第2話 深紅の戦場
戦いの勝敗は既に決しようしていた。北の地にあるノルデン王国では東西に分かれて兄弟が王位継承権を巡って争いが続いていた。長男である東の王子は皇太子であったが愛妾の息子であった。それを不満とした弟は皇太子に反旗を翻した。それ以来泥沼の戦いが続いている。
だがまあ、そんなことはどうでもいいことだ。そう男は思った。どちらが勝とうが負けようが興味はない。既に前金ももらっている。自分はただ給金分の仕事をするだけだ。男はバスタードソードを構え直した。
男は所謂流れの傭兵で、東の王子側に雇われることを決めた。決めた理由は単純で金払いがそちらの方が良かったから他ならない。男には歴戦練磨の傭兵だという自負があった。自分を安く売る気はさらさらない。チェインメイルも付けずにラメラーアーマーだけで二の腕を剥き出しにしているのもその自信の表れであった。それは根拠のない自信ではなく、実力と経験に裏打ちされたものだった。実際男は一人また一人と確実に敵を屠っていた。バスタードソードが振るわれる度に血飛沫が舞い上がる。中にはうっかり殺してしまった味方もいたかもしれないが。同士討ちは混戦状態となった戦場にはつきものだ。致し方ない。数えきれない戦場を渡り歩いて来た男はそう割り切るだけの冷酷さも持ち合わせていた。
そしてまた一人の命を奪うと、男は敵の身体から剣を引き抜いた。単純作業だなと男は思った。辺りを見渡せば敵の数は数えるほどになっていた。もう自分の出番はなさそうだ。血糊を剣から振るい落とし、男はそれを肩に担いだ。心底つまらないと思った。雇われの傭兵とはいえ男は戦士だ。折角戦場に来たのだから少し歯ごたえのある相手と戦いたいものだと思った。
そんな時、男の興味を引く光景が目に映った。女が一人戦っていたのだ。魔術師ではなく、剣士で女とは珍しい。しかもまだ少女と言ってもいいくらいの小柄な風体だった。死なずにここまで戦ってきたのだ。それなりの腕を持っているのだろう。実際女は何度かの打ち合いの末、相手の首を切り飛ばした。そして持っていた剣を捨て、相手のロングソードを拾い上げた。血糊で切れなくなったに違いない。
面白い、と男は思った。中々女剣士などと相まみえる状況などない。少女には可哀そうだが少しばかり手合わせを願おう。勿論それは少女の死を意味するが、ここは戦場だ。負ければ死ぬ。非常に明快で簡単な理屈。この場にいるということはその理屈に納得していることに他ならない。男はバスタードソードを構え直すと、少女に向かって一気に距離を詰めた。殺気を剥き出しにしたのはせめてもの男の情けだった。一撃で殺してしまってはあまりにも哀れだ。なによりも自分が楽しめない。
さすがに少女はその気配に気付き、手にしたばかりのロングソードで男の剣を受け止めた。美しい少女だと男は思った。見事な深紅の髪をしていた。軽くウェーブのかかったその髪はまるで燃え盛る炎のようだった。瞳は紫水晶のように澄んで美しい。強い意志の力を感じた。完全に男の好みの女だった。こんな場所で出会わなければ速攻で口説いていたに違いない。残念なことだ。だがここは戦場である。交わすのは愛の言葉ではなく、命を絶つための剣しかない。
「ここで会えたのも何かの縁。一曲踊ってくれませんかね」
もっとも流れる曲はワルツではなく、苦痛のうめき声と響き渡る断末魔であるが。
「ふざけたことを!」
深紅の髪の少女は怒りの声を上げた。ぶわりと髪が逆立ち、揺らめく炎のようだ。男は一歩だけ少女から距離を置いた。
「あまりにも好みだったもんでね。ダンスを踊る相手の名前ぐらいお訊きしたい」
「貴様なんかに名乗る名などない」
お決まりの台詞を言う少女に男は笑った。
「これは失礼。名前を訊く前に名乗るべきだったな。俺の名前はアルバート。短い間だが宜しく頼む」
「貴様の名前なんぞに興味はない」
「それは残念」
