第5話 旅は道連れ
夜闇の中、赤い炎が揺らめく。新月の夜空には星が瞬く姿が良く見て取れた。リスノーリアウスと呼ばれる鬱蒼と茂る森の入り口で三人は焚火を囲っていた。梟がか細く鳴く、深い夜の中では焚火の炎はあまりにも頼りないものだった。ないだけマシというものだ。だがそれでもアルジールは初めての旅ということで浮かれっぱなしだ。
「あの、何処に行かれるのですか?」
「とりあえず、ノルデンは出るつもりだ」
ファムは赤い髪を焚火の炎で更に赤く染め、答えた。
「そうそう、領主たちの争いもとりあえず決着が着いたし。この辺りにはもう悪魔がいる様子もないしさ」
キースの言葉にアルジールは疑問をぶつけた。
「どうして、悪魔を探すのに戦場に行くのですか?」
「知っているかもしれないけど、悪魔ってのは人間の肥大した欲望に付け込んで契約に持ち込むのさ。願いを叶える対価として欲しいモノを手にするために。大概の人間は分不相応な金や権力を望むわけ。無から金塊が出て来るわけもなし。当然ながらそこには争いごとが生じる。だから主に戦場を狙って旅をしてるのさ。路銀も稼げるから一石二鳥だし。まあ、アル君のお母さんのような契約者もいるけどね。」
キースの言葉にアルジールは少しだけ俯いた。だが直ぐに顔を上げる。
「……ファムさんは、何を望んでキースさんと契約したんですか?」
「私は契約者じゃない」
ファムは即答した。
「私がこれを召喚しているわけじゃない」
「これって言い方酷いなあ」
キースがわざとらしく悲しそうに頭を振った。
「え、でもじゃあ、誰が?」
「ファムの母親だよ」
とっくの昔に死んだけど、付け足すキースにアルジールは驚愕の声を上げる。
「ええ!でもそれなら、契約者が死んだのでは契約はもう解消されているんじゃないのですか!?」
「契約内容が内容だったから。今も契約だけは生きているのさ」
「その契約内容って?」
「ファムを守り、決して死なせないこと」
キースは端的に答えた。
「……忌々しい契約だ」
ファムは小さく吐き捨てる。聞きたくないものを聞いたかのように。だがキースは気にも止めず、話を続けた。
「ファムの母親は夢見るモノだったのさ。世界の見る夢に迷い込んで俺と出会い、契約したわけ」
「夢見るモノ……あの白い悪魔も言っていた。世界が見る夢に行くことが出来る希少な人間……本当にどちらも存在するんですね」
何だか信じられない、とアルジールは右手を口元に当てた。世界の見る夢に行ける『夢見るモノ』の存在はもはや伝説と言ってもいい。夢見るモノが契約する悪魔は単に人間の欲望に誘われてこちらの世界にやって来る悪魔とは全く違う存在だと聞く。そしてその悪魔と契約したものは僅か数人ではあるが、どれも歴史を動かし名を残しているのだ。大国を建国した者、アルジールが使う魔術も夢見るモノがその理論を作ったとすら言われるのだ。
既に梟の鳴き声も聞こえず、木々の葉が囀る音だけが闇夜に響く。その中で場違いな明るい声が響き渡った。
「そうそう。俺みたいな高尚な悪魔は世界の夢に捕らわれてさ、夢見るモノが来て契約してくれないとこっちの世界に来れないんだよねー」
言わずと知れたキースだった。
「で、ファムのお母さんがファムを頼むって言われたもんでさ。契約したわけ」
「……いけしゃあしゃあと」
ファムが恨みがましい声で呟いた。
「それなのに、ファムったら死にたいって言うもんだから。俺としては本意ではないんだけど、愛するファムの為俺を殺せる強い悪魔を探して旅をしているわけ。俺が消滅しない限り、ファムは不老不死だからね」
キースの話にアルジールは何と言っていいのかわからず黙り込んだ。ファムの母親は夢見るモノで彼女の命を救う為にキースと契約したのだ。だがその結果がこんなことになろうとは思いもしなかったに違いない。死ねない身体を厭わしく思い、死を望むようになろうとは。星の光が零れ落ちて来る中で、不自然な沈黙の帳が下りる。キースすらも言葉を発しようとしなかった。その沈黙を破ったのは思いもかけない人物だった。
「何じゃ、このリスノーリアウスの森の傍で野宿しておるモノ好きな奴らは」
ガサガサと派手な音を立てて、森の中から一人の男が出てきた。三人同時に振り向き、ファムは反射的に剣に手をかけた。現れたのは恰幅がいいというよりもごついと言った方がいい白い髭を蓄えた初老の男性だった。右手にククリを持ち、左手には兎の死骸を三匹ぶら下げている。
「……夜盗か」
ファムは剣を抜いた。
「早とちりせんでくれ。どこをどう見ても善良な一介の老人じゃろう」
「自分で善良って言いますか?」
アルジールは呆れたように呟いた。
「やれやれ今夜は少し冷えるのう。わしも火に当たらせてもらうかの」
がははと男は豪快に笑うと勝手にどかり火の側に座った。
「ファムさん、夜盗ではないようですが……?」
ファムは男の姿を観察した。無造作に蓄えられた白髭。ぼさぼさの白髪。ぼろ布を巻き付けただけの恰好。有り体に言えばみすぼらしいことこの上なかった。はっきり言えば夜盗だってもっとマシな格好をしているに違いない。
「……そのようだな」
ファムは剣を収めた。
「おお、信じてくれたのじゃな」
