第8話 夕闇の賢者
幾つかの宿場町を泊まりながら、四人は旅を続けた。道中では特に問題なく、恙無く一行は港町ラスティンに辿り着いた。だがそこで問題が起こった。
「船がないじゃと!?」
「はい。カナンの賢者様たちのご命令で船を出せないことになっております」
申し訳なさそうに頭を下げる船着き場の男にカムパネルラは訊く。
「賢者たちが。何故じゃ?」
「それがドルモア地方の国々が様々な理由でカナンの賢者に支援を求めてきておりまして。またガノアとオルレアンも王位強権のことでカナンの後ろ盾が欲しいと言って来ているのです。この重大な賢人会議にそういったいざこざは断ると。そのためオスティーヌ大陸に渡る船が出せないのです」
「それじゃ、カナンに行けないじゃないですか」
アルジールの言う通り、神聖カナンのあるオスティーヌ大陸に行くには西の海を渡る他はない。
「ふむ……」
カムパネルラはしばらく考えていた。
「それは、賢人会議に出席する者なら話は別と言うことじゃな」
「それは、そうですが……それには賢者様でないと」
男は言い辛そうにして頭のてっぺんから足の先までカムパネルラを見た。ぼっさぼっさの白髪に伸ばし放題の髭。マントと言うよりもぼろ布を纏っただけの姿。
「うむ、わしは賢者じゃ」
「あ、いや……ではその証拠は?」
「そんなものはない。周りが勝手に言っておるだけじゃからの」
そう言ってがははと笑っている。男は引きつった顔を見せた。
「まあ、そうなりますよね……」
同じようにアルジールも引きつった笑みを浮かべた。カムパネルラの姿は賢者というよりも無法者、もしくはただの貧乏なじいさんである。
「キースさん、悪魔でしょう。海を渡る方法とか持っていないんですか?」
アルジールはそっとキースに耳打ちした。
「悪魔は万能じゃないんだ。こんな広い海を渡る力なんて持ってないぜ」
キースは首を振った。
「船が出ようと出まいと、私には関係のないことだがな」
どの道、カナンに行くつもりのないファムがそう言った。
「ここでお前たち二人とはお別れだな」
そう言って踵を返すファムの腕をカムパネルラは掴んだ。
「まあまあ、そう言うでない。折角なにかの縁で出会ったのじゃ、旅の最後まで共に行こうではないか」
「ふん。そもそも海を渡る方法がないのでは、仕方ないだろう」
「そのことじゃがな、わしに考えがある」
「考え?お前がか」
不信さを隠さずにファムは言う。
「うむ。発想の転換じゃ。こちらから行けぬのなら、向こうから来てもらえばよいのじゃ」
一行は街に戻ると一羽の伝書鳩を借りた。カムパネムラは何かを書きしたためると西の海に向かって鳩を飛ばす。
「返事が来るまで一週間というところじゃな」
そう言うカムパネムラにアルジールは心配そうに問う。
「本当に来るんですか?」
「大丈夫じゃ。わしのような善良な老人の願いを無下にしたりは出来ないはずじゃ」
「善良とかそういう問題ですか……?」
慣れて来たとはいえアルジールは呆れ顔だ。
「大丈夫じゃ。安心せい」
がははと笑いながらカムパネルラはばんばんとアルジールの背中を叩いた。
「ま、待つしかないか」
キースはやれやれと両手を広げて首を振った。
「一週間は待ってやる、それでも返事がなければお前たちとはお別れだ。大体賢者たちに会ったところで、私には意味がない」
相変わらず興味のないファムはそう言った。
「会ってみなければわからんじゃろう。賢者たちは物知りじゃ。ファムちゃんの契約を解く方法、少なくともそのヒントが得られるかもしれん」
「馬鹿馬鹿しい」
カムパネムラの提案をファムは一蹴する。
「その方法も探した。探しに探したさ。百年だ、百年探した!それでも見つからなかった!」
