17.研究所(1)

 その光景に、加賀瑞樹は自分の目を疑った。


 気がつくと、目の前の少女は深い闇をまとい、全身から黒色のオーラを放っていた。


 この現象は知っている。

 つい昨日、多摩川の河川敷で見たばかりだ。


「こ、これは、美亜さんと同じ……?」


 加賀瑞樹が呟いた時、鼓動が1回大きく鳴った。


 ―――この感覚、どこかで?


 ふいに、なぜか懐かしさを感じた。


 遠い昔に、似たようなことがあったのだろうか。

 だが、全く思い出せない。


「小春……ちゃん?」


 小泉玲奈が口元に両手を当て、息を飲む。


 木村小春が片腕を上げ、近くに駐車していたトラックに向ける。


「そーれ! 行っけぇー!」


 すると、トラックが黒い光に包まれた。

 そして、音もなく動き出す。


 見る見るうちにスピードを上げると急に曲がりながら倒れ、鉄製のゲートに衝突した。


 その衝撃でゲートが大きく歪む。


「もうひとつ、行っけぇー!」


 さらにもう1台のトラックが猛スピードでゲートに激突し、大破する。


 とうとうゲートが壊れ、通用門と反対側に人が通れるほどの幅が空いた。


「きゃはは! おもしろぉーい!」


 新しいオモチャで遊ぶ子供のように木村小春がはしゃぐ。


「次は―――」


 その時、3台目のトラックに照準を合わせた木村小春の腕を、小泉玲奈が胴ごと抱きしめるようにして降ろさせる。


「小春ちゃん、ダメだよ!」


 細く華奢な身体を抱きしめたまま、小泉玲奈が強い口調ながらも優しく言った。


「誰かのモノを勝手に壊しちゃダメだよ。壊された人が悲しんじゃう」


「お姉ちゃん……?」


 きょとんとした木村小春は不思議そうな声を出す。


 ろうそくの炎が消えるように、全身から闇が失せる。


 加賀瑞樹は、壊れたゲートとトラックの惨状を見て、今さら引き返せないところまで来てしまったと直感した。


 もしかして、これは器物破損罪?

 バレたら逮捕されてしまうかもしれない。


 今のウチに逃げてしまおうか?


 とは言っても、悠長にバス停で待っているわけにはいかないし、歩行者が誰もいないような道路を逃げても、すぐに警備員に見つかってしまうだろう。


 NT研究所の所長に会って『木村小春が勝手にやった』と事情を説明すれば、きっと自分は許してもらえるはずだ、と頭の中の悪魔がささやいた。


「玲奈、行くよ。警備員がトラックに気を取られているすきに」


 加賀瑞樹は、当初の予定通りに所長に会いに行くことを決心した。


「わかった」


 小泉玲奈も意を決した表情で頷いた。


 加賀瑞樹は木村小春の手を引き、ゲートに空いた穴からNT研究所の敷地に侵入した。


 そのまま、木村小春の案内に従って、手前から3番目の建物まで走る。

 小泉玲奈もすぐあとをぴったり着いてきた。


「ここまで来れば、たぶん大丈夫……」


 周りに誰もいないことを確認した加賀瑞樹は、建物のエントランスの脇で一息ついた。


「瑞樹、もうちょっと女子のペースに合わせて走ってよ」

 小泉玲奈が息を切らしながら文句を言う。


「コハルは楽しかったよ。鬼ごっこみたいで」


 笑顔の木村小春はピンピンしているようだ。


 さてと。ここからが本番だ。

 きっと建物の中には警備員や社員がいるに違いない。


 加賀瑞樹はエントランスの中の様子を確認しようと、慎重に近づく。


 だが、外からは人影は見えない。


 意外なことに、エントランス横の警備員室にも誰もいないようだった


「あれ? 誰もいないみたいだ。そのまま入れそうだよ」


 無人の警備員室を指さして加賀瑞樹は言った。


「不用心な研究所だなぁ」


 ほっとした加賀瑞樹が、そう呟いた時だった。

 突然、背後から若い男の声がした。


「そんなに不用心ってほどの警備ではなかったんだけどねー」


 振り向くと、軍服のようなデザインの白い制服を着た警備員が微笑んでいた。


 整った顔立ちで、紺色の帽子の下から茶色い長い髪がサラサラと風に揺れている。


 声を聞いていなければ、女性だと思っただろう。

 それだけ、中性的で綺麗な見た目だった。


 一瞬見とれてしまっていた加賀瑞樹は、我に返ると、警備員に見つかってしまったという事実に愕然とした。


 背中から冷や汗がにじみ出る。


 とっさに上手い言い訳を考えようとしたが、全く思いつかない。


 何とか、ごまかさなければ。


 すると、木村小春が元気な声を出した。


「ショチョーに会い来たんだよ! 中に入れて」


「そっかー。所長の知り合いかー。そしたら中へどうぞ。ほんとは入らない方がいいんだけどねー」


 警備員が微笑んだまま、さらっと建物の中に案内する。

 そして、さも当然のようにエントランスに入れてくれた。


 何事もなく警備員室の前を通過できた加賀瑞樹は、小泉玲奈と顔を見合わせた。


「警備員さん、ありがとう!」


 木村小春がエントランスを振り返り、警備員に手を振る。


「……バイバイ」


 微笑みを絶やさず、警備員も手を振っていた。


 ☆


 3人が乗った廊下の奥のエレベータの扉が閉まると、白い制服の男は紺色の帽子を取って投げ捨て、長い髪をかき上げた。


 顔から微笑みが消え、冷たい表情に一変する。


 警備員室に近づくと、氷のような目で中を見下ろす。


 床には、紺色の制服を着た警備員2人が血を流して倒れていた。

 そのうち1人は帽子をかぶっていない。


「わざわざ死ににくる子供がいるとはねー。可哀そうに」


 白い制服の男は、声のトーンを低く変えて言った。


「せめて、天国に逝かせてやるよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る