第9話 悪魔はここにいる
船に揺られること三日。四人はオスティーヌ大陸に辿り着いた。シモンは終始胡散臭そうな目でファムたちを見ていた。カナンに着くなり、まずカムパネルラは風呂に放り込まれた。「そのボロをなんとかして下さい。あと、臭いです!」そう言われカムパネルラは一行から引き離され風呂場へと連行されていったのだった。
胡散臭そうな人物たちであってもカムパネルラが弟子という以上、無下に出来ないらしくカムパネルラを除いた三人はそれなりの部屋に通され、香り高い紅茶と軽食が用意されていた。
「それにしても凄い城ですね」
スコーンをほおばりながらアルジールが言った。この賢者の住まう城は英知の峰と言われる場所にある。こんな山の天辺にある城にどうやって行くのかと思っていたら、複数人の魔術師による風の術式で船ごと運ばれたのには心底驚いた。食料や水など必要物資もそのようにして運ばれているのだろう。
「確かに今まで色んな城を見てきたけど、ここは別格だなあ」
とキースが感心したように言う。
「賢者自体が別格の存在ですから。どんなに小さな村でも賢者が誕生すればその村の権威自体が一気に上がります。賢者にさせようと優秀な子供たちがカナンに送られますが、ほとんどの子供たちは故郷に送り返されるそうです。毎年十人ほどの子供たちが賢者になる教育を受けますが、そのうち本当に賢者の称号を得られるのは一人いるかいないかだそうです」
アルジールが説明を続ける。
「あらゆる国が競うように、というか競って。カナンに貢物をします。少しでも自分の国の権威が上がるように。もっともカナンは中立であることを信条としていますが」
そこまでアルジールが話した時、こんこんとノックの音がした。きいっと軽い音を立てて唐草模様の細かな模様が刻まれた扉が開いた。
「わ!おじいさん」
そこには真っ白な厚手のローブを纏ったカムパネラが立っていた。伸ばし放題だった髭も綺麗さっぱり剃られている。黄金のブローチをつけ、同様の金の額飾りをつけた姿は、体格の良さも相まって立派な賢者に見えるから不思議だ。
「こういう窮屈な服は嫌いなんじゃがのう」
「我が儘言わないで下さい!それでもLLサイズです」
隣に控えるように立っていたシモンが噛みついた。
「それにしても腹が減ったのう」
口を開けばやはりいつも通りのカムパネラで残念な感じの賢者ではあった。
「食い意地がはっているのは相変わらずですね。追加で料理を運ばせますから、食べたら直ぐに賢人会議ですよ」
そう言ってシモンは部屋からいかにもいら立ってますという風情で部屋から出て行った。
「やれやれじゃ」
カムパネルラは無造作に黄金の杖をソファに投げ出すと椅子に腰かけた。
「そんな粗雑に扱っていいんですか?五大賢者の象徴でしょう」
「あんなものに何の価値もないわい」
そう言ってサンドイッチに手を出す。
「わしにはこっちの方が大事じゃ」
カムパネルラはがつがつとほおばり始めた。
「ところで、紺碧の賢者とは長年の親友と言ってましたよね」
アルジールが問う。それにしては扱いがぞんざいな気がするのは気のせいではないだろう。
「シモちゃんは照れ屋さんなんじゃ」
カムパネルラは意に介した様子もない。
「照れている訳じゃないと思いますよ……」
だがそのアルジールの呟きも追加で運ばれて来た料理にかき消された。
「おお!待っておったわい」
カムパネルラはそそくさとナイフとフォークを構える。
「これが夕闇の賢者かあ……」
ガラガラとアルジールの中で何かが壊れていく音がした。
「ほんの少しでも期待した私が馬鹿だったな」
がつがつと『ボリュームが足りんのう』などと文句を言いながら料理を平らげていくカムパネラにファムは失望の色を隠せなかった。過度な期待をしたわけでは決してなかった。だが賢者の頂点と言われる夕闇の賢者がこれでは他の賢者もおしてしるべしだ。来たのはやはり無駄足だったか。ならばさっさとおさらばしたいところだが、ファムだけの為に船を出してはくれないだろう。ファムが舌打ちした時だった。こんこんと扉がノックされた。
「はーい、どうぞ」
