第3話  女のいない街

ファムとキースはクラウディアという地方都市に来ていた。ノルデンの西北に位置するこの都市は自治権を持っている。ノルデン王国に属しながら領主にかなりの采配の自由が認められていた。こういった都市は数多く存在する。

 死んだ魚のような目をした門番の脇を通り抜け、崩れかけた石造りの門を通る。都市独特の異臭が鼻を付く。大抵のこういった地方都市は衛生状態が悪い。下水道がしっかりと完備されていないからだ。住人は盥などに用を足し、そのまま窓から路上に捨てることなどざらであった。豚などの家畜の類も普通に道を走り回っている有様だった。こういった状況のため一度伝染病が発生するとあっという間に蔓延する。端的に言えば劣悪な環境であるのが普通であった。

 だが、そんなことよりもファムには気にかかったことがあった。街並みの中に女性の姿が全く見えないのだ。見かけても老婆であり、若い女性や少女の姿はない。街そのものも死んだように寂れ切っている雰囲気が漂っていた。

「なんで、女がいないんだ?」

 ファムが疑問を口にした。

「さて、ね」

 はぐらかす様にキースは言った。

「ま、後のお楽しみってところ」

 ふふふっとキースは誤魔化しを隠すことなく含み笑いをした。

「それよりも、お腹空いたでしょ。ファム」

 言いながら指先で食堂の看板を指差した。

「私が食わなくても死なないことを知っているくせに、そういう事を言うんだなお前は」

 怒りの籠った声でファムは言う。

「まあまあ、折角だから名物でも食べようよ」

 なだめる様にキースは言う。

「街の人の話も聞かなきゃ、でしょ?」

「……ふん」

 ウィンクして言うキースしぶしぶファムは頷いた。

「んじゃ、名物目指してレッツゴー!」

 キースはうきうきと軽やかに黒いマント翻して食堂の扉を開けた。ファムは気乗りのしない足取りで付いて行くだけだった。


 扉を開けるとギギギっと鈍い音が響いた。蝶番が錆びついているらしい。

「……らっしゃい」

 やる気がないというより倦怠感が漂う声でマスターらしき人物が言った。白髪交じりの髪をした痩せた男だった。歳は五十前後だろうか。厭世をおびた濁った瞳をしていた。他に店員らしき人間はいない。この男一人で切り盛りしているらしい。見渡しても他に客はいないので男一人で十分なのだろう。店が流行っている様子は全くなかった。

「お勧めの名物二人前!」

 だがキースはそんなマスターの様子を全く気にせず、明るい声で注文した。

「……何を飲む?」

 疲れたような声でマスターが問う。

「何がお勧め?」

「……蜂蜜酒とエール」

 億劫そうにマスターが答える。

「んじゃ、それを一つずつね!」

「……ああ」

 マスターの返事などどうでも良さそうにキースはいそいそと椅子を引きファムに座るよう促していた。いかに嫌そうな顔でファムは背中のロングソードをテーブルの脇に立てかけ、どすんと座った。安っぽい木製の椅子がぎしりと悲鳴をあげる。

「……お待ち」

 マスターがエールと蜂蜜酒を運んできた。

「料理はもう少し待ちな……」

 コトンと使い古され油で汚れたテーブルにジョッキを置く。それをただ黙って見ていたファムがふいに口を開いた。

「ここの、城主はどんな奴なんだ」

 男の動きが止まった。

「……女だ」

 ぼそりとマスターが吐き捨てるように言った。

「女城主か。それだけか?」

 更に問う。

「ただのメス豚だ。自分のことにしか頭にねえ。東と西で争っているっていうのに、何の関心もない。ちっ、またか」

 マスターはそう言って、忌々しそうに扉の方に視線を向けた。ガラガラと馬車の走る音が聞こえてくる。

「見て来いよ。そうすりゃ、わかる」

 その言葉にファムは無言で立ち上がり、キースもそれに続いた。蝶番の錆びた扉を開けると目の前で荷馬車がゆっくりと通り過ぎていく。

「なんだ、あれは?」

 ファムの疑問にキースはひゅうっと口笛を吹いた。


 荷馬車で運ばれていたのは鎖に繋がれた若い女たちだった。


 どの女も焦燥と絶望の表情をしており、虚ろな目をしている。中にはまだ子供といえる少女たちもいた。その異常な光景にファムは目を見開いて見ていたが、キースは特に驚いた様子もない。

