68.回想

 青い空を深く突き刺すように、重低音をとどろかせて一筋の煙が天へ昇っていく。

 極東軍が計画していた最後のロケットの打ち上げだった。

 丘の上の公園には、それをまぶしそうに空を眺める人々の姿があった。


「やったぁ!」「打ち上げ成功!」

 公園のあちこちで、ロケット開発に携わった関係者たちの歓声が上がる。


 その中で、ひとりだけ静かに見上げていたのは、加賀菜月だった。


「ようやく……、ようやくこれで復讐できる」

 小さくなったロケットを見送りながら加賀菜月は呟いた。

「お父さんとお母さんの命を奪った『ステラニグルム』に」


 真っ青な空を向こうを見つめる加賀菜月の瞳には、自分が幼かった頃の記憶が映っていた。


 ☆


 美しい湖畔。

 そこから草原を少し登った丘の上。

 丸太で作った小さなログハウスが建っていた。


 その家では幼い少女が、優しい両親と生まれたばかりの弟と一緒に、4人で幸せに暮らしていた。


 少女の名前は、ナツキ。

 健康的な黒い髪は、父親のアストにそっくりだった。

 透き通ったエメラルドグリーンの瞳は、母親のハヅキと同じ色をしていた。


「わぁ―――」

 ナツキは窓から見える美しい景色が好きだった。


 陽の光を反射する湖面がキラキラと星空のように光り、そよ風が草原を撫でる。

 日によって、時間によって、さまざまな表情を見せる風景は、どれだけ眺めていても飽きることはない。


「ナツキ、こっちにおいで」


 母親の優しい声に、窓の外を眺めていたナツキは振り返ると、「はーい」と元気に返事をした。

 そして、ソファーに座っている母親のもとへ駆け寄り、隣に腰掛けると、そのまま腕に抱きつく。

「お母さん、だーい好き」


 黄金色の母親の艶やかな長い髪が揺れ、柔らかな微笑みがこぼれる。

 母親の腕の中では、赤ちゃんがスヤスヤと眠っていた。


「明日は、ナツキの5歳の誕生日だから、ナツキが一番食べたい料理を作ってあげるね。何がいいかしら?」

 母親は片腕でナツキを抱き寄せて、頭を撫でながら言った。


 暖かな体温を感じながらナツキは尋ねた。

「何でもいいの?」


「うん、何でも作ってあげるわよ」

 母親はニコっとうなずいた。


 ナツキの頭には、好きな食べ物がいくつも思い浮かんだが、すぐに一番が決まった。

「じゃあ、プリン! わたし、プリンが食べたい!」


 母親は「まぁ」と笑うと、「それじゃあ、久しぶりに大きなプリンを作りましょうかね」と微笑んだ。


「やったぁー!」

 ナツキは頬を母親の顔にすり寄せて喜んだ。


 階段を降りる足音とともに、父親の穏やかな声がした。

「明日は、母さんの手作りプリンだって? それは楽しみだ」

 2階から降りてきた父親は嬉しそうな表情だった。


「お父さん、いつものプリンじゃないよ。明日は、おっきなプリンだよ」

 ソファーから下りたナツキは、勢いよく父親に跳びつく。


 父親は軽々とナツキの身体を持ち上げると、両腕で包むように、ぎゅっと抱きしめた。

「ナツキ、大きくなったなぁ。もう5歳かぁ。ついこの間まで赤ちゃんだと思っていたのにな」


「まだ4歳だよ。明日が誕生日だもん」

 父親の短いあごヒゲがチクチクしたが、それがたくましいお父さんらしくて、ナツキは好きだった。


「そうか、すまんすまん。でも、父さんは嬉しいんだよ」


 年齢を間違えたことの何が嬉しいのかわからず、ナツキは首をかしげた。


「こうやって、ナツキとミズキと、そして母さんと一緒にね。毎日穏やかに暮らしていける。一日、一日、家族みんなで歳をとっていけることが、本当に嬉しいんだよ」

 父親は何かを噛みしめるように、暖かな声で言った。


「一日じゃ、歳とらないよ。変なの」


「そりゃ、そうだ」

 ナツキの言葉に、父親は楽しそうに笑った。


 つられるようにして、母親とナツキも笑った。


 その時だった。

 玄関の扉から金髪の青年が慌てた様子で駆け込んできた。

 母親の弟―――ナツキの叔父のリュウだった。


「姉さん、アスト、大変だ!」

 息を切らしながら、青白い顔のリュウが言った。


「リュウ?」

 ただならぬ気配に母親が不安そうに弟の名前を呼ぶ。


「どうしたんだ?」

 父親が厳しい表情で尋ねた。


「『ステラニグルム』が近づいてきている」

 深刻な声でリュウが答えた。


「そんな、まさか?」

 父親が驚愕の声を上げた。

「何かの間違いじゃないのか?」


「いや、本当だ。連邦から仕入れた極秘情報なんだ」


「くっ」

 怒りと悔しさが混じったような顔で父親がうなる。


 その場の張りつめた雰囲気に、急に恐怖を感じたナツキは、ソファーに戻ると母親の腕にしがみついた。

 片腕で抱き寄せてくれた母親の目は、とても悲しそうで、そして、寂しそうだった。


「今すぐ、みんなで逃げよう。あのゲートを使って脱出すれば助かる」

 リュウが真剣な声で提案する。


「リュウ」

 父親は顔を上げると、焦りと迷いが消えた様子だった。

「ハヅキと子供たちを連れて、ゲートから逃げてくれ」


