第11話 黄昏の賢者
「これが使者からの書状です」
そう言って側仕えの男は蝋で封印された羊皮紙をシモンに差し出した。シモンはそれを固い表情で受け取った。
「……読み上げます」
蝋の封を解き、巻かれた書状をシモンは開く。
「我がオルレアン大公の娘の弟にガノアの王位継承権の正当性を認めよ。さもなくば我が勇猛果敢なるオルレアン軍が正義の名の元にカナンの騎士団を殲滅せん」
強張った声でシモンが読み終わると、怒号が飛んだ。
「なんという傲慢!」
「神聖なるカナンに攻め込むとは」
「この賢者の地を汚そうというのか!」
「なんたる冒涜行為だ!」
「どこに正義があるというのか!」
騒然となった場を収めたのはアインヒだった。
「皆さまお静かに。ここは冷静に考えようではありませんか」
黄昏の賢者の言葉に皆一様に黙り込み、アインヒの言葉を待った。
「現実問題として、オルレアンの軍事力は強大。我がカナンの騎士団といえどまともにぶつかり合っては勝ち目はないでしょう」
その言葉にしんっと静まり返る。
「もし、騎士団が敗北すれば……」
そこでアインヒは一呼吸置いた。
「神聖カナンの権威は地に落ちましょう」
「黄昏殿?では、どうすれば。諸外国に助けを求めるのですか」
賢者の一人が立ち上がって言った。アインヒは首を振って言った。
「それはなりませぬ。カナンがオルレアンに屈服するのと同じことです」
「それでは他に方法があるのですか?」
アインヒは優雅に微笑む。
「戦わなければよいのです。こちらも使者を遣わしましょう」
アインヒはゆっくりとカムパネルラの方を向いた。
「夕闇殿、行っていただけますね」
それに反対したのはアルジールだった。
「おじいさんを危険に晒す気か?言い出したあなたが行けばいいでしょう!」
アインヒは大きくため息を吐いた。そして駄々をこねる子供を諭すような口調で言った。
「わかっていませんね。あなたは。賢者の最高峰である夕闇殿が使者となることに意味があるのです。もともと彼らが欲しいのが王位継承権の正当性です。夕闇殿なら喜んで彼らは迎え入れるでしょう。夕闇の賢者が使者ならば彼を利用することを考えるはずです。そこに付け込めばいい」
アインヒはカムパネルラに向き合った。
「行っていただけますね」
「構わんぞ」
カムパネルラはあっさりと頷いた。
「ちょ、おじいさん」
アルジールが制しようすると、カムパネルラは付け足す様に言った。
「アル君も連れて行くが、いいかのう」
「へ?」
「わしは頭が悪くてのう。使者などという大役わし一人では自信がないのじゃ。その点、アル君は頭脳明晰、博学多才、英明果敢。立派に使者の役目を果たせよう。アル君がいればわしは後ろで楽が出来る」
本音も言うことも忘れない。いや、むしろこっちが本命だ。
「護衛の一人や二人は勿論つけます。彼を同行させるのはむしろ足手まといでは?」
「その点は大丈夫じゃ。アル君は優秀な魔術師での。騎士十人よりも頼りになるわい」
がははっとカムパネルラは笑いアルジールの背中をばんばんと叩いた。
「僕は行くとは一言も……」
「老い先短い老人の頼みじゃ」
「後、百年は生きそうですけどね」
「勿論そのつもりじゃ!」
アルジールは深いため息を付いた。
「行きますよ、行けばいいんでしょ。おじいさんを一人にしたら何をやらかすのか心配ですしね」
「おお、流石アル君。わかってくれたか」
「わかった訳ではありませんけど」
「決まりじゃな!」
そう言ってカムパネルラは親指を立てた。
「本気か?アル」
そう言ってきたのはファムだった。
「はい、ファムさん」
「……危険過ぎる」
そう言うファムにアルジールは意外そうな顔をした。
「ファムさんがそういうことを言ってくれるとは思いませんでした。ですが大丈夫ですよ。いくらなんでも夕闇の賢者になにかするとは思えませんし」
それはどうかなとファムは思う。人間はなにをするかわからないものだ。愛していると抱き締めながら、次の瞬間にはその相手にナイフを突き立てる。そういうモノなのだ。
「ファムさんは気にせず悪魔を探して下さい。賢者の中に契約者いるなんて知られたら大事ですから。ここで悪魔と対等にやりあえるのはファムさんだけですし」