「理由を知っているんだな?」

 キースにきつい視線を向けるファムに事も無げに言った。

「さあ。マスターに訊いてみたら?」

 にやりとキースは笑った。ファムはくるりと走り去る荷馬車に背を向け、店の扉を再度くぐった。

「あれは一体何なんだ?」

 ファムは扉の方を指差してマスターの問いた。

「見ての通りだよ。戦争で捕まった女たちを買ったんだろう」

「誰が?何のために?」

 説明不十分なマスターにファムは更に問う。

「ここの女城主だよ。理由は誰も知らねえよ。ただ無事に戻ってきた姿を見た奴は誰もいないのさ」

 そう言うとマスターは厨房に消えた。

 ぽんとファムの肩が叩かれた。キースだった。ファムはそれを慣れたように振り払った。だがキースも慣れているのか気にしていないようだった。

「ファム、ビンゴかも」

「わかるのか?」

「会えばね」

 少し考える素振りを見せたファムだったが、最終的には頷いた。

「わかった」

 そんな二人の前にいつの間にか、ことんと料理の入った皿が置かれた。

「ほらよ。名物の兎のシチューだ」


 ファムとキースは女城主に会う為に城門の前までやって来た。歩きながら街並みを見たが、城に近づくに連れ酷さは増していた。数えきれない物乞い、貧相な商品を疲れ切った顔で売る人々。当然のことながら女性の姿はそこにはなかった。レンガ造りの建物も全く補修は行われていないようで今にも崩れ落ちそうであった。

 腐臭漂う中にその城はそこにあった。作りこそバロック調の豪奢なものではあったが異様な雰囲気を漂わせていた。そこにはファムの嗅ぎ慣れた血臭がした。ファムは槍を構えた門番につかつかと近寄った。怖いモノなど彼女にはないのだ。死ぬことなどないのだから。

「おい、城主に会いたい」

 城主は不躾なファムに一瞬驚いたような顔をして、じっとファムの顔を見つめた。門番の青い目にファムの紫水晶の瞳が映っていた。やがて門番の男は口を開いた。

「旅の者か?」

「そうだ」

「……女か、なら構わんだろう」

 それ以上の理由も聞かずに門番は門を開けた。どう考えても普通ではない。ファムは眉を僅かに顰めたが、開けられた門をくぐった。キースはその後ろを飄々と付いて行く。門番はその後ろをゆっくりとした足取りで見張るように歩いていた。

 青銅製の大きな扉のノッカーを門番は二度叩いた。ぎぎっと重い音がしてしばらくすると執事らしい初老の男が出て顔を見せた。

「どちらさまで」

「旅の者が城主様にお会いしたいと」

 門番がそう答えると、目踏みするように上から下までファムの姿を見つめる。そして納得するように頷いた。 

「城主様にお取次ぎします。こちらへどうぞ」

 促され通された部屋は応接間だった。豪奢な作りではあったがどことなく埃っぽい。あまり使われていないのか、それとも人手が足りないのか。おそらく両方に違いない。決して歓迎されていないのはわかっていたが、お茶の一杯も出て来なかった。そして案の定女性のメイドの姿は城内で見ることはなかった。

 高級品ではあるが掃除の行き届いていないソファに腰かけファムが手持ち無沙汰にしているとノックの音がした。きいと軽い音がして先ほどの執事が現れた。

「城主様の御仕度が整いましたので、こちらへ」

 促されてファムは立ち上がった。一拍遅れてキースが立ち上がる。面白げな表情がそこにはあった。

 案内された場所は大広間であった。奥には一人の美しい女性が座っている。細かな金の刺しゅうが施されたプリーツの深紅のドレスを纏っている。金の輪にルビーと真珠があしらわれたクラウンを豊かな金髪の上に乗せていた。

