短く目の細かい鎖にぶら下がったタグがある。そのタグには持ち主の部隊と名前が記されていた。

 分隊長や生き残った兵達は、勇猛に散っていった同胞達の亡骸からこれらを回収し上官に報告する。そして速やかに戦死報告の手紙が家族に向けて届けられるのだ。

 同時に、城目前の戦場に広がる屍もこのままにはしておけず、敵味方、区分けして集めることになる。

 ダンカン隊は幸運にも誰も死なずに戦闘を終えることができた。

 今回の戦、敵は城を落とすつもりで来たのだろうが、オーガーやミノタウロスの強兵が思っていた以上に集い活躍を見せたためか、傷が浅い内に早々と退却して行った。

 暗い表情をし部下のタグを回収する他の分隊長を見つつ、ダンカン達は亡骸の回収に追われていた。

 イノシシの様な面構えをしたオークの遺体は大きくて重かった。

「ダンカン、無事だったか」

 そう頭上から声を掛けられ、見上げると、直属の上官である小隊長のジェイバーが馬上にいた。

 ダンカン隊は慌てて手を止めて姿勢を正した。

 小隊長ジェイバーは老齢の百戦錬磨の武将だった。顔にはしわが目立ち、白髪と白髭を生やし、痩せていて枯れ木のような男だった。だが、ダンカンは知っている。ジェイバーが甲冑を割るほどの強弓を未だに引き、手に剛槍を握り締め振り回して戦場を悪鬼の如く跋扈するのを。見た目とは裏腹に老いてなお盛んな武将だった。

「ダンカン隊、幸運にも全員無事であります」

 ダンカンが口調を整えて言うと小隊長は頷いた。

「それは何よりじゃ。ワシもお前達の顔を再び見られて安堵しておるぞ」

「勿体無いお言葉」

 ダンカンが頭を下げる。

「ジェイバー様、オイラ、隊の中で一番槍を上げたでやんすよ」

 ゴブリンのゲゴンガが得意げに言う。ダンカンは手で制したが、老将は笑って頷いた。

「それは頼もしい。武働き御苦労である」

「はっ!」

 ゲゴンガが姿勢を正した。

「ではその方らは作業に戻ってくれ」

「よし、遺体を運ぶぞ」

 ダンカン隊の副官のイージスが言い、ゴブリンのゲゴンガとオーガーのバルド、そして人間の若者フリットはいそいそと歩んで行った。

「ダンカン、仮面騎士の噂は知っているか?」

 ダンカンはドキリとした。太守バルバトスの変装した姿のことである。

「さ、さぁ、それがしは初めて聞き及びましたが」

 ダンカンは冷や汗を流しながらそれらしく努めて答えた。

 老将ジェイバーの細い目の奥から鋭い光りを感じた。

「全身甲冑姿でその正体は不明ということじゃ。あちこちに現れては兵を助け鼓舞し再び戦場に消えてゆく。噂だけ聞けばまるで太守殿のような者じゃが」

「はぁ、しかし、太守殿はヴァンピーア城から決して動くなと国王陛下直々の御命令のはずです」

「うむ、そうじゃった。太守殿がお忍びで参戦に来られたかと思ったが、きっとどこぞの頼もしい傭兵に違いないだろうな」

 老将は笑い声を上げると供を連れて去って行った。

 ダンカンはその背を見送り大きく一息吐いた。見破られただろうか。太守バルバトスには目立ち過ぎと忠告せねばならぬだろう。しかし、その手に握る名剣ネセルティーに救われた命は多くあるはずだ。

 ダンカンも、恐らく他にも同じ考えを持つ者はいると思うが、太守バルバトスこそ戦の総大将になるべき人材だ。ヴァンパイアロードを討った勇者とも英雄ともいえる名声を生かして、玉座に鎮座させ、民を安心させ、兵を募るよりも、直接戦場に出向いてこそ、その優れたカリスマ性には価値がある。あのどこか朗らかで爽やかで男らしい声が、そよ風の様に胸に心地良く、兵達の意気を上げ癒し力づけ鼓舞された気分にさせてくれる。中央から派遣された将軍は無能ではないが、それでも兵の人気としてはバルバトスには劣るだろう。

