雨は勢いを増すばかりだった。雨さえ降らなければ大砲が使えた。それにあの威力。それで攻城も既に終わっていただろう。必死に走りながら誰もが天を恨んだに違いない。

 オザード中隊は駆けに駆けていた。足が棒に成り果てても走ることをやめることはできない。それでも脱落者は多く出た。今は何人が根性を見せて着いて来ているのだろう。この調子では戦場に着いた途端に疲れ果てて使いものにならず、無駄に命を散らすだけではないか。そう思った。しかし、兵站を守る兵士達が今もオークに負けじと踏ん張っていることを考えると、疲労の中に決して折れない僅かな闘志が燃え上がるのだった。

 ダンカン隊は全員がついてきている。いや、正式にはゴブリンのゲゴンガが隊の中では先頭だった。彼は軽快な動作で走り、こちらを振り返り叱咤激励するのであった。

 ダンカンとイージスは息を切らしていた。その側にいる若いフリットもだ。オークのバルドは三人より遅れていたが、強面の顔はその色が読めなかった。

 中隊長オザードは意地を見せ中隊の先頭を行き、黒い外套をはためかせている。いつしかダンカンはそれを目指して駆けていた。

 老将ジェイバーの姿は見えなかった。老いてなお盛んとはいえ老体だ。脱落はしていないだろうが、列のずっと後方を走っているだろう。その姿に鼓舞され、足を止めない者も多いはずだ。あるいは老将はそれを考えていたのかもしれない。

 更に駆けた。もう夕暮れも近いだろう。

 雷鳴が轟き、稲光が黒い空を走る。

 鬨の声が聴こえていた。

 建物が見える。

 無人だったオークの村で激闘が繰り広げられていた。

 さっそく雨に打たれ泥水の中に横たわる同胞の亡骸が一行を出迎えた。

 乱戦が繰り広げられていた。

「オザード中隊が助けに来たぞ!」

 オザードが士気を上げる目的で雷にも負けずそう叫んだ。

「奴らは疲れきっている! 援軍から先に潰せ!」

 オーク達が方向を変えこちらへ突撃してきた。

「オザード中隊、意地を見せてやれ!」

 オザードが命じると、各分隊長が声を上げ、ヨロヨロになりながら敵を迎え撃った。

 ダンカンも地面に倒れたいほど疲労に蝕まれていた。胸が苦しく、息が上がって止まらない。ついでに足は棒も同然だ。それでも彼は述べた。

「ダンカン隊、出撃だ!」

「行くぞ!」

 イージスが声を上げる。副官の彼を先頭にオーク達との戦いが始まった。

 しかし、強行軍を踏破してきた兵達は本来の実力を発揮できず、虚しくオークの刃の餌食となっていった。

「協力して敵に挑め!」

 そう叫んだのは同じ分隊長のバーシバルという男だった。穏やかだが芯のある正義感の強い男だった。そのバーシバルがダンカンにウインクする。

 途端にダンカンはやってやるぞという気分になった。

 オークに良いようにあしらわれている若いフリットの間に割って入り、愛剣カンダタを力強く振るった。

 オークの手が分断され宙を飛ぶ。そこを若いフリットが、雄叫びを上げてすかさず飛び込み喉に剣を突き立てた。

「フリット、見事だ!」

 ダンカンが声を掛ける。

「ダンカン隊は相変わらず連携が良いな」

 バーシバルが達人の如く剣を振るいオークを斬り裂いたところでそう言った。

 新手が飛び込んでくる。ダンカン達は再び戦場に向き直る。重い風を孕んだ刃という刃を避け、反撃に出る。

 副官のイージスが両手剣を旋回させ、同時に二つの首級を上げたところでバルドの闘志にも火が付いたようだった。オーガーのバルドはたてがみと両手の斧を振り乱し、血路を開く様にして肉壁を斬り裂き道を作って行った。

