十五話

 戦場で風呂に入らず寝ることは経験している。

 しかし、今は戦は終わった。どうしても寝る前に風呂に入らねば身体が気持ち悪かった。

 彼は武具に防具に置いておくと、とりあえず風呂に入ろうと思った。

 ふと見ればベッドの上に着替えが置かれていた。侍女が持って来たのだろう。

 アカツキは着替えを抱え外へ出た。

 静まり返った真昼の回廊を彼は歩んで行く。

 湯はどこだろうか。入り口に戻って番兵に尋ねるべきだろうか。

 そうこうして城の中を歩んでいると、運よく巡回の兵に出会った。

「おい」

「えっと、えっと……」

「アカツキだ」

「そうでした、アカツキ将軍! 何か御用でしょうか?」

「風呂は何処だ?」

「風呂でございますか? それがし、ここの警備兵になって日が浅いのでうろ覚えですが案内いたします」

「頼む」

 本当に任せて大丈夫だろうか。兵の後に続き一階に下りる。そこから回廊を通って行くと兵が立ち止まった。

「こちらで間違いないかと思います」

 別に何の表札も出ていなかったが、扉を開けると、棚があり、ガラス戸に仕切られて向こう側に湯が張られているのが見えた。

「ここのようだな。礼を言う」

「そんな将軍、礼だなんて。それではどうぞごゆるりと」

 若い魔族の巡回兵は照れた顔を見せるとそう言って去って行った。

 アカツキは棚に着替えを置き、服を脱ぐとガラス戸を開ける。湯気が身体を掠めていった。

 衣服と共に準備されていた清潔な布切れを取り、まずは備え付けの石鹸を泡立て頭と身体を丁寧に洗う。父親がそうだった。武器や防具のように自分の身体も労わる様にして丁寧に洗っていた。

 そうして桶に湯船のお湯を入れ頭から三度ほど被り、石鹸を洗い流す。

 彼は湯に浸かった。今更だが広い湯船だった。将軍達専用の湯殿なのだろうか。ヴァンピーアでもそうだった。

 疲れた身体に湯が染み渡る。青色の湯だった。何か薬が混ぜてあるのだろう。

 アカツキは脚を伸ばし一息吐いた。

 あと十二の首を取らねばならない。

 そしてふと思う。捕虜達を湯に入れてやりたい。髭も髪も整えてやりたい。だが、そんな厚遇をアムル・ソンリッサが許すだろうか。

 と、ガラス戸が開いた。

「おい、誰か居るのか?」

 威厳ある女の声だった。

 それはアムル・ソンリッサで間違いは無かった。

 アカツキは戸惑った。もしや、俺は君主専用の風呂に入っているのでは無いだろうか。

「この時間にこっそり我が湯殿に入りに来たことを咎めはしない。だから居るなら返事をしろ」

 アムル・ソンリッサの声が言った。

「返事が無いなら剣の錆にするまでだ」

 アルム・ソンリッサの影は剣を抜き、湯船に迫って来ていた。

 アカツキは気まずさを覚えながら湯から上がろうとした。

「待て!」

 アムル・ソンリッサが慌てた様子でそう言った。

「ん? 貴様、アカツキか!?」

「あ、ああ」

 アカツキは湯船から上がりかけながら振り返って応じた。

「ここは君主専用の御湯だ」

「そうだったみたいだな。すぐに上がる」

「待て!」

 アカツキが再び出ようとすると、アムル・ソンリッサが声を上げた。

「今上がればお前の見たくもないものを見てしまうでは無いか」

 アカツキも気付いた。

「そのようだな」

「新参ということで今回は多めに見て置いてやる。次回からはその首と捕虜達の命が無いと思え」

 アムル・ソンリッサが去ろうとしたとき、アカツキは思わず呼び止めていた。

「捕虜の件で話がある」

「何だ?」

「彼らも湯に入らせてくれ。それと髭と髪の毛を整えさせてやってくれ」

 するとアムル・ソンリッサはくしゃみをした。声の割に可愛らしいくしゃみだった。

 アカツキは湯の中を歩み、アムル・ソンリッサのもとへ近寄った。

「ぶ、無礼者!」

 相手が声を上げた。見ればアムル・ソンリッサは布一枚に身を包み、剣を手にしていた。肌の色は緑をし、長い灰色の髪をしている。胸の辺りは大きく起伏していた。若く見えるが何歳なのだろうか。いや、魔族は人よりもずっと長生きをする。もしかすれば何百歳でこの麗しい顔と、妖艶な身体つきをしているのかもしれない。