他に聞こえないようにアルジールは小さくファム耳打ちした。
「ふん、元よりそのつもりだ」
ファムは目的を変えるつもりは毛頭なかった。
カムパネムラとアルジールは数人の付き人と共にオルレアンの母船へと使者として城を出て行った。残されたキースとファムがやることはただ一つだ。誰もいない大理石で出来た広い廊下を歩きながら、キースは言った。
「さっぱりわかんないなあ」
なんとも頼りないキースの言葉だった。
「気配は感じるから間違いなくいるはずなんだが」
キースの表情が険しいものになる。
「悪魔を召喚してくれりゃ、一発なんだけど」
「役立たずだな」
ファムが悪態をつく。余程のことがなければ契約者が契約した悪魔を召喚することはない。キースが例外なのだ。そもそも契約者が死亡したのに顕現している悪魔などキースぐらいのものだろう。
「いい方法は一つあるぜ」
「なんだ?」
「この城の奴らを皆殺しにする」
なんてことのないようにキースは言った。
「そうすりゃ、そのうちに当たりにぶつかるさ。悪魔が契約者を守るために出て来るだろ」
我ながらいいアイデアだとキースは提案した。ファムは咄嗟に顔を背ける。
「いつまで経ってもファムは甘いなあ」
それだからいつまで経っても俺を殺せない。
「このっ!」
ファムは思わず無駄だと知りながら剣に手をかける。だがその刃がキースに向けられることはなかった。
「おやおや、物騒ですね」
気配もなく近づいてきたのは、黄昏の賢者のアインヒだった。
「喧嘩ですか?このカナンで血生臭いことは止めて下さいね」
穏やかに笑っているが、ファムは先ほど見た一瞬の不気味な笑みがまだ脳裏にこびりついていた。
「なんのようだ」
ファムは警戒心を露にそう問う。
「いえ、お暇かと思いまして」
「別に暇じゃない」
ファムは素っ気なく、答えた。
「けれど何か、誰かをお探しのようだ」
「あんたには関係ない」
アインヒただ軽く目を瞑り、やれやれとため息をついた。埒が明かないと感じたのだろう。
「では話題を変えましょう。ここ最近世界中で頻繁に争いごとが起こっているのを知っていますか?」
確かに昔よりも傭兵の仕事が増えているのは感じていた。だがそれをさして気に留めたこともなかった。キースを殺せる悪魔を見つけ出す好機が増えたぐらいにしか思っていなかった。
「私はね、その原因が悪魔ではないかと思ってます」
「な、なんだと……」
「悪魔との契約者が、戦争を望んだ、と」
「…………」
「さもなければ、突然戦争の火種が次々と沸き起こってきたことへの説明がつきません」
「なんでもかんでも悪魔のせいにしてくれちゃ困るな。人間同士がいざこざを起こすなんて昔からだろうが」
キースが不満そうにぼやく。
「ええ、確かに」
アインヒは否定しなかった。
「悪魔と契約した人間が望んだにしろ、単に人間同士の諍いが増えたにしろ。同じことですから」
一体アインヒは何を言いたいのか、ファムは訝しんだ。
「そういえばアルジール、君ですか。夕闇殿に可愛がられていた少年は」
「アルがどうかしたのか?」
ファムが問う。何故ここでアルジールの話が出て来るのだろうか。
「いえ、彼の本名を夕闇殿から聞いたのですか。彼の名前はアルジール・ドゥル・エトワール。ノルデンから来たそうですね。ノルデンのエトワールといえばクラウディアの領主の姓です。あの悪名高い女領主のね。でもその女領主が死に、その長女が後を継いだと聞いてます」
アインヒの話はまだ続く。
「その女領主ですが……契約者だったという噂も聞き及んでいまして」
「何が言いたいんだ?」
黙って聞いていたが、ファムのイライラは限界に達していた。このアインヒという賢者の人をくった態度がそもそも気に入らない。
「その女領主は病死ということになっていますが……殺されたのではないかと私は思ってます」
「悪名高かったんだろ、怒り狂った民衆にでも殺されたんじゃないか。よくある話だ」
ファムは適当にはぐらかそうとした。アルジールの姉が殺したとは言えなかった。自分があの女領主の死に関与していたことがばれてしまう。また何故かアルジールの自分を慕う笑みやクラウディアの人々の為に手を汚す覚悟があるという強い瞳がちらついたのだ。
