三話
五万と五千の兵などいなかった。
生き残ったのは二万ほどだろうか。傷ついている者も多かった。後は血の海に沈み事切れていた。
これが魔族の精兵、特に暗黒卿が率いる兵の力だった。
必ず弔いはする故、今は許せ。
アカツキは馬を走らせながら、遠ざかってゆく戦士達の亡骸に向かってそう胸の内で呟いた。
馳せることどれぐらい経っただろうか。
太陽が夕暮れに姿を変えた頃になって、戦場の音が聴こえてきていた。
遠くに城が見える。幾つもの高い櫓で四方を囲み、こちらの弓兵隊が決死の思いで城壁上の弓兵を攻撃している。更には衝車が城門を打つ鈍く大きな音も木霊していた。
二万の傷ついた騎兵隊は馬に被害が及ばぬように遠くで馬を下りた。
城壁には果敢に梯子を立て侵入を試みる兵達の姿があった。
「負傷した者は下がっていろ。残りは分隊になり城内への侵入を試みろ。行くぞ!」
アカツキは馬から飛び降り駆けた。城までは距離があった。
そこら中に放置されている長梯子の一つを手に取ると、後ろから誰かが持ち上げた。
「将軍、我々が一番手柄を立てて見せますよ」
ラルフが言った。そしてグレイも同じく梯子を手にしている。他に見知った三人の兵士がいた。
「ですから、将軍、どうぞお下がりください」
グレイが端正な顔に輝く冷静な瞳を向けて渋さを帯びた声でそう言った。
そしてラルフ達は弓矢と罵声が飛び交う戦場へ長梯子を抱えて駆けて行った。
グレイの言葉、兵には兵の役割が、将には将の役割があるということだ。
馬に乗り戦場を駆け叱咤激励して回るか、後ろでどっしり構えているか。それが将として正しいのだろう。
しかし、アカツキは落ち着かなかった。
兵が命を散らすのと、将が命を散らすのは同じことでは無いだろうか。どちらが崇高な命というわけではない。等しく人間には変わり無いからだ。
アカツキは戦場へ駆けて行った。
矢が疎らに飛んで来る。深紅の外套は目立つらしい。自分でもこんな派手な格好は好まないが、将なのだ。外面を良く見せること、兵や民に対する威厳というものが無ければならない。それを分かっているからこそ纏っているのだ。
弓矢対策の三角屋根付きの衝車が破城鎚で分厚い城門を叩いている鈍い音が聴こえた。
櫓と城壁の矢の応酬を見ている。日は暮れ、視界が悪くなってきていた。
だが、昼夜を徹して兵は動き回り、傷つき、あるいは命を落としてゆく。
こんな戦、とっとと終わらせるべきだ。
アカツキは駆けた。
そして城壁に長梯子を掛けて侵入を試みる一隊と出会った。
「アカツキ将軍!?」
弓矢を構え梯子を上る僚友を援護をしていた三人の兵が驚きの声を上げて敬礼した。
「そんなことはいい援護を続けろ! それと弓と矢は余っているか!?」
「そ、そこの木箱に」
兵が恐縮した様子で指差す。
木箱が置かれ、弓が幾つかと無数の矢筒が入っていた。
アカツキはそれらを取り、矢筒を背に回す。
「ヘンリー、頑張れ! アカツキ将軍が来て下さったぞ!」
下で僚友達が弓矢を放ちながら、梯子を上るヘンリーと呼ばれた兵に声援を送る。
敵兵が顔を出す。梯子を押し退けようとする。
アカツキは素早く弓に矢を番え力いっぱい振り絞り、放った。
矢は敵兵の顔面を貫き虚空へ消えて行った。
兵達が驚いたような顔を見せたが、それが畏敬の表情に代わった。
「援護を続けるぞ! ヘンリーとか言ったな! 踏ん張れ!」
アカツキは声を上げ兵達と並んで次々力の乗った矢を放った。
不意に、大音声で叫び声が上がった。