「アストは?」


「オレは、ステラニグルムを止める」


「何言ってるんだ! そんなこと不可能だ! アストだって、よく知っているだろ? 姉さんたちを置いて無駄死にする気かよ?」

 リュウが父親の両肩を掴むと、ゆすりながら怒声を浴びせる。


「よく知ってるさ」

 父親は穏やかな声で言った。


「なら、どうして?」


「それは―――」

 父親は、ちらっとこちらを見た後、再び前を向いて続けた。

「ナツキとミズキの父親だから。オレは、この子たちが安心して幸せに暮らせる未来を残したい。いや、残さなくちゃいけないんだ。絶対に」


「アスト……」

 リュウが掴んでいた両手を離す。


「私も。私も残るわ」

 急に母親が言い放った。


「姉さん、何を言っているんだ!?」

 再びリュウが慌てた声を出した。


「私もアストと同じ気持ち。この子たちの未来のために、今ここで私たちが星喰いを止めなきゃ」


「ダメだ。ハヅキは逃げろ。お前までいなくなったら、ナツキたちの面倒を誰が見るんだ?」

 父親が諭すように言った。



「大丈夫よ」

 母親は微笑む。

「ナツキとミズキには、リュウがいるわ。それに、私はこの子たちの母親であると同時に、私は、アストの妻。あの時、あなたと約束したでしょ?」


「何を?」


「死ぬまで一緒にいる、って」


 ☆


 その日の夜中、ナツキは母親に起こされると、自動車に乗せられた。

 空には全く星の光が無く、不気味な闇に覆われていた。


 すぐに自動車は走り出す。

 父親が運転し、助手席にはリュウがいた。

 赤ちゃんを抱えた母親にくっつきながら、昼間に聞こえた話の内容を思い出し、ナツキは不安におびえていた。


 ―――いやだよ。お父さんとお母さんと、離れたくないよ。


 立ち入り禁止区域に入ると、研究施設のような古びた建物の脇で車が止まった。


「着いたぞ」


 父親の合図とともにリュウが降り、後部座席のドアを外から開けた。

 母親から赤ちゃんを丁寧に受け取る。


 父親を先頭に、リュウ、母親が続いて建物の中に入る。

 ナツキは母親に手を引かれて連れていかれた。


 廊下を進み、突き当たりの部屋に入ると、部屋の中央に人間の背丈より大きな黒い輪が立てられていた。


「あれは、なあに?」

 初めて見る不思議なリング状の物体をナツキは指差した。


「空間連結ゲート。あのゲートを通って、遠い場所に行くのよ」

 寂しそうな目をした母親が答える。


「お母さんもお父さんも一緒だよね?」


 母親が、その場に屈み、目線の高さをナツキに合わせる。

「……ナツキ、ごめんね。お父さんとお母さんは一緒には行けないの」

 そして、ゆっくりとナツキを抱きしめた。


「……いやだよ。お母さんも一緒に行こうよ。お母さんと会えなくなるのは嫌だよ」

 ナツキの両目から大粒の涙があふれる。

「おかぁさん……」

 泣き声が部屋中に響いた。


「準備ができたぞ」

 部屋の隅の機械を操作していた父親が振り向くと言った。


 急に機械が動き出すような音が鳴り、部屋の中央の黒い輪が輝き出す。

 すぐに、その光が黒い輪の中を膜のように覆い、やがて虹色の光を放つ。


「ナツキ……」

 母親の目から一筋の涙が流れた。

「姉さん、そろそろ……」

 赤ちゃんを抱えたリュウが母親に声をかける。


「そうね」

 母親が抱きしめていた腕を離し、立ち上がった。

「リュウ、この子たちをお願いね」

 泣きじゃくるナツキを、母親がリュウに引き渡す。


 リュウは赤ちゃんを片腕で抱っこし直すと、ナツキの手を握った。


「ミズキ、あなたが成長していく姿を見ていたかったなぁ」

 母親は、リュウの腕の中の赤ちゃんを優しく撫でながら呟いた。


 すぐ隣に来た父親はしゃがむと、ナツキを抱き寄せた。

「父親らしいことしてやれなくて、すまない」


「おとぉうさん……」

 ナツキは父親の肩に顔をうずめながら泣いた。


「ナツキ……。これから、大変なことや辛いこともたくさん起こる。でも、どんなことがあっても諦めるな」

 優しくも強い声だった。

 そして、父親はナツキを離して目を見つめると、静かに言った。

「強く、生きろよ」


 涙を流しながらナツキはうなずく。


 その時、突然、地震が起きた。

 大きな音とともに建物全体が揺れる。


「とうとう来たか。ステラニグルムが」

 父親の顔が真剣な表情に変わる。

「リュウ、早く行け。ナツキとミズキを頼んだぞ」


「……わかった」

 揺れる部屋の中、リュウがうなずく。

「でも、その代わり、ひとつ約束してくれ」


「何だ?」


「最後まで諦めないって。生き残る可能性を」


 リュウの言葉に父親は黙ったまま、うなずいた。


「俺は、アストと姉さんを信じる」

 リュウは赤ちゃんを片手で抱えたまま、ナツキの手を引くと、虹色の光の中に飛び込んだ。


 そして、ナツキの視界の全てが、虹色の光に包まれた。

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