気の強い女性は好みだ。それが美しければ尚のこと。文句なしだ。殺した後は思い出としてこの美しい髪を少しばかりもらって帰ろうと思った。何よりの報酬だと思った。
「それでは一曲」
男は力強く地面を蹴り、剣を繰り出した。少女はそれを細身のロングソードで受け流す。反応は上々だなと男は満足した。嬉しいことに少女の方も攻撃をしかけてきた。小柄な身体を更に屈めて男の足を横凪ぎに狙ってきた。悪くない戦法だ。足元はどうしても防御がしにくい場所だ。身体的特徴を生かしたいい攻撃だと思った。だが甘い。それぐらいは想定済みだ。男は少女の動きを予測してバスタードソードでそれを軽く弾き返した。少女が舌打ちする。中々素早い動きだった。スピードは中々のものだ。それが少女の強みなのだろう。その俊敏性で戦い抜いてきたに違いない。だが圧倒的にパワーが足りない。女の細腕では仕方のないことだが。自分の攻撃は躱すか、剣で受け流すことに一度でも失敗すれば、そこで少女は死ぬ。
少女は初手の戦法が失敗したとみるや戦法を変えてきた。かなり好戦的な性格らしい。ますます気に入ったと男は思った。ステップを踏むように素早い剣戟を繰り出してきた。男の希望通りダンスを踊ってくれるらしい。男は感謝した。少女の四方八方からの攻撃を軽く躱し、時には剣で弾き返す。
筋は悪くない。だがそれだけだなと男は思った。パワーがない分スピードを生かす戦法も悪くないが、その剣技に目を引くものがない。剣士としては中の上といったところだ。もう少し経験を積めば多少は良くなるだろうが。惜しいことがが、少女には剣の才能というものが抜けているようだった。つまり努力家ではあるかもしれないが、少女はただの非凡な剣士だった。生まれながらにして天賦の才を与えられた男は僅かな戦いの中、それを見抜いた。
自分の攻撃がかすりもしないことに少女は焦りを感じて来たようだ。疲れも出てきたのだろう。スピードが徐々に落ちている。
「ちっ」
少女は赤い髪を振り乱し舌打ちした。楽しいダンスもここまでかと男は残念に思いながらも、バスタードソードを振り下ろした。
「!?」
少女は何とかロングソードで受け止めるが、ぶるぶるとその細腕は震えている。男はぱっとバスタードソードを手放した。
「なっ!?」
男の行動の意図が読めず、少女は目を見開いた。剣が地面に落ちるまえに、つかさず男は背負っていた予備のバスタードソード引き抜き、目にも止まらぬ早業で少女の白く細い両腕を切り落とした。どんな相手であろうとも戦いであれば男が躊躇うことはない。ぼとりと肘から下から少女の両腕が地面に落ちた。
「あ、ああああ」
少女は呆然となくなった両腕を見つめている。勢いよく血が溢れ地面に赤い花が幾つも咲き乱れていった。
「負けた奴が死ぬ。これが戦場のルールなんでね」
男は容赦しなかった。迷うことなく腰のダガーを抜くと、もはやなにも出来ない少女の小さな胸に突き立てていた。
「がっ!」
少女は可愛らしい唇から血を吐き出した。男がその胸からダガーを引き抜くと、その小柄な身体は地へとゆっくりと倒れていった。男は少女の傍らに膝を付き血に濡れたダガーでその赤い髪を一房切り取り、満足そうに笑った。
「楽しかったぜ。もし生まれ変わったらまた会おうや」
そう言って絶命した少女に背を向けて歩き始めた。だが、数歩歩いた時点で異変が起きた。男の胸から一本の鋼の刃が生えていた。男はゆっくりと後ろを振り向いた。深紅の髪が揺らめいていた。あの少女が男に剣を背中から突き立てていたのだ。
「そ、そんな馬鹿な……」
死んだはずだ。間違いなく殺したはずだった。それなのに少女はそこに立っていた。そればかりか切り落とした腕も何もなかったかのように元に戻っている。まるで付け直したかのように。
「勝ったお前が死ぬ。ルール違反で悪いな」
少女はぐっと剣を捻った。血管に空気が入り、男は堪らず口から血を吐き出した。
「お、お前……まさか……不死人(インモータル)か……」