「暗黒卿は撤退したぞ! お前達はもはや孤立無援だ!」
そう呼んで回る騎兵が周囲を行き交っていた。
敵の士気を削ぐためだろう。だが、無意味かもしれない。神々が決めている。光と闇は相容れない。降伏はすなわち死だ。何の価値も無い。
兵の弓の腕は悪くはなかったが、良くも無かった。それが夜となり視界が悪くなると敵兵の姿を見付けられなくなる。だが、アカツキにはまだ影が見えた。彼の矢だけが敵兵を確実に仕留めている。
ヘンリーと呼ばれた兵は危なげなく頂上へ上り詰めようとしていた。
そしてその身体が城壁の上に消えた。
「一番乗りはファルクス将軍が兵卒ヘンリーが果たしたぞ!」
頭上から声が聴こえた。
アカツキは弓矢を投げ捨てすぐさま梯子を駆け上がった。
ヘンリーが大勢の敵を相手にどうにか生き残っていた。
「加勢するぞヘンリー」
アカツキは腰の鞘から剣を抜いた。
が、それは刀身の半ばから圧し折れた父の形見だった。
アカツキは剣を鞘に戻すと、手近の敵兵に襲い掛かり、手を取り身体を潜り込ませ、背負い投げをした。
石畳に叩きつけられた敵兵が呻きを上げる。
アカツキはその手から放れた剣を素早く取ると、敵勢の中へ斬り込んで行った。
俺が働けば働くほど戦が早く終わる。犠牲の数が少なくなる。
「アカツキ将軍!」
ヘンリーの僚友達が剣を抜き戦列に加わった。
「アカツキ将軍、ありがとうございます! おかげで我が分隊が一番乗りという栄誉を」
「剣を振るえ! 戦はまだ終わっていない!」
アカツキは剣を旋回させ、肉壁を突き進みながら声を上げた。
「はっ!」
分隊が後に続く。
早く城門を開いて味方の兵を呼び込ばねば!
アカツキは片手剣を振るっていたが、いつの間にかそれは左右に一本ずつになっていた。
俄か二刀流だが、俺ならできる!
二刀流は教官のアジームが得意とする剣術で今回は参陣していないが戦で見る機会は幾つでもあった。齢、七十を越えながらも正確無比に二本の剛剣を放つ姿は頼もしかった。
アカツキは両手の剣を振るって、敵を次々切り崩していった。
「アカツキ将軍、ファルクス将軍もお強いが、まるで違う。鬼の様だ」
そう呟くのが耳に入った。
鬼。
そうだ、今は鬼となれ。鬼神でも悪鬼でも構わない。ただ鬼となるのみ。
鬼のように刃を振るえ!
悲鳴が断末魔が響き渡り、肉片が、首が、血煙が影となって飛んでゆく。
「よもや雑兵に交じって将が乗り込んでくるとはな。敵ながらあっぱれよ」
剣を旋回させ、幾人かの敵を斃したところで、前方に立ち塞がる影があった。
「我が名は魔族が将――」
「貴様に構っている暇などない!」
アカツキは飛び出した。
「その意気やよし!」
剣と剣がぶつかり合う。
剣の腕はなかなか良い。名前ぐらい聴いておいても損は無かったかもしれない。
剣が打ち合う度、火花が散った。
「我が剣術は暗黒卿殿直伝! 喰らえ!」
両手剣が風の唸りを上げて突き出された。
アカツキはそれを左手の剣で受け流し滑らせ、火花が散る中、飛び込んで右手の剣を突き出した。
刃は敵将の首を貫いていた。
「暗黒卿殿……無念」
魔族の将はそれだけ言い残すと背中から斃れた。
「お前達にこいつの首をやる。俺は行かねばならん。ここまでだ」
アカツキはヘンリー達、分隊にそう言うと下へ下りる階段目指して敵を斬り裂きながら突き進んでいった。
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