 そのうち遅れた兵士達が次々合流し、オザード中隊は七割型勢揃いした。

「その意気だ! どんどんぶっ殺せ!」

 中隊長オザードが鼓舞し鎧兜と同じ漆黒の両手剣を振るい自ら奮戦する。その実力はさすがだった。肉片が次々飛び、断末魔の声が響いて止まなかった。

「おのれ! その黒いの! このオークが将、ビグナルタスと勝負しろ!」

 肉食馬に跨ったオークの戦士が大斧を差し向ける。

「受けて立つぜ!」

 オザードが果敢に攻めていった。

 オークの将も地面に下りて突撃してきた。

 ダンカンとゲゴンガ、フリットがようやく協力して一人を斃した時、そちらの勝負も着いていた。

 血の滴るオークの将の首をオザードが掲げた。

「敵将、この俺が討ち取ったぜ!」

 その声と姿を見て味方は戦意高揚し、敵は戦意を喪失した。

「夜になる前に決着をつけろ!」

 オザードが叫んだ。夜になれば人間の目は役立たずになる反面、オーク達は夜目が利く。形勢は大きく敵側に傾くだろう。

 フリットとゲゴンガが弾き飛ばされる。

 オークの兵士がダンカン目掛けて槍を繰り出した。

 ダンカンはそれを受け流し、オークの懐に入るや声を上げて剣を振るった。愛剣カンダタはまた新たな命を奪い新鮮な血を吸った。

「隊長!」

「さすがでやんす」

 部下の二人は立ち上がって合流した。

「遅れたわい!」

 老将ジェイバーが他の数十人の兵達と合流した。これでオザード中隊はほぼ完全な状態になった。

「よっしゃ、オザード中隊、敵を踏み拉け!」

 中隊長オザードが声を上げる。ダンカン達も応じて声を上げ、薄くなったオークの軍勢に雪崩れ込んだ。

 オークは瞬く間に殲滅された。オザード中隊はようやく兵站となっている村の中へ入ることができた。あちこちで剣戟の音が、気勢を上げる声が、叱咤激励が轟いている。

「よし、御苦労だが、加勢に行くぞ!」

 オザードが振り返ってそう言った時だった。

 一筋の矢が鋭い音を上げその首を貫いた。

「がっ!?」

 オザードがよろめく。

「刺客!? あそこじゃ!」

 ジェイバーが指し示す。

 離れた木の上に何者かがいた。暗くてよくは分からなかったが、オークにしては線が細い。

 ゲゴンガが反応し矢を放つとそいつは木の上から落ちた。

「ダンカン隊、刺客を捕えて参れ!」

 ジェイバーが指示し、ダンカンは四人の部下と共に草木を掻き分けながら駆け出した。

 そこには暗い色のフードを被り、同じく暗いマントを羽織った者が倒れていた。左腿をゲゴンガの矢が貫いていた。ダンカンが剣先でフードを剥すと女の顔がそこにはあった。人間だった。側にクロスボウが落ちていた。

「アイツは死んだか?」

 こちらより早く女が尋ねて来た。

「お前はオークの刺客なのか?」

 まさか人間がオザードを暗殺したとも思えず、ダンカンは困惑したが、副官のイージスが剣を向け言った。

「ゲゴンガ、フリット、こいつを立たせろ。中隊長のもとへ連行する」

 荒っぽい身体検査を受けても、女は抵抗しなかった。無表情だった。ゲゴンガとフリットがその両肩を担ぎ、背後から両手剣を突き出したままイージスが歩いて行く。

「隊長、行くぞ」

 バルドに言われ、ダンカンは自分が呆然自失したことに気付き後を追った。

 黒剣のオザードと呼ばれ、戦場でもヴァンパイアロード討伐でも名を馳せていた中隊長オザード・キーボトスは死んでいた。

 女が肩を震わせ笑い声を上げた。まさに狂気染みている笑い声だった。悪魔の哄笑だ。

「黙らんか!」

 分隊長の一人がその頬を叩いた。

 女が泥の中に倒れる。しかし、それでも尚笑い続けていた。

「近くの民家に収容せい」

 老将ジェイバーがそう指示を出す。

 一つの分隊が女を連行して行った。笑い声が遠のいて行く。

「ワシが臨時で中隊長としてこの場を指揮する。同時にバーシバルに小隊長となってもらう」

「分かりました」

 村の中では相変わらず雨と雷鳴に交じり戦いの音が聴こえている。

「さぁ、急ぐんじゃ! 援軍に行け、勇敢なる兵士どもよ! 一つでも多くの僚友達を救うのじゃ!」

 新たな中隊長の指示のもと、分隊長達が次々部下を引き連れ村の中へと消えて行く。

 ダンカン隊も後に続こうとしたとき、女を連れて行った分隊の隊長がよろめきながら戻って来た。

「お、女を取り逃がしました……」

 そう言うと分隊長は倒れた。首の後ろに短剣が突き刺さっていた。ダンカンが息を確かめた時には事切れていた。

「オークの刺客だったのかどうかは分からずじまいか」

 ジェイバーがこちらを見て溜息を吐いた。

 ダンカンは立ち上がった。戦闘に、突然の中隊長の死、逃走した女。もはや疲労などが付け入る余地が無かった。身体は高揚し、頭の中には謎が渦巻いていた。それでも彼は言った。

「ダンカン隊も行きます」

「うむ、頼んだぞ! 夜までもう時間が無い。急いでオークを殲滅せねばなるまいて」

 ジェイバーが言った。

「イージス、フリット、ゲゴンガ、バルド、ダンカン隊出撃だ!」

 ダンカンの声に四つの声が応じた。

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