に就いた。

「アカツキ将軍」

 彼らとすれ違う度に、敬礼される。その顔は誰も彼も微笑んでいた。

 俺も末端の兵達に好かれられるようになったか。

 このままで本当に良いのだろうか。

 アカツキは城内の演習場まで来ていた。

 そしてぼんやりしながら誰もいない演習場を眺めていた。

「光は闇を討滅すべし」

 ふと響いた声にアカツキは戸惑い殺気丸出しで振り返った。

 暗黒卿が演習場に足を踏み入れた。

「闇は光を討滅すべし」

 相手は言った。

「天では神々が争いを繰り広げている。彼らの創造物である我らにも類は及んでいる。我らはチェス盤の駒でしか無いのかもしれぬな」

「チェス盤の駒だと?」

「あるいは気まぐれな運命神が、そんな世界を救う不協和音を、救世主を創り出すやもしれぬ。いや、既に創り出しているのかもしれぬな……。あとはその者が使命に目覚めるか否かだ」

 暗黒卿はアカツキを振り返った。

「だが、今はアムルのために闇の民のために大陸の半分を我らの手中にせねばならぬ。それこそが今の我が使命。来い、アカツキ将軍。どれほど強くなったか見せてみよ」

 暗黒卿が剣を抜き待ち構えている。

 アカツキは右手に斧を、左に手に剣を握り静まる城内を震撼させる程の咆哮を上げて向かって行った。

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