そして憎悪の籠った目でキースを睨みつける。
「方法はただ一つ……こいつを殺すことだけだ」
苛立たしさのあまりファムは肩で息をする。
「まあ、落ち着きなされ。ファムちゃん」
だがそんなファムにカムパネルラは静かに言う。
「不死人(インモータル)として彷徨っていた百年がどれほど苦しいものか、わしらには見当もつかん。だがやる前から諦めるのはどうかと思うぞ」
ゆっくりとファムに言い聞かせるように言う。カムパネルラの緑の瞳はどこまでも凪いでいて、柔らかな風吹く草原のようだった。
「賢者の中には世界の見る夢や悪魔を研究している者もいる。会って話ぐらいは聞いてみたらどうじゃ」
それにとカムパネムラは続ける。
「わしはファムちゃんに死んで欲しくないしのう。キース君を殺せばファムちゃんも死ぬのじゃろう」
「……そうだ、それが私の宿願だ」
絞り出すようにファムは答える。
「じゃが、もし契約を解く方法があれば死なずに済むんじゃぞ。生きて本当のファムちゃんの人生を歩んでみたいとは思わんのかい?」
ファムは絶句した。自分の本当の人生を生きる。そんなこと考えてもいなかったのだ。
「そうですよ、ファムさん!おじいさんの言うとおりです。死ぬためだけの人生なんて悲し過ぎます!」
突然突き付けられた選択肢にファムは困惑する他なかった。キースを殺すことだけを考えていた。そしてこの忌々しい母親から与えられた身体と別れを告げるために不死人(インモータル)として生きていた。ただひたすらに悪魔を刈るだけの日々。それは生きていたといえるのか。
ファムがなにも言えないでいるとカムパネムラは更に言った。
「それにわしはキース君にも死んで欲しくないんじゃ」
「な……!こいつは悪魔だぞ」
さすがにファムは驚愕の声をあげる。当のキースもぽかんと口を開けている
「わしは悪魔差別はしない主義と言ったじゃろう。見たところキース君はアル君の母親をたぶらかした悪魔と違って悪だくみをしているようには見えんしな。ただファムちゃんのお母さんの娘を死なせたくないという願いを叶え続けているだけじゃ。わしには悪い悪魔には見えんがのう。あえていえば……」
そこでどんと真っ二つになるのではないかと言うほどファムはテーブルを力任せに叩いた。
「ふざけるな!あえていえば、何だ!?こいつが善良だとでも言うのか」
紫水晶の瞳に怒りを滲ませてファムはキースを睨みつける。キースのにやにや顔から直ぐに目を逸らすと、今度はカムパネムラを睨みつけた。
「教えてやろうか……私の身体が何で出来ているのか!こいつが対価に何を要求したのか!」
ファムは唇を歪めくくくっと笑った。
「私の身体は一体に何で出来ていると思う?」
それに答えたのはキースだった。
「ファムの母親の死体さ」
そう何でもないことのように言った。
「連れて回るにはファムは小さ過ぎてね。丁度良く死体があったもんで、それをつぎはぎさせてもらったのさ。言ってみればファムは俺が作った。良くできているだろう」
俺の自信作さと自慢げにキースは言った。
「そ、それじゃ。ファムさんの身体はお母さんの死体で出来ているってことですか?」
さすがに驚きを隠せないアルジールだった。
「そうさ。ファムの身体のパーツの大部分は母親の死体さ」
「そ、そんな!死者への冒涜です!」
「ファムを生かすためなら対価としてなんでも差し出すつもりだったんだ。別にいいだろ。生きた人間を解体したわけじゃなし」
むしろとキースは続けた。
「悪魔と契約してまで生かさそうとした娘の一部になれて喜んでいるさ」
「悪魔……!」
「だから悪魔だと最初から言っているだろ」
試す様にキースはにやりと笑う。
「これでわかったろう。こいつは殺すしかないんだ」