むしろ不信感は増したと言ってもいいが。
「お近づきの印じゃ。兎のシチューをご馳走しよう。わしが今日取った新鮮な兎じゃ」
そう言って誰の返事を待つことなく、男は兎を捌き始めた。
「おじいさんは何者なんですか」
アルジールの当然の疑問に男は何故か胸を張って答える。
「時には善良な狩人!時には善良な漁師!時には善良な農民!特技は弾き語りじゃ」
歌って聞かせようかという申し出は有難く遠慮なくアルジールは断った。
「いや、そういうことを聞いているんじゃなくて」
話しているだけで疲れるタイプだった。
「おお、そういえば自己紹介がまだだったじゃな。わしはカムパネルラという。長いからじいさんでええぞ」
「ええと、おじいさん。俺はアルジール。アルジール・ドゥル・エトワール」
「長いのう。覚えられんわい。アルでよいじゃろ」
「お好きにどうぞ……」
すっかりこのカムパネルラという老人のペースである。
「ええと、こっちは」
「キースだ」
「……ファムだ」
不承不承ファムは答えた。
「アル君にキース君にファムちゃんじゃな。うむ、覚えたぞ」
「何故ちゃん付け?」
「レディじゃからのう」
がっはっはとカムパネルラは笑う。
「レディへの礼儀じゃ。ところでじゃがいもあるかのう」
「少しなら」
アルがそう答えると嬉しそうにがっはっはともう一度カムパネルラは笑った。兎のシチューだけご馳走になって早くさよならしようとアルジールは思った。
「どうじゃ、美味いじゃろう」
美味くないわけがないという口調でカムパネルラは訊いた。
「美味しい……」
不本意ながらアルジールは答えた。実際のところシチューは美味だった。あまり食べないファムも淡々とシチューを口に運んでいる。
「ところでファムちゃん」
ファムは手を止めた。
「なんだ……?」
嫌そうに答える。呼ばれたことよりも呼び方が嫌なのだが、それをカムパネルラに抗議しても無駄だということは既にわかっていた。
「ファムちゃんたちは何処に行くのかね」
「……決めてない。戦場があるところなら何処へでも」
「ほう、傭兵かね。ファムちゃんは」
「そんなところだ」
詳しい説明などする必要はないだろう。キースという悪魔を殺し忌々しい自分の身体を土に返す旅の目的など。
「あ、それそれ。それなんだけど」
アルジールが片手を上げた。
「目的地が決まってないのならオスティーヌ大陸に行きませんか?」
「オスティーヌ?海を渡る必要があるな。どうしてだ?」
ファムの質問にアルジールが答えた。
「カナンの国で賢人会議が開かれますよね。上手くすれば賢者に会えるかもしれません」
カナンの国というのは神聖カナン国のことである。賢者の素質があるものが集められ次世代の賢者となるための教育が施される。英知の結晶が集まる最高峰の学府が存在する国だ。賢者の中でも特に二つ名を与えられた五人の賢者は最高の権威があり人々の信仰に近い尊崇を受けている。ワイズマンと呼ばれる
五人の賢者が集まるのは五年に一度の賢人会議でしかない。黎明の賢者、紺碧の賢者、宵闇の賢者、黄昏の賢者、そしいて最高の称号である夕闇の賢者である。あらゆる知識をその身に蓄え、どんな支配者でも敵わぬ仁徳を纏っているという。
「行ったところで、会えるわけはないだろう。それに会ってどうするんだ」
「いや、ただの好奇心……ですね」
あははとアルジールは笑う。
「港町のラスティンまで街道沿いに行くのは構わないが、海を渡る理由がない」
ファムの言葉にアルジールはしゅんとなる。そこに仲裁に入ったのはキースだった。
「まあ、いいんじゃないの?たまには寄り道したって」
「寄り道している暇など……!」
ない、とキースを怒鳴りつけようとしたファムに割って入ったのはカムパネルラだった。
「おお!カナンに行くのか!?奇遇じゃのう。わしも行こうと思っていたところじゃ」
「おじいさんも、賢人会議に興味があるのですか?」
意外だとアルジールは言った。
「うむ、わしは賢者でのう」
一瞬、時が止まった。ファムですらスプーンを取り落としている。
「は?はああああ?おじいさんが賢者?嘘をつくならもっと上手くついて下さい」
とアルジール。
「ははは、幾らなんでもそれはないでしょ」
とキース。
「うむ、わしも信じられないが。賢者なんじゃよ。やかましいじいさんどもが勝手に人を賢者にしおってな。賢人会議から逃げていたのじゃが、とうとう使者まで寄越しおってのう。五月蠅いことこの上ないわい」
そう言って似合わないため息をついた。
「嫌で仕方がなかったのじゃが、お前さん方が来てくれれば旅も楽しくなるというものじゃ」
カムパネルラの中では四人で旅をすることが決定事項になっているようだった。
「えー、じいさん付いて来る気?」
キースが不満そうな顔を隠そうともしない。
「ファムと二人旅だったのに、こぶがいきなり二つかあ」
「僕もこぶですか?」
アルジールがぶーたれた。
「まあ、そう言うでない」
カムパネルラが二人を宥める。
「旅は道連れというじゃろ。これも何かの縁じゃよ」
自称賢者カムパネルラはそう言って、がははと笑った。
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