第10話 賢人会議
賢人会議の行われる賢者の間に入った瞬間、シモンの罵声が飛んできた。
「遅い!あなたが最後ですよ。食べるのに夢中で会議のことなど忘れていたのでしょう!大方食べるものがなくなったからしぶしぶやって来たんでしょう」
あながち間違っていない。
「腹が減っては戦は出来ぬというではないか」
「戦じゃありません、会議です。お腹一杯になったら昼寝しちゃうでしょ、あなたは。そもそも部外者まで連れてきて!夕闇殿の弟子というから特別にカナンに連れてきましたが、賢人会議は賢者のみというのが決まりです」
「ま、そうですよね……」
アルジールが諦めてそう言った時だった。カムパネルラはぽんとアルジールの肩に手を置いた。
「そういうお堅いのが駄目なんじゃ。民草の意見も聞くべきじゃろう。特にこのアル君は将来有望じゃ。勉強のためにも会議に出席させて欲しいんじゃ」
カムパネルラの言葉に賢者たちは顔を見合わせる。
「夕闇殿のお言葉だぞ」
「いや、しかし賢者でもないものを」
「だが夕闇殿を無視するわけには」
「そもそも彼らは何者なのだ」
ぼそぼそと話す賢者たちの意見はまとまりそうになかった。その中で一人だけ声を上げた賢者がいた。
「よろしいのではないのでしょうか」
「黄昏殿!?」
先ほど部屋を訪れてきたアインヒだった。アインヒは黄昏の賢者だったことがここで判明した。夕闇の賢者に次いで二番目の地位にある賢者だ。
「夕闇殿の弟子ならば将来賢者になることはほぼ確実。聴講だけなら差支えないのでは」
一応に皆押し黙る。夕闇の賢者と黄昏の賢者というツートップが許可している以上異論を唱える者がいるはずもない。シモンだけはぶつぶつ言っていたが。
「こほん、では会議を始めましょうか。ほらほら、夕闇殿さっさっと座って。口元のソースくらい拭いて下さいね!」
シモンはファムたちに椅子を用意させた。カムパネルラの丁度後ろだ。三人が腰掛けたところで、会議は始まった。早々にカムパネルラはこくりこくりと船を漕ぎ始める。何度も背中をアルジールは突いて起こすが、直ぐにまた居眠りを始めてしまう。シモンがやっぱりねという顔をしている以外は咎めるものもいない。おそらくいつものことなのだろう。アルジールは本当に何故この人が夕闇の称号を持っているのか、ますますわからなくなった。
「どうだ?」
最初から会議などに興味のなかったファムはキースに問う。契約者はいるか?と言外に滲ませて。
「いるな」
キースは端的に答えた。
「誰だ」
「わからない」
キースが珍しく渋い顔をした。
「ここにいる誰かには間違いない。だが誰かはわからない」
それが意味するところは。
「ここまで近くにいるのに、わからないとなると……俺と同等かそれ以上の奴だ」
「そうか」
ファムの紫の瞳が歓喜に輝く。まるで紫水晶が光を乱反射しているかのように。
「喜ぶのはまだ早いぜ。このままわからないままカナンを離れることになるかもしれない」
「見つける方法はないのか」
「ここまで上手く隠れている奴を見つけ出すのは難しいねえ」
向こうから正体を現してくれない限りは。
「ちっ。使えない奴め」
ファムは悪態をついた。そうこうしているうちに会議は進んでいく。カムパネルラは居眠りする度にアルジールに頭をはたかれるまでになっていた。そして『おやつの時間かの?』と言っては頭を撫で擦るということを繰り返している。
「さて、次が今回のメインの議題です」
女神イズマーニが描かれた高い天井にシモンの声が凛と響く。
「紛争が続くドルモア地方の情勢についてです。幾つかの国がカナンからの支援を求めて
おります」。
そのシモンの言葉に一人の賢者はふっと笑った。
「支援?戦争への大義名分が欲しいだけでしょう」
それにまた一人と同意する。
「カナンは中立を維持すべきですな」
「賢者は世俗と関わりを持たぬのが古来からの習わしだ」
そしてアインヒ、黄昏の賢者がまとめ上げるように言った。
「愚かな民草が争いたいというのなら、好きに戦わせておけばよいのです。愚者どもの争いなどただ黙って見ていればいい」
その時、突然がたんと激しい音が響いた。アルジールだった。
「何だよ、愚かな民草って!賢者ってのは知と徳に優れた人たちじゃあなかったのよ!犠牲者が出るってわかっていて傍観しているつもりかよ」
顔を真っ赤にして我慢ならないという様子で声を上げた。先程まであれこそ賢者だと信じていたアインヒの冷徹な言葉に裏切られた気がしたのだろう。それに目を細めて静かにアインヒは言った。
「我々賢者に特定の国に与せよと君は言うのですか?それこそ戦争の引き金になりかねない。そもそも賢者とは己が真理の探求を務めとする。それから君には発言権はありません。聴講のみなら、という条件でこの賢人会議に出席するのを許しているだけですから」
純度の高い水晶のように冷えた言葉をアインヒは投げかける。他の賢者も皆一応に冷ややかな視線をアルジールに向けていた。アルジールはぎりぎりと歯を鳴らす。ファムがそんなアルジールの肩に手を置き、黙ったまま首を振った。
「所詮賢者とは日和見主義者の集まりだったな」
賢者に憧れを抱いていたこの少年にはいささかショックだったかもしれない。世界中の人間の尊敬を一身に受ける賢者。だが彼らはカナンから出ることは滅多にないベールの包まれた存在でもあった。百年旅をして来たファムでさえ出会ったことはなかったのだ。ふらふらと放浪しているカムパネルラが異端なのだ。この結果は予想してしかるべきものだった。だがそこで意外な人物が口を開いた。