シモンが来たのかと思い、アルジールは軽い口調でノックに答えた。だが扉の向こうから現れたのはいかにも賢者といった風情の青年だった。すらりとした痩身の身体に白いローブを身に着け長い白髪を背まで流している。手に持った黄金の杖がこの男もまた五大賢者の一人であることをうかがわせていた。
「夕闇殿、お久しぶりです」
そう言って深く腰を折った。
「おお、アインヒではないか。久しぶりじゃのう」
カムパネムラの方はそう言いながらも料理を口に運ぶのを止めるつもりはないようだ。アインヒと呼ばれた男はファムたちを無視するように真っ直ぐ水が流れるような足取りでカムパネムラの横に跪いた。
「敬愛する夕闇殿、またお会い出来て至上の喜びにございます」
そう言ってカムパネムラのローブの裾を軽く掴むとそこに口付けた。
「アインヒは相変わらず堅苦しいのう」
やれやれといった様子でカムパネムラは言った。
「夕闇の賢者に無礼を働くことなどもっての他でございます」
アインヒはすっと立ち上がった。所作の一つ一つが優雅で無駄というものが全くなかった。
「お食事のところ大変申し訳ございませんが、そろそろ賢人会議が始まりますので宜しくお願い致します」
アインヒは胸に手を当てて一礼する。そしてやはり三人を振り返ることもなしアインヒは足音立てることもなく部屋を出て行った。扉がパタンと閉まるとアルジールが歓声を上げた。
「おおおおお!あれですよ!あれ!」
五大賢者をあれ呼ばわりしていることも気付かずアルジールは興奮を隠しきれない。
「あれこそが賢者ですよ!賢者というものですよ!おじいさんやシモンさんはやっぱただの変わり者で、アインヒさんのような人が普通の賢者なんですよ!ね、ファムさん来てよかったですよね」
話を振られたファムは微妙な顔をした。そもそも普通の賢者ってなんだ。賢者というだけでもはや普通の範疇からはみ出ているのではないだろうか。だがそんなアルジールへの突っ込みよりもファムは奇妙な違和感を感じていた。自分たちを見ようとすらしなかった態度にではない。支配階級にありがちな下層な者に関しては人間扱いすらいなタイプなのだということで片づけられるからだ。見たことはないが貴婦人が平然と使用人の前で着替えをするという。人間として見ていないから、羞恥心が発生しないのだ。アインヒも世俗の人間に身を置く人間を人とすら見ていないのかもしれない。だがアインヒに感じた違和感はそうではなかった。
「ファムさん?」
黙り込んでしまったファムを訝しんでアルジールは再度呼びかける。
「いや……何か、違和感が」
「違和感?」
しかしファムはまたもや黙り込んだ。その違和感が何か説明出来ないのだ。けれどその違和感の正体を自分は知っている気がする。ファムは無意識にキースを見た。自分と同じような違和感をこの悪魔が感じ取っていないかと期待したのだ。だがこの悪魔はいつものようににやついた笑みを浮かべ、美味そうに紅茶を飲んでいるだけだった。
「どうした、ファム?そんなに俺を見つめて。ようやく俺に惚れた?」
「馬鹿か」
キースに問いただすことはしない。この悪魔は自分から言い出さない限り、何もファムに教えることはないと長い付き合いの中で知っていた。キースは嘘は言わない。それが悪魔のルールなのだという。だが嘘さえ言わなければ真実を語るか語らないかはその悪魔の自由なのだ。
「そんな節穴の目などくり抜いてしまえ」
ファムは毒づいた。
「つれないなあ」
さも悲しそうにキースは首を振った時だった。
「仕方がないのう、行くとするか」
カムパネムラが立ち上がった。目の前の料理は綺麗さっぱりなくなっている。賢人会議があるから行くのではなく、食べるものがなくなったから行くということなのだろう。すたすたと扉に向かうカムパネムラをただ見ていただけの三人に不思議そうに彼は声をかけた。
「どうしたんじゃ?行かんのか?」
「え?だって賢人会議でしょ。賢者じゃない僕らが行けるわけないです」
何を言ってんだとアルジールは言う。
「何を言っておる。わしの弟子ということになっているんじゃから、何もおかしなことはないぞ」
「いや、でも、ですね」
あらゆる国が跪く、権威の象徴たる賢者たちが集まる場に行く度胸などさすがにない。しかしカムパネムラが本気で言っていることに気付いてアルジールは冷や汗が吹き出すのを感じた。
