十六話

 食堂は広い王城の一階にあった。

 日勤の兵達がその一角で眠たげな目をして言葉少なに談笑していた。

 ここにいる以上、俺達も昼夜逆転の生活に慣れねばならんな。

 アカツキは自分の手を掴む隣の女の横顔を見下ろして少しだけ心配した。

 カウンターで決まったメニューを受け取り、日勤の兵達のささやかな時間を邪魔するのも悪いと思い、彼らと距離を取った場所で席に座った。

 俺が、魔族の兵に気を遣うだと?

 アカツキは自分の思考が信じられなくなり、一瞬固まった。

「今は魔族の皆は仲間だからそう思うのも仕方がないと思うよ。アカツキ将軍はいつでもどこでも部下思いなんだから尚更じゃない?」

 リムリアが対座しながら言った。

「お前、俺の考えていることが分かるのか?」

「顔に書いてあるもん」

 そう言ってリムリアは木製のスプーンでスープを掬って飲んだ。

「うーん、まずまずね。リゴ村の赤竜亭みたいな美味しいお店が城下町にあると良いけど」

 アカツキもスープを飲んだ。芋の沈んだスープだ。岩塩と薬味が少々薄く気だるい味だ。

 冷たいパンをかじり、野菜のサラダを食べる。レタス、千切りキャベツ、トマトにピーマン。酸っぱみのある柑橘類の汁が掛かっている。

 光も闇も食べる物は変わらなかった。

 食事を終え、アカツキとリムリアが外に出ると、そこには悲し気な表情が描かれた道化の面を被った赤装束の者が待ち受けていた。

「ガルム様、何か悲しいことでもあったの?」

 リムリアが尋ねた。

「ええ、大切に育てていた盆栽の剪定を少々失敗してしまいまして」

 盆栽が趣味とは思わなかった。それにあんな退屈そうなものの何が楽しいのだろうか。剣を振った方が気がまぎれる。アカツキはそう思った。

「フフッ、アカツキ将軍、盆栽を馬鹿にしてはいけませんよ」

 アカツキは顔に出さず少々ビックリした。

「それで何の用だ?」

 アカツキが問うとガルムは含み笑いをしながら答えた。

「もう寝た方が良いですよ。我々闇の者は夜こそ、あなた方の朝と同じなのですから。それだけ言いに来たのです」

「律儀な事だ」

 アカツキが嫌味を言うとガルムは再び含み笑いを漏らして応じた。

「夜になったら渡した兜は手元にあった方が何かと良いでしょう。そしてリムリアにはこれを」

 そう言ってガルムは眼鏡を渡した。

「これ何?」

「夜でも魔族のように昼のように見えるようになる特別な眼鏡です。厩舎のお仕事も捗ると思いますよ」

「そうなんだ。ありがとう、ガルム様!」

 リムリアは笑顔でそう言いながら何故かアカツキの腰に抱き付いた。

 そしてふと前を見た時、そこにガルムの姿は無かったのだった。

「幽鬼みたいな奴だな」

 アカツキは素直にそう述べた。そして部屋へ向かって歩き始めた。

 部屋の前に来るとアカツキの部屋のベッドにリムリアが飛び込んだ。

「おやすみなさーい!」

「待て。ここは俺の部屋だ」

「うん、知ってる」

 リムリアは微笑みながら応じた。

「知ってるなら出ていけ。お前の部屋は隣だ」

 アカツキは辛抱強く言った。

「あたしアカツキ将軍のにおい好きなんだ。何だか落ち着くの。だからアカツキ将軍も一緒に寝よ」

 そう言ってリムリアは毛布の片端を持ち上げて誘った。

 アカツキは彼女がうっとうしく思い声を上げた。

「もういい、俺は適当なところで休む!」

 そう言って剣と斧を手に取り部屋を後にする。

「あたしの部屋のベッド使って良いからね! アカツキ将軍のにおい、いっぱいつけてってね!」

 扉を閉める寸前にリムリアの声が聴こえたが、当然使うわけもない。