「好きに発言せい、アルジール」
カムパネルラだった。アルジールは俯きかけた顔をはっと上げる。その目は驚きに見開かれていた。
「夕闇殿、それはルール違反ですぞ」
「この夕闇が許可する」
その一言で周囲は静まり返った。カムパネルラが会議で発言するのが余程珍しいのか、それともそこまで夕闇の賢者というのは権威のあるものなのか。おおそらく両方だ。ファムも意外そうにカムパネルラの顔を見る。その横顔は先ほどまで鼻ちょうちんを出しながら居眠りしていた人物とは思えない圧倒的な威厳があった。
「おじい、いえ、夕闇の賢者殿。いいのですか?」
そのカムパネラの雰囲気に圧倒されたのかアルジールも思わず居住まいをただす。
「よいよい、言いたいことを言うんじゃ」
カムパネムラは一瞬見せた厳かな雰囲気を消して好々爺の笑みを浮かべた。
「夕闇殿が許可するなら、発言を許しましょう」
そうシモンが言った。口調は固いがその口元からは笑みが零れていた。アルジールは真っ直ぐに立ち、口を開く。
「発言を許可されたので話を続けたいと思います。夕闇殿は『正義だと信じているものを説得など出来ない』とおっしゃいました。一理はあります。けれど話し合うことを諦めてはいけないというのが僕の意見です」
静かだった賢者の間は騒然となった。
「夕闇殿のお言葉を否定するのか」
「何という不逞の輩」
「許されぬ無礼」
「この不届き者が」
次々とアルジールに対して罵声を浴びせてくる。そこにパンパンとカムパネルラが手を叩いた。
「発言を許したのはわしじゃ。アルジールを愚弄する者はこの夕闇を愚弄したものとみなす」
カムパネルラがそう断言すると、皆口元を覆い黙り込んだ。
「話を続けます。確かに不当な領土侵犯による、亡国の危機の為の避けようのない戦いもあります。しかしそうでないのならば互いの国が歩み寄れる妥協点を見つけることも可能なのではないでしょうか。その為に権威ある賢者が出来ることがあるはずです。例えば賢者を使者として派遣することも可能なのでは?」
そこまでアルジールは話し終わった時、アインヒは見下すように言った。
「愚問だな。その妥協点がもはやないからこそ、我々から大義名分を求めて来るのだ。所詮世俗の者どもは争うことしか知らぬ。我々賢者は愚民どもの道具ではない」
「愚かなのはあなたがた賢者なのでは」
そのアルジールの言葉で周囲に緊張が走る。
「そうではありませんか。何もしないまま、最初から結論を決めている」
「我々を世俗の愚民と同じだと言うか」
「それよりも愚かです」
賢者の間は絶対零度の凍てつくような空気で満たされた。一触即発といったところである。カムパネルラはその様子をただ静かに見つめていた。
「……やるじゃん、アルの奴。面白くなってきたな」
キースはにやにや笑いながら腕を組んでアルジールとアインヒのやり取りを見つめていた。
「ふん、馬鹿な奴だ。ほっとけばいいものを」
ファムの言葉にキースはちらりとその様子をうかがう。ファムはいらいらした様子で足のつま先で床をとんとんと叩いていた。
「おや、珍しい。アルが心配なの?」
「は、馬鹿なことを。そんなわけあるか」
「にしてはいらついているけど」
「ここに『いる』とわかっていて何も出来ないことにいらついているだけだ」
「ふーん。ま、そういうことにしときましょうか」
キースは意地の悪い笑みを浮かべた。アルジールとアインヒの舌戦はいまだ続いていた。
「英知を極めた賢者が民草の助けをないがしろにするのですか?」
「我らが世俗の者と交わらないのは古今東西変わりはない。己が蒔いた種を刈り取るのは己が自身です」
「そのままではいずれ民の敬愛と信頼を失う事にもなりません」
「人は何かを信仰し縋るものがなければ生きてはいけない。我ら賢者はただ在るだけでよいのです」
ヒートアップしていく二人だったが、突然それは打ち破られた。
「会議中のところ失礼します!」
ばたんと激しく音を立てて、賢者の側仕えの一人の男が飛び込んできた。この賢人会議中にやって来るとは余程のことだろう。男は汗だくで息も荒い。
「用件は?」
シモンが冷静に問う。
「そ、それがオルレアンが使者を寄越して参りました」
オルレアンは大陸の六分の一を占める大国である。
「またですか、追い返しなさい」
アインヒはそう告げた。だが。
「それが……今回は軍隊を引き連れているのです」
賢者たちを驚愕と困惑が包み込んだ。
「ガノアの王位継承権はオルレアン大公側にあるということを認めなければ、攻め込むと」
「どういうことじゃ?シモちゃん」
カムパネルラの問いにシモンが答える。ガノアもまた相当の大国であり、二国は隣国同士である。
「オルレアンとガノアが婚姻関係による同盟を結んでいることぐらい知っているでしょう。しかし子供には恵まれず、ガノアが国王の弟に王位を譲ろうとしたところ、少し前に嫁いだオルレアン大公の娘の弟にこそ王位継承権があると主張してきたのです。それをカナンに認めろと」
「ややこしい話じゃのう。それでどうしたんじゃ」
「関わる必要はないと判断しました。夕闇殿」
答えたのはアインヒだった。
「それにしてもこのカナンに攻め込むとは……身の程知らずにも程がある」
アインヒは怒りを滲ませた声で言った。だが、ファムは一瞬、ほんの瞬きほどの一瞬、その唇が三日月を描いたのを見たのだった。
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