ファムは見るのも忌々しいと舌打ちした。アルジールは黙り込んだが、カムパネムラは違った。
「それなら尚のことカナンに行くべきじゃ」
「話を聞いていなかったのか!?」
ファムの怒りを滲ませた言葉を意に介さずカムパネルラは続けた。
「契約を結んだまま死んでいいのか?わしはキース君を殺すよりもお母さんが交わした契約から自由になってファムちゃんは人生をやり直した方が良いと思うがのう。まあ、これはわしの個人的な願望じゃが」
「自由……だと」
「うぬ、そうじゃ。キース君を殺せば肉体は自由になれよう、だが心と魂はどうじゃ?縛られたまま死んでも決してファムちゃんは救われないじゃろう。わしはそう思うがの」
その言葉にファムの心臓がどくんと跳ねる。ファムはただひたすらに自由を渇望している。そして自由になれるのはキースを殺した時だと思っていた。その気持ちに今も変わりはない。生きている限り影のように離れない悪魔、そして忌々しい母親の死体から作られたこの身体。それから自由になれる方法はただ一つ。悪魔を殺した時だと。魂と心の自由など考えたこともなかった。
「魂など……あると思っているのか」
ファムの問いへのカムパネムラの答えは簡潔なものだった。
「わからぬ」
だが、と言う。
「人の身体とはただの肉の器ではないと思っとるよ」
ファムは何も言わなかった。言えなかったという方が正しい。
「まだ時間はある。ファムちゃんはゆっくり考えるとよい。わしも一緒に考えよう」
そう言ってカムパネルラは立ち上がった。
「ぼ、僕も」
声を上げたのはアルジールだった。
「なんと言っていいのか、わかりませんが。ただキースさんを殺せばいいというものではない気がします。僕もどうすればファムさんが新しい人生を歩めるか一緒に考えたいです」
ファムは何か信じられないものを見るような目でアルジールを見た。
「まあ、俺はどっちでもいいさ。愛するファムの答えに従うだけ」
キースはすっかり興味を失ったようで、あくびをしながら言った。
そして小さな宿の部屋にはファムだけが取り残された。蝋燭が灯る薄暗い室内で一晩中ファムは寝ることが出来なかった。
三日後港町は騒然となった。
「賢者だ、賢者の船だ」
「カナンから来たんだわ」
「五大賢者が乗っているらしいぜ」
街の人々は生ける伝説と呼ばれるワイズマンを一目見ようと我先へと船着き場へと向かって行く。その中には四人の姿もあった。
「本当に迎えに来たんですか……?」
アルジールは何かに化かされたような心持で、人ごみの向こうに厳かに佇む巨大な帆船を見た。船首像は知を与える女神イズマーニが両手を広げていた。大きく海風にたなびく旗には真理の象徴である梟がデザインされている。どちらも船に賢者が乗っている証であり、どういう事情であれ手を出すことは固く禁じられている。
銀に輝く鎧を纏った騎士達が船から次々と降り立つと、周辺の人々に道を開けるように命じた。海が割れるように道が出来ると、船から一人の老人が現れた。豊かな白い髭を長くたらし、真っ白いローブで身体をすっぽりと包んでいる。手には黄金の杖を持っていた。杖の先には大きな真っ青なサファイヤが光を反射し水底のような輝きを放っている。最も高貴なる宝石といわれるサファイヤは賢者にしか身に着けることは許されていない。特に赤ん坊の握り拳ほどのあるサファイヤの取りつけられた杖は五大賢者のみが許される持ち物である。同じく胸元には金細工のブローチか輝いており、掲げた右腕に梟を乗せた女神イズマーニが彫られていた。賢者、しかも五大賢者の正装である。
「おお、シモちゃん」
カムパネムラがそう言うと、真っ直ぐに賢者は走り寄ってきた。賢者の行動とは思えない慌てふためいた様子で。