「捕虜の件は分かった。ヴィルヘルムからお前の活躍は聴いた。そのぐらいは大目に見てやる! だから」

「だから?」

「こっちを見るな!」

 アカツキは君主に背を向けた。

「私は廊下で待つ。その間に湯船から出て着替えをして出ていけ!」

 アルム・ソンリッサは脱兎の如く出て行った。

 湯には浸かった。もう充分だ。

 アカツキは言われた通り湯から出ると、ガラス戸を開けて閉めて身体を拭き着替え始めた。ゆったりとした服装だった。腰に布を巻いて上着を締める。

 外に出ると、長い布で身体を隠している主君と出会った。

「ジロジロ見るな! お前は民の言葉でいう変態か!」

 切れ長の目を怒らせ、顔を紅潮させている。羞恥心だろうか、アムル・ソンリッサはそう声を上げた。

「捕虜の件忘れるなよ」

 アカツキが言うと麗しの君主は応じた。

「分かっている。お前も今度、風呂を間違えたら、捕虜何人かと、あの女、リムリアの命は無いと思え!」

 そう怒鳴ると彼女は湯殿に入って行き、力を込めて扉を閉めた。

 意外と可愛い性格をしている。

 アカツキはそう思うと部屋へ戻った。

 彼が部屋の扉を開けると、そこにはベッドで眠るリムリアの姿があった。

 また間違えたというのか。と、思ったが、見慣れた武器と防具がそこにあった。

「お前は何がしたいのだ?」

 アカツキはベッドで狸寝入りをするリムリアに尋ねた。

「あ、バレちゃった」

 リムリアが起き上がった。

「アカツキ将軍、ご飯まだでしょう? 日勤の兵士さん達の食堂に案内してあげるよ。あたしもお腹すいたんだ」

「確かに飯はまだだが、そんなことよりお前は何で俺の部屋で寝ているんだ? さっきは自分の部屋に居たでは無いか」

「さっき? もしかしてあたしの部屋覗いたの?」

「間違えただけだ。何もやましいことはしていない」

「意気地なし」

 小さな声でリムリアが言ったが、アカツキは追及はしなかった。

「そういえば、アカツキ将軍のにおい、アムル様と同じにおいだね」

「単に風呂を間違え、同じ石鹸を使っただけだ」

「ふーん」

 リムリアの目が冷たくなった。アカツキは居心地が悪くなった。

「あたしとアムル様だったらアカツキ将軍はどっちが好みかな?」

 お子様と、魔族の女だと。

「あ、今、あたしのことお子様って思ったでしょう?」

「思って何が悪い」

「アムル様、綺麗だったでしょう?」

「そうだな」

 アカツキが言うとリムリアは頬を膨らませアカツキの身体を両手の拳を振るってポカポカ叩いてきた。

「止めんか。そんなことをするからお子様と思われるのだ。それに俺と奴との間には何も無い!」

 するとリムリアが手を止めて笑った。

「何だ?」

 アカツキが尋ねるとリムリアは言った。

「冗談よ。アカツキ将軍、真面目だもんね。嘘を吐く人じゃないってことは、ここではあたしが一番よく知ってるもん」

「何が良く知っているだ。お前とも会って間もないでは無いか」

「それはそうだけど、ここで一番付き合いが長いのは変わらないでしょう?」

「それは。そうだ」

 否定できずにいると、リムリアは笑ってアカツキの手を取った。

「さ、食堂閉まっちゃうよ。アカツキ将軍、行こう行こう」

 そうして小さな身体に引っ張られるようにしてアカツキは食堂へ向かったのだった。

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