 ダンカンもまた遺体運びに加わった。



 二



 戦争が無ければ調練。調練が無ければ、任を与えられた兵以外は自由に過ごせた。

 昨日の遺体は、敵味方に分けて、外で火葬した。回収した武器や鎧はその役割を持つ者達に回され、ピカピカに磨かれ、あるいは鍛冶に打たれたり、仕立てられて戻って来る。

 ダンカンは副官のイージスと城壁の上で腰を下ろして武器の刃を研いでいた。

 イージスはマメな男でもある。暇さえあれば刃を研ぎ、防具を磨いていた。ダンカンもいつしかそれを見倣う様になった。こうして武器を研ぎ、鎧を磨いている間は無心になれる。あるいは、些末な考え事の答えが出たりするのだった。

 すると城壁の上の兵達が慌ただしく動くのが聴こえた。

 見れば全員敬礼している。

 鎧兜を身に纏い、重々しい斧槍を担いだ若者が歩んで来ていた。

「あ、これは」

 イージスが慌てて立ち上がり敬礼する。

 ダンカンも並んだ。

「久しいな、ダンカン」

 記憶が正しければ成人して一年ぐらいだろうか。若者は堅苦しい口調でそう言った。

「グシオンお坊ちゃん、お戻りでしたか。武者修行の方はどうでしたか?」

「良き友にも出会い、良き経験もした。それとお坊ちゃんはやめてほしい」

「では、これ以後はグシオン様とお呼び致しましょう。これ以上は負けられません」

 ダンカンが言うと、グシオンは兜からのぞく端麗な顔で溜息を一つ吐いた。

「分かった」

「今は御散策ですかな?」

「いや、イージアの武将、ツッチーという者に会いに行こうと思って行方を捜しているのだ。手合わせをしたくてな。イージアの陣営にはあいにく居なかった。何か知らぬか?」

「さぁ、少なくとも城壁には居られぬと思いますが」

 ダンカンが言うとグシオンは頷いた。

「分かった。他を当たろう。ではな」

 そうして若者は去って行った。

 今のが太守バルバトス・ノヴァーの息子、グシオン・ノヴァーだった。本当は血は繋がっていない。グシオンは父バルバトスに拾われた孤児だった。だが、それでも父の様に逞しい姿に育ってくれたことが、幼い頃からグシオンを知る者達にとっては喜ばしいことだった。しかし、残念ながら父とは違い寡黙だった。これで父の様に皆に勇気を与える様な男に育てば奇跡だろう。

「故郷にいるお前の子は幾つになった?」

 ダンカンはイージスに尋ねた。二人は再び隣り合わせに座り刃を研ぎ始めた。

「十四です。妻からの手紙だとヴァンピーアの兵になるんだと意気込んで学校そっちのけで道場に通い始めたとか。まったく」

「ハハハハッ、それは頼もしいな」

「できれば、兵にはなって欲しくは無いというのが親の心情です。こうやって経験不足の若い兵が何人も何十人も、いえ、何百人も討たれて死んでゆく様を見てくれば尚更です」

「それは……そうだな」

 ダンカンは副官にかける言葉が見付からなかった。

「隊長も生涯の伴侶を見付けてみてはどうです? まだ遅くはありませんよ」

「俺は不器用な男だからな……」

 ダンカンはそう答えた。

 その時、フリットが息せき切って目の前に現れた。

「何だ? 何かあったか?」

 イージスが問う。

 階段を駆け上がって来たのだろう。フリットは荒い呼吸を整えながら言った。

「小隊長殿が各分隊長に至急集まる様にと」

 ダンカンとイージスは目を合わせた。

 ついに始まるのだな。ベテラン兵士の二人の目は共にそう語っていた。

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