こうなってようやく男は一つの可能性に思い当たった。時既に遅しだが。何故この程度の腕前の少女が今まで何故生き残ってこられたのか。それを疑問視しなかった自分を呪っても、もう遅い。
「契約者、なのか……」
少女は何も答えなかった。『契約者』それは悪魔との契約した者の呼称だ。悪魔を召喚して契約を交わすことから『召喚士』とも呼ばれる。悪魔と契約することでその者の命は悪魔と繋がり悪魔が消滅しない限り不老不死となるという。馬鹿げた話だと思っていたが、まさか本当に存在するとは。しかもこんな皮肉な形で知ることになろうとは。
子供の頃から剣術の天才と謳われた男は、ついに地面にどおっと倒れた。百戦錬磨の男のあまりにも呆気ない最後だった。びゅうっと風が吹き、力をなくした男の手から握っていた少女の赤い髪が舞い上がった。それは赤い薔薇の花びらのようだった。
「また、外れか」
少女はつまらなさそうに呟いた。
「負けた奴が死ぬ、か。いい言葉だな」
その言葉には悲しみと深い絶望が滲んでいた。
「ファム、こいつは契約者じゃなかったの?」
その声の相手を少女は睨みつける。声の主は長い黒髪を後ろ一括りにまとめた白皙の青年だった。髪と同じ漆黒のマント羽織っている。ファムに纏わりついて離れない憎々しい悪魔だ。名をキースという。
「見ての通りだ。異常に強いので契約者かと思ったが。お前はそれを知っていたんじゃないのか」
少女、ファムは恨みのこもった声をぶつけた。
「ま、そうね。知っていたよ。同族ならわかるしね」
「何で教えなかった?」
「ダンス一曲くらいなら、俺のファムと躍らせてあげてもいいかなって」
少しばかり嫉妬したけどと青年は続けた。
「冥土の土産にね」
青年はにやりと笑った。
「それにしても負け戦だねえ」
明らかにファムがついた西の王子の軍隊は蹴散らされていた。
「勝ち負けに興味はない」
無表情にファムは言う。
「私の目的はお前を消滅させることだ」
悪魔は悪魔でしか消滅させることが出来ない。その為には何だってやる覚悟だ。
「そして私はこんなくそったれの命を捨ててやる」
それだけが自分が死ぬための唯一の方法だった。そしてそれだけがファムの生きる目的だった。そんな彼女に青年はにこにこ微笑みながら嬉しそうに言った。
「いやあ、心中したいなんて。激しい愛の言葉。照れるわ」
「何が愛だ!相変わらずお前の頭はお花畑だな」
吐き捨てるようにファムは言うが、キースとは意に介したふうもない。このやり取りをもう百年以上続けているのだから。そしてこのやり取りをこの悪魔はこよなく愛していた。
「まあまあ、それよりもそろそろ行かないか?前金はもらっているし。これじゃ追加の報酬はもらえないだろ」
子供あやす様にキースは言った。実際ファムはキースの子供のような存在だった。ファムはキースが作り上げたのだから。死んだファムの母親の死体を使って。
「ふん」
ファムは鼻を鳴らした。勿論キースはそんなこと気にしない。
「面白い情報をゲットしたんだ。今度こそ当たりかもしれないよ」
「どうだか。悪魔なんぞの言うことは信じられない」
「それ、悪魔差別じゃない?」
不満げにキースは唇を突き出す。
「それに俺は愛するファムに嘘はつかないよ」
キースは肩を竦める。
「さっきは何も言わなかったくせに」
「言わなかっただけで、嘘はついていない」
心外だなあとキースは言う。
「どのみち、ここで腐っていても仕方ないだろ」
「……聞かせろ」
その言葉にぱあっとキースは顔を綻ばせた。
「近くの女領主のきな臭い話があるんだ」
「わかった」
ファムは踵を返した。
「んじゃ、行きますか」
二人は戦場から背を向けた。冷たい一陣の風が吹いた。死臭と血臭が混じり合い、戦士たちの遺骸を情け容赦なく弄っていく。ファムの髪がたなびく。それはまる血糊に濡れた深紅のベールの様だった
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