「うむ、実を言うと会議は小難しい話ばかりでのう。わしにはさっぱりわからないのだ。わしの代わりに話を聞いて欲しいというのが本音だ」
ファムが呆れて言った。
「本当に何故お前が夕闇の賢者の称号を与えられたんだ……」
「わしにもわからん」
はっきりきっぱりそう言いきった。
「……いいですよ、行きましょう」
何かを覚悟したようなアルジールにファムは言う。
「本気か?」
「ええ。この人を一人で行かせたら何を言い出すか不安です」
悲壮感たっぷりにアルジールは言った。
「……なるほど」
アルジールの考えにファムは酷く納得する。
「んじゃ、行きますか」
そう言って立ち上がったのはキースだった。
「お前も行くのか?」
「ファムが行くならエスコートさせていただかないと」
気障ったらしい仕草で胸に手を当てるキースにファムは冷たく言い放った。
「私は行くとは言ってない」
「行くよ。ファムは行く」
断定するキースに訝し気に眉を顰める。
「賢者たちの中に悪魔と契約した者がいると言ったら?」
「な……!?」
「ちょっと、キースさんそれは本当ですか?」
アルジールが驚愕の声を上げる。だがカムパネルラは違った。
「キース君も感じていたか」
なんでもないことのように言うカムパネルラにファムとアルジールの顔色が変わった。
「さすがじいさんだな。どこかにはいるぜ。ここに来てから悪魔の匂いを微かだが感じるんだ」
「誰だ!誰なんだ!」
気付けばファムはキースの胸倉を掴んでいた。
「言え!」
赤い髪を猫のように逆立ててファムはキースを問い詰める。だがキースは困ったような笑みを浮かべるだけで口を開こうとしない。
「多分、って言っただろ。愛するファムに教えてあげたいけど、今時点では俺にもわからない」
「な、なんだと」
キースはファムに胸倉を掴まれたまま大袈裟に手を広げた。
「悪魔ってのは格上になればなるほど、己の正体を隠すのが上手くなる。今回は大物だぜ、ファム。俺ですら誰が悪魔なのかその契約者が誰なのかわからない」
にやりとキースは笑い、ファムはその掴んだ胸倉を離した。
「……その悪魔はお前を殺せるか?」
ファムの問いに笑みを引っ込めキースは無表情になった。
「……やってみないとわからない」
キースがそんな言い方をするのは初めてのことだった。ファムの背にぞわりとした何かが走る。歓喜と期待。キースが勝てるかどうかわからないという悪魔。悪魔は嘘はつかない。
思わぬ好機にファムの胸が早鐘を打った。キースの胸倉から手を離すと、思わず笑いが込み上げてきた。
「はははは……あはははは!」
「ファムさん?」
突然笑い出したファムにアルジールが訝し気に名を呼ぶが、ファムの笑い声は止まらない。
「はははは、カナンに来た甲斐があったというものだ!こいつを殺せる悪魔と出会えるとは!ここにお前を殺せるかもしれない悪魔がいるんだな?」
「ああ、誰かは今時点では断定出来ないけどな。愛するファムに嘘はつかないぜ」
ファムはいつものように『ふざけるな』などと怒鳴りつけることはなく、満足げに頷いた。
「そ、ここにって……賢者も含まれるということですか?」
アルジールのまさかという問いにキースは頷いた。
「ああ、その通りだ」
アルジールは驚きを隠せない。
「何もおかしなことじゃないだろ。賢者だって人間さ。欲望もある。己が望みを叶えるために悪魔の誘いに乗った奴がいたとしても不思議じゃあない」
「でも、でも、賢者ってのは知を極めただけじゃなく、その心も世俗の欲を断ち切った聖人ですよ」
そんなアルジールをキースは嘲笑う。
「悪魔ってのは、なにを引き換えにしても願いを叶えたいという人間の前に現れる。悪魔の誘惑を拒否できる人間がいたら是非会って見たいね」
ま、賢者とは今はまだ確定出来ないけどな。そうキースは付け加えた。
「なあ、カムパネラのじいさん。賢人会議にはほぼ全て賢者が集まるんだろ」
「おお、そうじゃ。小五月蠅いじいさんばかりじゃ」
キースはひょいと椅子から飛び降りた。
「んじゃ、行きますか。賢人会議に」
そしてファムにウィンク。
「そこにいるかもしれないぜ、お目当ての悪魔の契約者が」
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