「なんなんだあいつは」

 アカツキはそう言って人気の無い回廊を進んだ。

 外に出る。その直前に番兵達が寝なくて良いのかと気遣ってきたが、適当なところで寝ると言ってそのまま城の外に出た。

 昼を過ぎた空がアカツキを迎える。

 正直言って昼に寝るのは苦手だった。だからこそ斧と剣とを持ち出したのだ。

 アカツキは城の前で右手に斧を、左手に剣を構え振るった。

 幾度も幾度も振るった。上段から下段へ、それが千を越えれば薙ぐ様に左から右へ。両刃の斧の頭が若干重すぎるため、身体が流されることに気付いた。筋力不足だ。アカツキは一人孤独に修練を続けた。

「精が出るな」

 そう声を掛けて来た者がいた。

 声は男のものだった。声質からすると若くはなく自分と同じぐらいの年齢だろうとアカツキは思った。

 だが無視して続けると相手はアカツキの隣に並んだ。左右に振るわれる剣の影が横目で見えた。その巻き起こす鋭い二つの風の音にアカツキは思わずそちらを見てしまった。

 目と口元が露出する竜のような兜をかぶり甲冑に身を包んだ黒い外套を纏った男だった。

「やっと興味を持ってもらえたか」

 スラリとした体型の相手はそう言った。

「私の名はシリニーグ。お前が光の者アカツキ将軍、またの名を悪鬼アカツキだな?」

 アカツキは素振りを止めたが答えはしなかった。

「昨晩デルフィンと戦ったばかりではなかったか?」

「そうだ」

「私は今週は日勤担当の責任者に任命されてるが、お前はそうじゃない。眠らなくて大丈夫なのか?」

 寝床を奪われた。とは言えなかった。

「眠れんのだ。お前達とは正反対の生活を送って来たからな」

「なるほど。身体を疲弊させるために素振りを、それも千五百以上もやっていたわけか」

 いつから見ていたのだろうか。

「眠れないのなら、これを試してみるか?」

 シリニーグは何か粒を取り出した。

「それは?」

「眠りを誘発させる薬だ。夕暮れも近い。短時間の眠りでも疲労も吹き飛ぶ」

 シリニーグはアカツキに手渡した。

「出仕は夕陽が沈んでからだ。もう時間が無い。その辺の陰にでも横になってしまえ」

 そうするより他なかった。

「何故俺に?」

「属する勢力は違うが、今は同僚だろう? それに先の戦で早くも悪鬼の呼び名を得た勇者だ。もはや我が軍にとって重要な武将だからな。寝不足で討ち死にされては困る」

 シリニーグは双剣を鞘に戻した。

「アカツキ将軍、早く二刀流をものにしてくれよ。私とどちらが強いか是非競い合いたいからな」

 なるほど、素振り稽古を見られただけで、二刀流は素人だと見破られたのだ。

 アカツキは心の中で笑った。

「では、また玉座の間で会おう」

 シリニーグは黒い外套を翻して城内へ帰って行った。

 それを見送るとアカツキは手の平に残った錠剤を見て口に放り込んだ。そして周囲を流れるせせらぎに手を入れて水を掬い薬を飲み下した。

 半信半疑だったが、どこぞの陰に行く前に薬の方が効果を示してきた。

 予想以上だった。強烈なまどろみを覚える。頭がガンガンする。立ち眩みが襲い、アカツキはその場に膝をつき、ついに倒れた。

「アカツキ将軍!」

 誰かが側に来たようだ。柔らかく温かい何かの上にそれに頭を動かされた。目を開くと心配そうな顔をしているリムリアの姿があった。

「お前……」

「あたしの膝の上でお眠りなさいアカツキ将軍」

 次第に気分が心地よくなり、アカツキは暗い世界へと落ちていったのだった。

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