「そうでしょうか。もし……もしも、女領主が悪魔と契約していたというなら……」
「なら、なんだ」
「悪魔を殺せるのは悪魔だけ」
思わず肩が震えた。
「女領主を殺したのは同じく契約者とその悪魔いうことになります」
静寂が訪れた。中庭の噴水から溢れる水音だけが支配する。小鳥の囀りの中ファムが口を開いた。
「私が悪魔か契約者だと、思っているということか?」
「もしくはキースさんが」
証拠はありませんが、うっすら笑みを浮かべながら視線だけでキースを見やる。
「もし本当に私やこいつがそうだとしたら、随分不用心だな。口封じのため殺されても文句は言えない」
だがアインヒはファムの言葉を笑い飛ばした。
「私の勘ですが女領主を殺した契約者は中々狡猾なようです。ここで私を殺すなどと軽率な真似はしないでしょう。あくまでも、勘ですが」
二人の間にまた重苦しい静寂が落ちる。じっとりと空気がたっぷりと水分を吸っているようだ。こころなしか汗をかいていることにファムは気付いた。そこに場違いな声が飛ぶ。
「はいはい、質問でーす」
当事者であるのに蚊帳の外だったキースだ。
「ずっと謎だったんだけどあのカムパネルラのじいさんはどうして賢者になれたんですかあ?」
良い子よろしくおどけてキースは手を上げる。
「あなた方はなにも知らないのですね」
毒気を抜かれ、呆れたようにアインヒは言う。
「彼の本名はカムパネルラ・マルキ・ド・ラルクシュール。元ラルクシュール国の国王です」
「国王だと……」
しかもラルクシュールといえばオルレアンと同等以上の大国だ。がははと豪快に笑い食い意地の張ったあのカムパネルラからはとても想像出来ない。
「在位は僅か十年。それでも名君中の名君、聖王として今も称えられています。彼はあっさりと王位を弟君に譲り、放浪の旅に出たのです」
あまりにも意外なカムパネルラの正体にファムは言葉が出ない。
「勿論、名君だったからといって賢者になれるわけではありません」
彼は……とアインヒは続ける。
「悪魔の誘惑を撥ね除けたのです」
ひゅうっと口笛を吹いたのはキースだった。
「へえ、そいつは興味深い」
くくくと喉の奥で笑う。
「これは人づてで聞いたことですが……彼が王位についた時ラルクシュールは文字通り滅亡の危機でした。飢饉に疫病、諸外国からの侵略行為。その中で彼は世界の見る夢に足を踏み入れたといいます」
『世界の見る夢』その言葉にファムは咄嗟に反応した。
「それは本当なのか!?あのカムパネルラが『夢見るモノ』だというのか?」
アインヒはそれを一瞥した。
「人の話は最後まで聞くものですよ。そこで夕闇殿は悪魔と出会いました。悪魔は取引を持ちだしました。そこでどんなやり取りが行われたかまでは知りません。けれど夕闇殿はそれを拒否したのですよ」
「悪魔はその人間が何を引き換えにしても良いと思う願いを叶える……勿論対価はもらうがな」
「その通りですよ、キースさん。だからこそ悪魔の誘惑を撥ね退けることの出来る人間はほぼいない。おわかりいただけましたか。カムパネルラ様が夕闇の賢者に選ばれた理由が」
「ああ、よくわかった」
キースは頷いた。その顔からは笑みが消えていた。
「あのじいさんはとんだ食わせ物だったわけだ。なあ、ファム」
ファムは黙したままだった。カムパネルラに訊きたいことが出来た。これまで数多の悪魔とその契約者を屠ってきた。だがその誘惑を退けた人間など会ったことがない。そして彼が『夢見るモノ』であるなら再び世界の夢に彼が赴くことが出来るかもしれない。それなら、ひょっとして。針の穴ほどの望みだったが灯台下暗しとはこのことか。
「それでは私はこれで」
一礼してアインヒは二人に背を向けた。さらさらという衣擦れの音と共にアインヒは独り言のように呟くのを聞いた。いや、聞こえるように言ったのかもしれない。
「カムパネルラ……夕闇の賢者……全く持って忌々しい……」
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