「夕闇殿!」
「久しぶりじゃのう」
シモちゃんこと、シモン・ストラディバリはカムパネムラの足元に跪く。周りが一気にどよめいた。当然だろう。賢者、しかも五大賢者である紺碧の賢者が浮浪者としか見えない老人にその膝を折ったのだから。
「相変わらず堅苦しいの」
不満げに言うカムパネムラにシモンは言う。
「お立場をわかっていないのは貴方の方です。夕闇の賢者殿」
そこで恐る恐る声をかけたのはアルジールだった。
「お言葉をかけることをお許し下さい。紺碧の賢者殿。あの夕闇の賢者とさっきも言いましたよな」
「ご存知のないのですか?この方を」
呆れたようにシモンは言った。
「あ、ええと……」
すっとシモンは立ち上がった。
「彼はカムパネムラ・マルキ・ド・ラルクシュール、賢者の頂点に立つ夕闇の賢者殿だ」
凛とした声でシモンは告げた。
「な……っ」
「嘘だろ……!」
アルジールとファムが同時に驚愕の声を上げた。特に反応のなかったキースだったがいつもの余裕綽々の表情が消え失せていた。夕闇の賢者といえばこの世界で知らぬ者などいない。夕闇。日が沈む、その一日で最も暗い刻。月の光もない真の闇が訪れる時。夕闇の賢者はその闇の中でも真理の光を見つけることが出来るという。あらゆる賢者の頂点に立つものに与えられる最高の称号である。
「失礼なことを言うでない!こんなみすぼらしい恰好をしているただの乞食のように見えるかもしれんが、いやそうとしか見えんが、れっきとした夕闇の賢者殿だ」
「そ、そこまで言いますか……」
「そこまで言うか……」
失礼極まりないシモンの言葉に再びアルジールとファムの声がはもる。このシモンという紺碧の賢者も一癖あるのかもしれない。賢者とはこんな変人ばかりなのかとファムの心に一抹の不安が芽生えた。カナンに行こうと考えを改めていた矢先のことだ。無理はない。カムパネムラの言っている魂の自由とやらに惹かれたわけではない。キースという悪魔は殺さなければならない。それ以外の選択肢などあるわけがない。その結果自分の肉体が消滅するなど些末なことだ。ただファムは百年の放浪に疲れと限界を感じ始めていたのも事実だった。『悪魔は悪魔でしか殺せない』というのが定説でファムも信じ込んでいた。だが、もしかしたら、それ以外にもキースを滅ぼす方法があるのではないか。そう考えたのだ。勿論ダメ元だ。しかし今までダメ元で旅を続けてきた。ならばそれが一つや二つ増えたところでどうということもない、はずだ。
「さあ、さあ、夕闇殿。さっさと行きますよ。賢人会議までにもう時間がないんです」
ずるずるとシモンに引っ張られカムパネルラは慌てて言った。
「シモちゃん、ちょっと持っておくれ!」
「待っていたらあなたはまた逃げるでしょう!」
「逃げん、逃げん!連れがおるんじゃ」
そのカムパネルラの言葉にシモンは動きを止めた。
「連れ?夕闇殿が?」
「そうじゃ。彼らも連れて行きたいんじゃ」
カムパネラの視線に合わせてシモンもファムたちの方を向いた。
「わしの弟子たちじゃ」
思わず否定しようとしたファムをアルジールが制した。
「カナンに行くためですよ。我慢しましょう」
ファムは舌打ちする。
「……あのカムパネムラの弟子」
「気持ちはわからなくもないですが」
アルジールは悲し気に首を振った。
「弟子!?あなたがですが?」
「うむ。将来有望な若者たちじゃ」
シモンは眉を顰めて言った。
「有望……ですか?毛も生えていないガキと顔だけの女、軽薄極まりない男にしか見えませんけどね」
このシモンという男はどこまでいっても失礼極まりない人間だった。
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