「遠慮はいりませぬ、もっと近くに」

 支配者らしい威厳のある声だった。黄金の玉座に座っている彼女は目を細めて微笑んだ。

「よくぞクラウディアに参られた。私はエリザベート・ドゥル・エトワール。この都市の城主です」

「お会いできて光栄です。エリザベート様」

 キースが演技かかった所作で深く跪く。ファムは腕を組み、立ったまま何かを確かめるようにエリザベートを見つめていた。だがそんな不遜なファムの態度をエリザベートは咎めることはなかった。こういった支配者階級にしては珍しいことだ。むしろ不気味ともいえた。エリザベートはファムを見ながら薄っすらと微笑んでいたのだから。

「そう、固くならずともよろしくてよ。夕餉の準備をさせるので、旅の話を聞かせて下さいな」

エリザベートはそう言って赤い唇で艶やかに微笑んだ。


 夕餉の席では何の問題もなかった。ファムはほとんど話さなかった。しゃべっていたのは主にキースで面白おかしく尾ひれ背びれをつけてしゃべりまくっていた。それに軽い相槌を打ち、楽しそうにエリザベートは聞いていた。だが時折舐めるような視線をファムに向けて来るのが、酷く気になった。そして当然のことのように女性は一人も給仕に現れなかった。

 用意された寝室でファムは少し黴臭いベッドの上で横になりながらキースに声をかけた。

「あれは当たりか?」

「さてね、そのうちわかるんじゃないの」

 キースは椅子をきいきい揺らしながら愉快そうに答えた。期待はしていなかったがファムは舌打ちした。その時だった。控えめなノックの音が聞こえた。ファムは条件反射的に傍らに置いていた剣に手をかけた。しかしキースは椅子から飛び降りると、ファムの制止の言葉を聞く前にさっさとドアを開けてしまった。そこには貴族らしいチュニックの上にサーコートを着た少年が経っていた。十五歳くらいだろうか。金髪に青の瞳をした中々の美少年だ。

「逃げて下さい!」

 開口一番少年はそう言った。

「早く、直ぐに殺されてしまいます!逃げて下さい」

 少年は必死の形相でそう言った。

「そりゃ、まあ。物騒な話だな。でもなんで」

 キースはおどけたように首を傾げる。少年は俯いた。唇を噛みしめているようだった。そして絞り出すように唇を開いた。

「僕の名前はアルジール・ドゥル・エトワール。城主の息子です」

 そして一拍置いて更に続ける。

「今夜母はあなたを殺すつもりです」

 ファムの方を見ながら少年、アルジールは言った。

「母は若い女性の血が欲しくて、女性を集めて殺しているのです」

 ぐっと爪が掌に食い込むほど手を握った。そし目を瞑ると、苦し気に呟く。

「……姉も直に殺されます」

「へえ、そりゃまた」

 キースが肩を竦めた。薄っすらと面白げに笑いながら。

「血を?一体なんのために」

 ファムが疑問を口にする。

「……若さのためですよ。母は女性の血を浴びることで若さを保つことが出来ると思い込んでいるのです。老いることで若さと美しさが失われることを母はなによりも恐れていました」

 そして更に言った。

「母は狂っているんです」

 しばしの沈黙。

「……女城主は今どこに?」

 ファムがベッドから降りるとキースの後ろに立った。

「普段は秘密の地下室に閉じ籠っています」

「取引だ」

 ファムはアルジールに言った。

「は?」

「姉を助けてやる。その代わりに城主の元に案内しろ」

 アルジールは驚愕に目を見開いた。

「で、でも……間違いなくあなた方は殺されてしまいます」

 そう言うアルジールにファムは無表情で言った。

「それが目的だ」



 

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